第二次大戦の日本の軍用機はそのほとんどが空冷エンジンです。
速度重視の戦闘機などは、空力的には液冷式が優位なのですが(被弾には空冷が優位)、実用化された戦闘機だと三式戦「飛燕」ぐらいしか見当たりません。逆にドイツなどでは液冷エンジン大国で、フォッケウルフFw190Aが唯一の空冷エンジン搭載の戦闘機になります。
日本は最初から最後までエンジンに悩まされました。堀越二郎氏も九六式艦戦から最後の烈風に至るまでエンジンの選定とその性能に頭を悩まし続けていました。
航空機はそのデザインなどのセンスが大事で、天才的技術者の力量によるところが大きいのですが、エンジンともなるとその国の技術の集大成になりますので、一気に向上する訳にはなかなか行かなかったのでしょう。
結局、エンジンはドイツのダイムラー・ベンツ社の DB600G、DB601Aなどをライセンス生産することで、なんとかしようとします。
しかし、この生産するにあたるライセンス料ですが、同じエンジンを陸海軍がそれぞれ支払ったことからヒトラーから「日本陸軍と日本海軍は敵同士なのかwww」と言われたとか。発言の真偽の程はともかく、実際に海軍は愛知に、陸軍は川崎にこのDB601を作らせました。
陸軍と海軍の仲の悪さは確かにありましたが、それでも当初は愛知一社で陸・海軍に供給する予定だったそうで。しかし愛知だけでは生産供給が追いつかず、液冷エンジン生産に実績のある川崎にも追加で生産させるために契約を交わしたというのが真相だそうです。
でも、国家間同士の契約ですので、バカ高いライセンス料をわざわざ同じエンジンに支払うなんて日本人って律儀というか、生真面目だなと思わせたのがヒトラーの発言を生み出したのではないでしょうか。
他にも太平洋戦争中も、日本はユダヤ系の商社を通じてアメリカにライセンス料を払っていたと聞いたことがあります。
実は日本の軍用機のプロペラはその多くがアメリカのハミルトン式可変ピッチプロペラなのですが、戦時中は流石にライセンス料が払えなかったから、終戦後、三菱がアメリカのハミルトン社を訪ね、戦時中に生産したプロペラのライセンス料を払いに行ったという話もありました(笑)。
驚いたアメリカは 「少し待て、計算させる・・・・。合計して1ドルだ。1セントもまけないからな」と返答したとか、しないとか・・・。
真偽の程は分かりませんが、たとえ敵国であっても「ライセンス料は払います」と言う姿勢が戦前戦後を通じて日本にはあったのは確かなようです。契約文化の西欧にとって、日本と言う国がそれなりに認められているのは、この点かもしれませんね。
話がずれましたが、 結局、こういうかたちになりました。
同じエンジンであるDB601Aを海軍はアツタ21型として、陸軍はハ40として、それぞれ生産をすることになります。 このDB601Aエンジンは当時としてはかなり優秀なエンジンで、あのメッサーシュミットBf109EやイタリアのマッキMC.202にも搭載されて活躍します。
このエンジン、燃料直接噴射ポンプを搭載していて、高起動が求められる戦闘機でマイナスGがかかってもエンジンが息つきしないことでスピットファイアにも優位に立つことができました。
また、構造上、プロペラスピナーの中心から機銃を発砲できるので、射軸が機体の中央に置けることにとり命中精度を上げることができました。まさに戦闘機のエンジンとしてはうってつけだったのです。
ということで、高速性を求められる戦闘機には三式戦「飛燕」に搭載。そして高速爆撃機「彗星」に搭載してデビューすることになります。
しかし、実際の運用は大変で、最前線での故障とトラブル。低い稼働率。 そして工場では、エンジンを積んでいない彗星と飛燕がずらりと並ぶことになります。
→続く
1/48スケールでDB605Aエンジンが、ディテールアップパーツとしてファインモールドから発売されていますね。もちろん飛燕や彗星にも使えます。
→1/48ダイムラーベンツDB601エンジン (プラモデル)
プロペラステッカー(2枚組み)『HAMILTON』(ハミルトン)DECAL |
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佳いものを作る。整備して維持する。
どちらも設備と人が高度な知識を要します。さらには部品製造力。供給力。
それが日本にはなかったですね。
日本のエンジン技術はまだ当時は二流だったのでしょうか。
ガソリンの質も出力を計画通りに出せない要因だったように思います。
by 楽しく生きよう (2013-10-14 07:41)
楽しく生きよう さま
そうですね。明治維新から昭和初期までの期間でみると、よくぞここまで日本は追い上げたもんだという感じではあります。
by onemore (2013-10-15 13:22)