本日のこの日ですが、 第二次世界大戦の連合国軍(アメリカ航空軍)がドイツに対するシュヴァインフルト=レーゲンスブルク爆撃作戦を実施した日です。作戦は第二次大戦史上有名であり、アメリカ空軍が最も激しい損害を被った作戦でした。今日でちょうど70年にあたります。(1943年8月17日)
第二次大戦時の1943年の7月、アメリカ軍も兵力の準備が整い、ドイツ本土への本格的攻撃を始めます。当初はB-17のような重爆撃機による長距離侵攻作戦では、ついていける護衛機もなく、搭載した機銃武装と密集編隊による防御火力の濃密化で迎撃十分可能という判断でした。
爆撃の攻撃対象ですが、産業のどこの部分を破壊すれば経済機構全部を麻痺させることができるか、その弱点を探しだす理論で「石油」、「合成ゴム」、「ボールベアリング」などの生産工場はその筆頭にあげられる攻撃目標でした。
ドイツの「シュヴァインフルト」という地方都市はボールベアリングの約半数を生産する代表的な生産工場であり、「レーゲンスブルク」という都市は航空機のメッサーシュミット社の工場郡でありました。
8月17日、アメリカ第八航空軍はこの二つの都市の同時攻撃に出撃します。
その結果ですが、「レーゲンスブルク」に向かったB-17は146機中24機が撃墜されてます(16.4%)。この部隊は、イギリスに戻らず北アフリカの基地に向けて脱出します。その後、イギリスに戻るのですが、この時に更に20機が飛行不能として残されました。
「シュヴァインフルト」へ向かった部隊は更に過酷でした。悪天候により、第一波と第二波の攻撃の差が開いてしまい、ドイツ空軍から準備万端の体制で迎撃されてしまいます。イギリス基地への帰路も攻撃にさらされ続け、230機中36機(15.7%)を失うことになりました。
アメリカ第八航空軍の実戦部隊の10.3%がこの一日で喪失し、戦死や捕虜などによる乗員の消耗は17.5%にも上りました。部隊の仲間の約6人に1人がこの一日で失ったことになります。
攻撃目標を二つにしたことは、戦力を分散させることになり、失敗であったと言われています。上層部の考えは完全に甘かった、という事になります。
護衛戦闘機の航続距離の不足が弱点であり、これは逆の立場でも、イギリス本土上空での戦いを行った「バトル・オブ・ブリテン」でのドイツ空軍戦闘機にもいえることでした。
結局、爆撃機と乗員の補充、そしてP-51などの長距離侵攻が可能な護衛戦闘機が揃うまで、ドイツ本土の重要目標への爆撃を一時的に中断する事態に追い込まれます。
「シュヴァインフルト」へはもう一度攻撃に向かうことになるのですが、乗員の中には「シュヴァインフルトだけには行きたくない」と恐れる乗員もいたようです。
作戦事態は多大な犠牲を出してしまいましたが、ドイツ側の被害も大きく、その翌日、ドイツ空軍総参謀長イエショネク大将はピストル自殺を遂げます。ドイツ空軍の防空体制も壊滅状態に近いものだったからです。1943年の上半期だけでドイツ空軍戦闘機の損失は19.9%にも上りました。1943年に在籍した戦闘機パイロットはこの半年間だけで67%も失ってしまったのです。激しい航空戦はどちらも過酷な状況を生み出していきます。
参考「ドイツ空軍全史」Wマーレイ著より
<関連記事>→本日はバトル・オブ・ブリテンの日です。
この第八航空軍の活躍を描いた映画も製作されています。映画『メンフィス・ベル』1990年公開
「頭上の敵機」劇場版・TV版 (1949/1964)
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空の要塞も護衛機がいないと、被害が大きかったのですね。
by Falcon (2013-08-17 11:42)
Falconさま
さっそくのご訪問とコメ、ありがとうございます。昼間の爆撃機の攻撃はイギリス軍も反対していたのですが、B-17の火力と兵力に慢心があったと言われています。
by onemore (2013-08-17 11:50)