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ついてないカタヤイネン(その2)〜フィンランドのエースパイロット

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さて、前回の記事の続きになります。
 フィンランドのエースパイロット、通称「ついてないカタヤイネン」こと、ニルス・カタヤイネン中尉ですが、彼の数奇な人生は、幸運と不幸が順番に襲ってくること、そして恐いのは、「幸運」と「不運」がちゃんと釣り合うようにやってくることです。幸運であればあるほど、次にはそれに見合う不幸が彼を襲います。まるでどんどんエスカレートしていくシーソーゲームのようです。
 彼は不運な事故や銃弾を浴びながらも毎回、奇跡的な生還をし「不死身のカタヤイネン」、「ついてないカタヤイネン」いや、「ついているカタヤイネン」と言われてもいました。

 しかし、その度に貴重な戦闘機を壊し続け、操縦士として屈辱的な左遷もされたりしてきました。
 運命に翻弄されたカタヤイネンですが、迫り来るソ連の猛攻に対し、エースパイロットの意地を見せ、最後の戦闘期間では、驚異的な大活躍をし、軍人としての名誉を手にするところまでこぎつけたのです。
 しかし、そんな彼を待っていたのはやはり、それに釣り合う「不運」でした。
 

「ついてないカタヤイネン」最後の戦闘
 1944年7月5日運命の日。この日、愛機であるBf109G(MT-476号機)で飛びたったカタヤイネンは、ソ連船団を攻撃する爆撃機の護衛につきます。船団の上空で、ソ連軍の戦闘機隊と交戦、激烈な航空戦が展開されるなか、カタヤイネンは1機のYak-9を撃墜するものの、船団の乱射した銃弾が彼の機体の命中してしまいます。
 やがてエンジンから黒煙が吹き出しますが、彼は貴重飛行機を捨てることをしないで、基地へ戻ることを決断します。

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 飛行場がようやく見えていた時でしたが、気化したガソリンでついにカタヤイネンは意識を失います。着陸速度に減速することもできず、時速500kmのまま、滑走路に突っ込みます。
 脚も出すこともできず、胴体が地面に接触した瞬間、機体はその衝撃で、駒のように激しく回転し、分解しながら、200mも飛んでバウンドし、さらにもう100m飛んでから、彼の機体だった部品はバラバラになって地面に降り注ぎました。
  胴体は基地の建物の上まで吹っ飛び、エンジンは吹き飛び、主脚は近所の家の屋根に突き刺さりました。

 生存など考えられないほどの大惨事です。
あぁ!いくら「不死身のカタヤイネン」でも、あれではとても生きていまい。ついに死神はあの男をとらえたのか・・・。地上の惨劇を目の前にした整備員たちは誰しもが思いました。生きているはずが無いのに彼らは残骸のもとへ駆けつけます。
 コックピットから放り出されたカタヤイネンは、ぐったりとなって主翼の側に横たわっていました・・・。
 死体を回収しようと抱え上げると、額がぱっくりと割れ、顔面は血まみれ・・・。
ところが、彼はまだかすかに息をしていました。

 カタヤイネンはすぐに病院に運ばれ、手術を受けます。しかし、額の傷は深く、全身各所に骨折を負って虫の息です。彼の人生の灯が間もなく尽きそうなのは誰の目にも明らかでした。
彼の戦闘機隊長、マグヌッソン少佐も駆けつけてきました。 
 マグヌッソン少佐は自分の胸から輝く勲章を外すと、カタヤイネンの胸の上に乗せます。それはフィンランド軍最高の武功勲章、マンネルヘイム十字勲章でした。戦闘機隊ではユーティランネンやウィンドらエースたちが次々と受勲していたにも関わらず、カタヤイネンはなぜか縁がなかったのです。
 しかし、こうして間もなく死にいこうとしているこの男に、最後の栄誉を与えてやって何が悪い。彼ほどこの勲章に値する男はいないのだ。ニルス、君はよく戦った、安らかに眠れ。マグヌッソン少佐は彼に語りかけ、そっと部屋を出ます。そしてカタヤイネンは意識を失いました・・・・。


「ついてないカタヤイネン」から「ついているカタヤイネン」へ
 しかし、カタヤイネンは死にませんでした!
 誰もが死にゆく運命だと思っていたのですが、彼は、幸運にも生き伸びたのです!そう、「死」という人生最大の不運の後には、「奇跡の生還」という最大の幸運が訪れたのです。
なんという数奇な運命!カタヤイネンは死神の鎌から振り切って生還したのです。

 そして彼の戦いは終わります、二ヶ月間の入院生活の後、再び戦闘機隊に復帰したカタヤイネンでしたが、もはや戦う相手はいなかったのです。
フィンランドは去る9月4日にソ連との間に休戦条約を受け入れていていました。そう、彼らの戦争は終結したのでした。

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 1944年11月10日、カタヤイネンは空軍を除隊しました。ソ連の圧力によってわずか60機と制限を加えられた空軍に残ることに意味を感じられなかったのです。他のエースも何人も空軍を去りました。
 1944年12月21日、フィンランド政府は、カタヤイネンに対しマンネルヘイム十字勲章を授与します。すでに休戦を迎え、ソ連は敵ではなくなりましたが、彼がこれを受け取ることに反対するものなどいようはずもいません。そして「不死身のカタヤイネン」はついに「ついてないカタヤイネン」の名を返上することができたのです。

 最終的なカタヤイネンのスコアは出撃回数196回で撃墜35.5機(協同撃墜1機)。フィンランド空軍第8位の堂々たるスコアでした。
 
 戦後、カタヤイネンは市役所に勤務し、定年まで堅実に職務を勤めます。そして1997年1月15日、カタヤイネンは故郷ヘルシンキで亡くなります。享年78才。
不運と幸運のシーソーゲームに勝った男は、安らかに天寿を全うしたのでした。

「ついてないカタヤイネン」でしたが別名「不死身のカタヤイネン」とも言われた男は、最後は「ついているカタヤイネン」の名にふさわしい人生になったのではないでしょうか。

 使命が終わったエース・パイロットたちの戦後の交通事故死などによるあっけない死を見るにつけ、何度も迫り来る死神に最後まで勝利した男であったと思います。

 色んな伝記を読むにつけ、この人の人生は本当に小説のようでした。

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 Nils Edvard Katajainen(1919〜1997)

 

カタヤイネンの乗機
ブリュースターバッファロー(B-239) BW-368号機 、BW-365号機、BW-353号機

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BW-368号機は1/72ハセガワから発売



Bf109G-2/G-6など(MT-476号機、MT-441号機、MT-436号機、MT-462号機など)
最後の乗機はMT-476号機

参考文献です。『北欧空戦史』『世界の戦闘機エース4 第二次大戦のフィンランド空軍エース』『世界の戦闘機エース49 フィンランド空軍第24戦隊』

→http://www.sci.fi/~fta/finace08.htm
(英語サイト翻訳)

 

 


 

 

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