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ドイツ空軍最強の部隊JG52について調べてみた

JG52-Emblem.jpg

 管理人の最も好きな飛行機にメッサーシュミットBf109という航空機があります。初飛行が1935年と第二次世界大戦の活躍した戦闘機の中ではかなり古いのですが、それより後に開発された零戦など戦争中に老朽化してしまったことに比べ、最後まで第一線の主力機として使い続けたといいますから、ドイツ人の頑固さには敬愛するものがあります。
 しかもK型になりますと更に性能が向上して欧米機とたちとも、互角に戦えたといいますからすごいですよね。
 サッカーで例えると、試合開始から試合に出ているものの、中盤で疲れ始め、ついに交代のタイミングを逃し、息もバテバテでダメかと思いきや、段々と体力が戻り最後まで試合で走り回ったという感じでしょうか。
 局地戦という限定の戦闘であり、一撃離脱に特化した戦法という条件では最強であったと思います。

 Bf109は第二次世界大戦(WWⅡ)のルフトバッフェの象徴そのものであり、そしてエース達が最も愛用した機体であるという点が好きなのです。

 さて、そんなルフトバッフェ最強の部隊が第52戦闘航空団 (Jagdgeschwader 52,JG 52) といわれています。(右上図がJG52の部隊エンブレム)

 WWⅡにおいて全戦闘航空団中最多の10,000機以上を撃墜し、航空史上の撃墜数上位3位までを占めるエーリッヒ・ハルトマン(撃墜数352機)、ゲルハルト・バルクホルン(撃墜数301機)、ギュンター・ラル(撃墜数275機)らが所属していました。

 JG52では、ハルトマンとバルクホルンの300機以上の撃墜スコアを皮切りに、200機以上が6名100機以上撃墜者が32名!部隊の総戦果1万機以上というとんでもないスコアを誇ります。そして、JG52でも更に凄い中隊が、第9中隊で、100機以上が6名、騎士鉄十字章12名を輩出しています。ハルトマンも当然この中隊に属し、のち中隊長にもなっています。この当時まだ若干21歳!

 さて、この航空団の規模ですが、JG52は第Ⅰ〜Ⅲと、3つの飛行隊(大隊)があります。
この飛行隊はさらに3つの中隊に分かれており、中隊は12機編成が標準です(大戦後期は16機編成もある)。中隊は4機×3の小隊で編成されています。飛行隊には別に4機の飛行隊本部がつき、さらに航空団本部小隊の4機が加わります。ですので航空団は、合計で124機が標準機数になります。分かりづらいので図にしました(笑)

 Luftwaffe_01.jpgまず、最小単位が分隊で2機単位です。2機1組で分隊 (Rotte) を組み、長機(リーダー)が攻撃・追撃を行っている間、もう1機の僚機(ウィングマン)が上空ないし長機の後方で援護・哨戒を行います。
この際、攻撃を行う長機のパイロットは後方に留意する必要がないため、攻撃に集中する事ができるという利点があります。

 スペイン内戦に参戦したドイツ空軍コンドル軍団の撃墜王であるヴェルナー・メルダースがメッサーシュミットBf109を乗機とした実戦経験を元に考案した戦法で、その後このスタイルが各国でも採用されました。

そして分隊が2つで1小隊になります(4機)

  中隊は、この4機編成の小隊が3小隊からなっており、JG52のハルトマンが中隊長を務めた第9中隊は、戦果が大きいことから「カラヤ中隊」、あるいは「エキスパート中隊」とも呼ばれ、一撃離脱戦闘法が集団的に運用された時の戦果と帰還率の高さが周囲から認められていました。

ハルトマンは1943年9月〜1944年9月の1年間で250機以上のスコアをこの第9隊長時代に上げています。

 Luftwaffe_02.jpg

 飛行隊になりますと、3つの中隊に加え、4機の飛行本部小隊がつきます。合計40機もの部隊ですね。

第Ⅰ飛行隊が第1〜第3中隊。第Ⅱ飛行隊が第4〜6中隊。そして第Ⅲ飛行隊が第7〜9中隊となります。

 飛行隊長などは機体の横に左のようなマーキングをして識別をしています。よく見ますよね。松本零士の漫画の「我が青春のアルカディア号」ハーロック大尉の機体は飛行隊長のようでした。 ハルトマンも1945年2月に第52戦闘航空団の第I飛行隊長になり、このマーキングをつけています。

Luftwaffe_03.jpg

 3つの飛行隊と航空団本部小隊が合わさって124機編成が航空団になります。しかし同じ枢軸国のスロバキア空軍(第13飛行中隊)や、クロアチア空軍(第15飛行中隊)なども所属していた時期がありますのでもう少し機数は多かったかもしれません。
 JG52はこの編成でソ連と戦い抜き1万機を超える撃墜数を上げます。
 パイロットの損失は、1940〜1945年までに680人の損失を出しましたが(事故死、行方不明、捕虜、負傷による離脱を含む)、めざましい成果とともに、損失も大きかったと思います。124機の標準編成で680名って、5回以上全員が入れ替わっている計算になるのでしょうか。大戦後半のソ連機との戦力比は1:10以上もあったそうですから、ドイツ軍のパイロット達は過酷な戦いによく耐え抜いたと思います。

 このJG52の航空団司令官として有名なのが、ディートリヒ・フラバク大佐(1942年11月1日 – 1944年9月30日)と、ヘルマン・グラーフ 中佐 (1944年10月1日 – 1945年5月8日)の二人でしょう。二人とも最終撃墜数がそれぞれ125機と、212機と立派なエースです。

 特に フラバク大佐は、戦果の多寡ではなく指揮能力、戦術作戦能力、指導力の質の高さで部下達から敬愛されています。
大佐の言葉で 「もし戦果を挙げて帰還しても僚機を伴って帰ってこなければその戦闘は負けである。」という言葉は若きエース、ハルトマンに多大な影響を与え、ハルトマン自身も「一度も僚友を戦死させなかったことが撃墜数よりも誇りである」と述べています。

Luftwaffe_04.jpg
 
 さて、ドイツ機は部隊の識別が大変分かりやすくなっています。9つの中隊(大戦後半は12の中隊)は、それぞれ飛行隊のマークと数字番号の中隊色によって所属がはっきり分かるようになっています。大戦後半には第Ⅳ飛行隊もできました。
JG52_09.jpg 更には、ソビエト戦線や西部戦線など戦地用の識別塗装や、本土防空の尾部の識別バンドによっても所属が分かります。
ですので塗装の考証よりも明確なものになっていますね。
 
 飛行隊長の幹部標識も、航空団司令、作戦将校、戦技将校などバラエティに富んでいます。食玩の塗装を見て、所属部隊を識別するのも面白いと思います。
 
 これ以外に公式の航空団マークと非公式の部隊マークがドイツ機の塗装を楽しくしています(笑)
 
 JG52部隊だけでも、正式な剣のマーク以外にこのような中隊マーキングまでありました。
 
有名な エンブレムはやはり第9中隊の赤いハートに矢の「カラヤ中隊」ですね。
ハルトマンも最後の機体に付けていました。
 
 この部隊エンブレムは、作戦名に関係したエンブレムや、戦地に関連した内容になっていたりするので、年によって違ったり、無かったりします。また戦局が悪くなるにつれ、このようなエンブレムも無くなってきます。
 
 SC 10.jpg
  さて、食玩の写真を見てみると、機種の所に部隊エンブレムがついているので所属の航空団が分かります。(右図)
そして国籍マークと数字の7の前に白い棒があることから、
第Ⅱ飛行隊であることが分かります。 色は白なので、第4中隊の7番機であるということが分かる訳です。
SC 11.jpg
 
 こちらは、所属の航空団は分かりませんが、航空団司令機であることが分かります。(左図)分かりやすいけど、いい加減なマーキングもできませんね(笑)
 
 
  このJG52は、ルフトバッフェで一番有名で最強の部隊だけあって、JG52ファンのネットまで存在します。(ドイツ語)
 

→Jadggeschwader 52

その後のエースパイロット達の人生を見てみるのもまた感慨深いものがあります。

JG52に所属したエースパイロット達を記載しておきます。順位の( )内はドイツ空軍全体の順位になります。

1位(1位) 352機撃墜 エーリヒ・ハルトマン少佐 (9./JG52 、7./JG52、Ⅰ./JG52)

2位(2位) 301機撃墜 ゲルハルト・バルクホルン少佐(4./JG52、4./JG52、Ⅱ./JG52)

3位(3位) 275機撃墜 ギュンター・ラル少佐 (8./JG52、Ⅲ./JG52)

4位(6位) 237機撃墜 ヴィルヘルム・バッツ少佐(Ⅱ./JG52、5./JG52、Ⅲ./JG52、Ⅱ./52)

5位(9位) 212機撃墜 ヘルマン・グラーフ大佐(9./JG52、JG52司令)

6位(15位) 203機撃墜 ヘルムート・リップフェルト大尉(6./JG52、Ⅱ./JG52)

7位(16位) 197機撃墜 ヴァルター・クルピンスキー少佐(6./JG52、7./JG52)

8位(23位) 176機撃墜 ヨハネス・シュタインホフ大佐(4./JG52、Ⅱ./JG52)

9位(27位) 173機撃墜 ハインツ・シュミット大尉(Ⅱ./JG52、6./JG52)

10位(31位) 157機撃墜 ハインリッヒ・シュツルム大尉(Ⅱ./JG52、4./JG52 )

 有名なエースパイロット達がひしめき合ってますね。4位の267機撃墜のオットー・キッテルは、JG54所属で、Me262のJV44の指揮官で有名なヴァルター・ノヴォトニー 少佐(252機撃墜)は5位でした。
 アフリカの星で有名なハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉は158機撃墜で30位です。JG52所属のエースパイロット達は生き延びている人たちが多いですね。

関連記事→本日はドイツのエース、ゲハルト・バルクホルンの命日です。

参考になります。

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