SSブログ

本日はドイツのエース、ゲハルト・バルクホルンの命日です。


Cap 997.jpg

Gerhard Barkhorn(1919〜1983)

300機超えのスーパーエース

 ゲハルト・バルクホルンという第二次大戦下のドイツ空軍のパイロットがいます(1919年3月20日生 - 1983年1月8日没)。
 撃墜スコアは301機という、世界中で300機を超えるスコアを出したのは、もう一人の英雄、エーリッヒ・ハルトマンの二人だけでした。この記録は今後破られることはないといえます。

 出撃回数は1104回。9回撃墜され、3回負傷しました。搭乗機は、Bf109E/F/G型、Fw190D、そしてJV44のジェット戦闘機Me262に搭乗しています。

800px-Bf109_G_Barkhorn.jpg
バルクホルン搭乗機のBf109G-6、JG52第II飛行隊長時。1943年11月


ドイツの撃墜認定

 第二次大戦のドイツ軍のパイロット達の撃墜数は他国に比べて異常に高いですね。最初は誰でもこの数字に疑問を持つのですが、ドイツでは、撃墜成果の判定は非常に厳しく、ドイツ人らしい几帳面な記録を数多く残しています。他国に比べ、ガンカメラの映像や僚機の証言、地上での目撃者など事細かに調査した後に撃墜を認定したため、戦後は疑いの目で見られていたエースたちの戦果は、このような調査結果を知った連合国側からも認められています。

 この二人の記録も、撃墜日の時間、相手の機種、場所の詳細などの記録が全機分残っています。

 このドイツ空軍パイロットたちのスコアだけが突出した理由ですが、ともかく、出撃数が非常に多く、戦闘回数も多いのです。これは、日本と違い、作戦の行動範囲が狭いということ、撃墜されても帰還する確率、生存率も高いことも影響しています。バルクホルンでさえ9回撃墜されていますが、日本では9回も撃墜されたら太平洋の海原や防弾装備の貧弱さから、まず生還できなかったことでしょう。

 また、アメリカ軍パイロットのように50回出撃したら(時期の違いはありますが)、休暇や後方勤務に回れるので、当然空戦の機会はなくなり、スコアも上がりません。

  多い日には1日に7回も8回も出撃したドイツ空軍のパイロットたちの体力、精神力はすごいと思います。結果、他国に比べて異常な数のエースパイロットたちが誕生しました。

 東部戦線の撃墜数が多いのも特徴ですが、これは、戦ったソ連のパイロットたちの腕が当初は未熟だったということもあります。戦局が終盤になるにつれ練度は向上していくのですが、当初はバタバタと撃墜されていました。


新米のうちはとにかく生き延びること


 また、撃墜されるのは、どこの国でも、「新米パイロット」が一番多いです。
ドイツでも、こうしたトップエースの陰に、1機も落とせず死んでいった大多数の新米パイロットたちがいます。訓練期間もどんどん減らされ、空戦さえおぼつかない新米が大勢いました。

 このバルクホルンも最初の一年間はまったく成果が上がっていません。120回目の出撃にしてようやく1機目を撃墜するかたちです。その間に自らは1度撃墜もされています。トップのハルトマンでさえ、初めての戦闘でパニックになり、僚機を敵機と勘違いし逃げまわり乗機を破壊している始末です。

 二人の撃墜数のグラフはこちらになります。(クリックで拡大)

Cap 998.jpg

 
 バルクホルンもハルトマンも配属されてから初戦果を上げるまでの期間が長いですね。バルクホルンは一年以上は平均的なパイロットであったように見えます。この間、ひたすら生き延びて飛行時間を増やしていったのでしょう。一度成果が出始めると驚異的な成長を見せ始めます。
 最初のうちは、とにかく生き延びること。そして操縦時間を増やすこと。これがエースになる条件でもあったかもしれません。

Cap 999.jpg

 ハルトマンが実戦に参加する1942年半ば頃には200機超えのヘルマン・グラーフ始め、大エースたちがゴロゴロといました。しかし、これ以降に実戦に参加してエースパイロットになっていたった者はほとんどいません。訓練時間が短すぎて一人前になる前に落とされてしまうケースが多かったものと思われます。

 バルクホルンもハルトマンも東部戦線でソ連機を相手に(最後は米軍機も)戦い抜き、終戦まで生き延びました。そして戦後のドイツの復興のために残りの人生を費やすことになります。

戦後のバルクホルン

 バルクホルンは、戦後、長く恋人関係にあったクリストルと結婚し、彼女との間に3人の子供を授かります。そして1956年、西ドイツ空軍に入隊し、1976年に少将で退任しました。
 1983年1月6日、バルクホルンとクリストルは、ケルンで自動車事故に遭遇します。妻のクリストルは即死し、バルクホルンは病院に搬送されましたが1月8日に死亡します。享年63歳でした。
 ハルトマンはこの戦友であり親友でもあったバルクホルンの死を聞いてショックを受け、車での運転を控えるようになります。伝記など読んでいても、パイロットたちは、交通事故で亡くなるケースが他の軍人と較べて何か多いように思います。原因があるのでしょうか。戦争をせっかく生き延びたのに事故で亡くなるなんて不運に思います。

 
ゲハルトバルクホルンの撃墜成果の全記録はこちらで見ることができます。
→http://www.luftwaffe.cz/barkhorn.html

関連記事→ドイツ空軍最強の部隊JG52について調べてみた

ドイツ空軍エース列伝

新品価格


¥2,310から
(2014/1/8 21:54時点)

始まりと終わり ドイツ空軍の栄光――アドルフ・ガランド自伝 (WWセレクション)

新品価格
¥3,990から
(2014/1/8 21:56時点)

メッサーシュミットBf109E-4 ドイツ空軍不屈のエース [DVD]

新品価格
¥2,990から
(2014/1/8 21:57時点)

東部戦線のメッサーシュミットBf109エース (オスプレイ軍用機シリーズ)

新品価格
¥1,890から
(2014/1/8 22:40時点)

こんな記事もどうぞ

来たよ(33)  コメント(2)  トラックバック(3)  [編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 33

コメント 2

楽しく生きよう

日本は不利でしたね。
必ず海越しで撃墜されても戻れる確率が少なかったですモンね。
by 楽しく生きよう (2014-01-09 20:52) 

onemore

★楽しく生きようさま
こんばんは〜。
日本の操縦士たちは過酷でした。
大海原で発動機の故障が起きたら死に直結していますし。
訓練不足で実戦に投入される操縦士たちも・・・。
by onemore (2014-01-10 22:31) 

トラックバック 3

トラックバックの受付は締め切りました
Copyright © 1/144ヒコーキ工房 All Rights Reserved.

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。