前回の続きでイタリアの撃墜王、フランチェスコ・バラッカにまつわる話を検証していきます。
検証その1 「跳ね馬」のデザインは撃墜したドイツ軍の機体に描かれたパイロットの故郷、シュツットガルト市の紋章を拝借した。
この説も事実のように出ていますが、ソースを見ると撃墜したという戦闘機の名前が違いますし、記録は正確に記載されていることが多いので、現在では否定されているようです。でもシュツットガルト市はポルシェのデザインとして使用するのはOKを出したというのですから、ここら辺が因縁のライバルという感じで、話的には面白いですよね。
ちなみにこのサイトで、撃墜全スコアを見ることができます。5機目撃墜時にエースになった記念に相手の機体の紋章を拝借したとされる飛行機はアルアトロスB(???)だそうですが、これはおそらくアルバトロスDのことですね。でも撃墜記録を見るとその月はハンザ-ブランデンブルグC.Iだけです。うーん。
検証その2 ライバルのポルシェのエンブレムもシュツットガルト市の紋章を使っているので、出処がおなじなので因縁のライバルになっている。
ポルシェのエンブレムは本拠地であるシュツットガルト市の紋章が由来。これは公式で間違いのない事実だそうです。ただ、フェラーリまで同じエンブレムを使用したという話は非常によくできた話だと思いますが、検証その1で違うようですので、この話も誤りといえそうです。
実際にフェラーリが「跳ね馬」の紋章を登録商標しようとしたところ、シュツットガルト市がこのデザインの所有権を主張して紛糾したという話はあったようです。そして、地元の会社であるポルシェ社にはデザインを許可したと言いますから、そこら辺の事情が面白く脚色されているのかもしれませんね。
また、バラッカのデザインのもとである騎兵部隊の馬は基本的には去勢した牡馬、すなわち男の子です。なぜなら子供を産めるメスを戦争で失うのはもったいないため。これに対し、シュツットガルトとはそもそも「シュトゥート・ガルテン=牝馬(ひんば)の園」という意味であり、同市の市章に描かれた馬は実は女の子なのです。こういうところからも両者は同根ではないことがわかります。言うなればフェラーリは男の子、ポルシェは女の子というわけですね。こういう話も面白いものです。
検証その3 フェラーリの創業者、エンツォ・フェラーリが言うには、バラッカ中佐の両親から死んだ息子の「跳ね馬」のエンブレムの使用の申し出があった。
創立者であるエンツォ・フェラーリがアルファロメオのレーシングドライバー時代に初優勝した際にバラッカ少佐の母親から贈られたものだというのがフェラーリ側の公式発表です。YouTubeにもありました。
The genesis of the Ferrari brand / La genesi del marchio Ferrari
しかし、これもウィキペディアを見ると諸説が出ていますが、兄アルフレードがバラッカ中佐の第91中隊に所属していた縁もあったという説は、兄ではなく息子の名前です。(兄はディーノ)
検証その4 バラッカ中佐の跳ね馬は騎兵隊時代からの部隊マーキングなので、バラッカ中佐のエンブレムといえ、使うことはできないはずなので、検証3のエンツォの話は創作ではないか。
これの出処は、 「エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像」から来ています。「英雄の母親とはいえ息子の部隊章の使用許可を与える権限はなく、この話はエンツォの創作ではないか」と考察しています。イタリアの国民的英雄のバラッカ中佐のマークをフェラーリのエンブレムにすることで箔がつくのは確かですので。
しかし、エンブレムをよく見ると、跳ね馬は、バラッカの個人マーキングで、部隊マーキングは反対側の胴体に描かれたフライングライオンなのです。なので、バラッカ中佐の母親が フェラーリにパーソナルマークを贈ることは問題がないように思います。
管理人的にまとめますと、バラッカ少佐の最初の所属部隊の第2騎兵連隊 ピエモンテとバラッカ中佐の第91中隊とのエンブレムは何ら関連性がない。ただ、騎兵隊の「跳ね馬」はバラッカ少佐のパーソナルマークとしてオマージュされている。敵機の機体に描かれたとするシュツットガルト市の「跳ね馬」とも何ら関連性もない。ポルシェの馬は女の子、バラッカ少佐の馬は騎兵の馬なので男の子。「跳ね馬」は少佐のパーソナルマークなので、少佐の両親がエンツォ・フェラーリに贈るのは不可能ではない。といったところでしょうか。
イタリアの英雄の象徴でもある「跳ね馬」(イタリア語で「カヴァッリーノ・ランパンテ」)が、真紅のフェラーリに引き継がれたというのはロマンがありますね。そうであって欲しいと願います。
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