愛知九九式艦爆に付属しているデカールについて調べてみました。ラインアップは以下の通りです。
●99式艦上爆撃機
A.99式艦爆11型 赤城攻撃隊
B.99式艦爆11型 飛龍攻撃隊
C.99式艦爆22型 名古屋海軍航空隊
まずは「A」タイプから。
A.その1/ 赤城攻撃隊〜第2中隊第25小隊1番機
阿部善次大尉機(AI-201)
第二次攻撃隊降下爆撃隊の第二集団の指揮官江草少佐指揮下で参加しています。三本線なので飛行隊長ですね。
阿部善次大尉は、その後もオーストラリア北西部、インド洋方面、アリューシャン作戦、ガダルカナル島攻撃、マリアナ沖海戦と戦い抜け、戦後「艦爆隊長の戦訓 勝ち抜くための条件」という著作も出しております(ペンネーム阿部善朗)。2007年に90歳に帰天されました。
A.その2/ 蒼龍攻撃隊〜第1中隊第21小隊番機
(BI-239)
青の一本線なので空母「蒼龍」搭載機です。 第二次攻撃隊降下爆撃隊では蒼龍から18機参加しています。その中の1機と思われます。
「B」タイプ
B.その1/ 飛龍攻撃隊〜第1中隊第23小隊1番機
山田喜七郎一飛曹機(BⅡ-231)
この機体も第二次攻撃隊降下爆撃隊の第二集団の指揮官江草少佐指揮下で参加しています。山田一飛曹は、ミッドウェイ海戦にて戦死されました。
尾翼の長機識別帯の基準は、1本線が小隊長、2本線が分隊長、3本線が飛行隊長です。色は航戦割当色を使用するのが基準ですが、1航戦、2航戦の場合は黄色が使われることも多かったそうです。
この機体は一本線なので少隊長機であることが判ります。
B.その2/ 加賀攻撃隊〜第3中隊第27小隊1番機
伊吹正一大尉機(AⅡ-250)
この機体も第二次攻撃隊降下爆撃隊の第二集団の指揮官江草少佐指揮下で参加しています。伊吹正一大尉は、同僚の偵察・通信士を失うものの終戦まで生き延びました。
九九式艦爆は二人乗りで、操縦士は、爆撃手も兼務してました。
後方の乗員は偵察、通信、急降下中の高度を操縦士に確認する、後方機銃の射手を兼ねます。
急降下中は操縦士は爆撃目標を注視しているので高度計を確認するのが難しく、引き起こすタイミングを後ろの乗員が教える役目を担っています。急降下爆撃は二人の共同作業なのですね。
「C」タイプ
戦争中期以降の性能面での不足から1943年の1月から22型を正式採用、実践に投入します。
22型はエンジンを金星四四型(1070hp)から、金星五四型(1300hp)に換装した他、プロペラスピナーの追加、風防の後部延長等の変更およびエンジンカウリングや尾翼前縁の形状変更などが施されています。
22型はカウリングと風防の形状がだいぶ異なるので印象が変わりますね。うれしい初キットです。
名古屋海軍航空隊は艦上攻撃機の実用訓練を主な任務としていましたが、昭和20年2月には、特攻隊の訓練が始まりました。
神風特別攻撃隊「草薙隊」として沖縄へ出撃していきます。
22型は1943年から正式採用され、11型の倍近い816機が製造されましたが、活躍の場がすでになく、苦戦を強いられることになります。
C.その2/百里原海軍航空隊(ナコ-251)
百里原海軍航空隊は茨城県の航空隊で、名古屋海軍航空隊と同様、訓練部隊の一つでしたが、後に哨戒実施部隊となり、末期には特別攻撃隊を編成し、沖縄方面の特攻作戦に従事しました。
シークレットは、この22型で横須賀海軍航空隊でした。やはり11型でいいですから 江草少佐機を出して欲しかったですね。
付属のデカールは以上になりますが、MYKデザインのアシタのデカールを使用することで、多くのバリエーションを楽しむことができます。
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●真珠湾攻撃と急降下爆撃機の記事はこちらも御覧ください。
→真珠湾攻撃隊のマーキングについて調べてみた 知っておくと便利かもです。
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