ドイツの侵攻作戦のひとつであるイギリス上空の制空権の争い、通称「バトル・オブ・ブリテン」ですが、必ずといっていいほど、「もし、バトル・オブ・ブリテンに零戦が投入されていたら?」という話が出てきます。
零戦最強伝説?
このバトル・オブ・ブリテンのドイツの敗因にBf109Eの航続距離の短さが指摘されています。
Bf109は、イギリス上空で数十分しかいる事ができず、爆撃機の護衛ができなかったことから、仮に零戦だったら航続距離が長いので、思う存分護衛ができ、しかも、スピットファイアも実際の空戦で圧倒した戦歴があることから、この戦いは違った結果になったのではないかという話です。
Bf109の航続距離はわずか660km。かたや 零戦は増槽ナシでも2,200km、増槽(落下タンク)装備ならなんと3,350kmの長距離を誇ります。
管理人も何度聞かされたことか(笑)。「永遠のゼロ」の小説でも出てくるので、未だに語られている説なのでしょうか。
ちなみにバトル・オブ・ブリテンとは、
これから4ヶ月間の激闘がイギリス上空で繰り広げられることになります。バトル・オブ・ブリテンの期間中に、イギリス空軍戦闘機隊はドイツ空軍機1,887機(戦闘機・爆撃機合計)を撃墜したとされます。バトル・オブ・ブリテン
1940年7月10日から10月31日までイギリス上空とドーバー海峡でドイツ空軍とイギリス空軍の間で戦われた航空戦である。 圧倒的な軍用機の保有数において空戦はドイツ空軍が優位に立った。イギリスは軍民一体となって空軍を支援した。近代的なレーダー網を活用した要撃体制を構築し、イギリス連邦諸国から人的支援、中立国アメリカ合衆国からは経済支援を得ることが出来た。
ドイツ空軍は7月中旬から内陸部の飛行場を狙った空襲を繰り返してイギリス空軍に打撃を与えた。しかし、目標選定の失敗や必要な軍用機の整備不足により、ドイツ空軍も大きな被害を受けた。10月になってイギリス空軍はドイツのイギリス上陸作戦を断念させることに成功した。その意味でバトル・オブ・ブリテンの結果は第二次世界大戦の重大な転機となった。 ウィキペディアより
例えば、双発戦闘機として開発されたBf110はバトル・オブ・ブリテンでは使い物にならず、使用目的からみても完全に駄作と言われ、消え行く運命にありましたが、夜間防空の任務では双発のパワーから重武装、レーダー搭載もでき、優秀な夜間戦闘機として生まれ変わりました。
Bf109も、長距離の護衛戦闘機という新しい任務は想定していなかったので結果的に失敗しましたが、本土防空の任務には戦争の全期間を通じて任務を達成してしまった名戦闘機といえます。
そもそもBf109は、求められる任務を達成するために高速重視の薄い翼内にして燃料を積む設計ではありませんでした。爆撃機に随行する航続距離はその時は求められていなかったのです(その後、胴体の倍近い燃料を入れられる落下タンク(増槽)を装備したE-7型が生産されましたが、バトル・オブ・ブリテンには間に合いませんでした)。
かたや、零戦は、初戦の任務を達成し、勝利に貢献した大戦初期の名戦闘機ではありますが、大戦の中期以降の任務は成功したとはいえないと思います。
日本本土防空戦になると航続距離よりも迎撃に向かう上昇力、攻撃力が求められますが、日本機はその任務で合格点が出たかというと大いに疑問です。
そもそも零戦は欧州では正式採用されるような飛行機なのか
また、あまり語られていない点として、そもそも「零戦は欧州では正式採用される飛行機なのか?」という疑問があります。
Bf109が採用になる時に候補としてハインケルHe112というライバルの戦闘機がありました。
この戦闘機、格闘性能も優秀で、日本もなぜ、真っ直ぐ飛ぶことしかできないBf109が採用になり、このHe112が採用にならなかったのかを不思議がりました。ナチに批判的だったハインケル博士とナチ党員だったウイリー・メッサーシュミット博士の政治力のせいもおおいにあったと言われていますが、しかし、He112では、総合的に優秀であっても、おそらく戦争を戦い抜くことはできなかったのでは?と思うのです。
それよりも「一撃離脱戦法の一点に特化したBf109」であるからこそ、次々と開発される米英機にチェーンアップして対抗できたのではないかといえるのではないでしょうか。
そうした事情を考えると、零戦は残念ながら「欠陥品」のレッテルを貼られたのではないでしょうか。「過酷な欧州戦線では防弾のない戦闘機は軍用機ですらない」といえます。
ま、日本では逆に「格闘戦ができない戦闘機など戦闘機ではない」とする節がありましたからこれは用兵の違いであると思います。
では、零戦が欧州戦線でドイツ軍に採用されるにはどうすればいいのでしょうか?
まず、防弾装備の無い翼内タンクなど危険物以外の何物でもありませんので外してしまいます。長大な航続距離も必要ありませんし。残りの胴体内のタンクも防弾処理が施されて容量が大幅に減少するはずです。
パイロット用の防弾鋼板や防弾ガラスが取り付けられ、空中分解しないよう機体強度も軍用機にふさわしいだけ確保され、重量は大幅に増加することでしょう。機銃や無線機はもちろんドイツ製です。
格闘戦ができる専用のパイロットの養成にも相当時間がかかるはずです。そして戦闘の仕方も戦隊の組み方も格闘戦闘にふさわしいものが検討されるはずです。
これでは、零戦の性能が十分に発揮できないばかりか、ドイツ空軍の組織のあり方まで複雑化されてしまいます。ここまで改修されてバトル・オブ・ブリテンに投入されても1000馬力級の非力なエンジンで戦えるだけの性能を維持できたでしょうか。うーん、大いに疑問です。
おそらくHe112にも劣るか、採用になっても早々に練習機に回されてしまう可能性があるように思います。
歴史にIFはつきものですが、こう考えていくと「零戦がバトル・オブ・ブリテンに投入されていたら」というのはかなり無理があるのかなぁと思います・・・・。
ですので あえて言うなら、日本の優秀なパイロット付きの戦闘部隊が傭兵部隊としてドイツ空軍に参加するというかたちなのでしょうか。
でも当時のバトル・オブ・ブリテンは1940年7月に開始、4ヶ月間の激戦期間でした。同じく7月に配備されたばかりの零戦11型は64機のみ。この貴重な新鋭機の戦力を部隊ごとドイツに回すのもかなり無理がありますね。
模型としては、鉄十字の零戦というのも面白いとは思うのですが・・・。
現実的なのは、増槽装備型のBf109E-7型が1940年の8月に生産されて航続距離の問題が解決できていたのにも関わらず、実際の配備に間に合わなかったので、これが最初から配備完了していたらというところなのでしょうか。
史実でルフトバッフェがイギリス空軍をつぶせなかった最大の要因は、Bf109の航続距離なども含めた機体の問題というよりもむしろ、ナチスドイツの上層部の開発コンセプトの甘さ、作戦指揮能力にあったといえます。
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こんな架空小説も出ています。
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人がいての飛行機ですから防弾装備がない零戦はそら飛ぶ棺桶と行っても佳いでしょうね。
先日のコメントで海の事書きましたが、この防弾装備も大きな要因ですね。
by 楽しく生きよう (2014-01-14 20:30)
楽しく生きようさま
そうだと思います。
敬服するには文句を言わずに乗り込んだ日本のパイロットたちだと思います。
by onemore (2014-01-15 20:46)