村長への取材が実施されたのは、事故のわずか2ヶ月前、6月のことでした。
そして、なんという偶然なのか、その事故機に積まれていたのが『ウイング』85年9月号だったのです。
日本航空がこの不幸な偶然の一致に驚き嘆く事態になってしまうこと、インタビューを受けた黒澤村長がこの不幸な因縁に公私ともに振り回されることになるなど、予測できるものではなかったと思います。
それにしても全国に47もある都道府県のうち、よりによって群馬県が選ばれたのはなぜなのでしょう。
そして、まったくの偶然とはいえ、事故が起きた上野村の村長が取材対象者に選択されてしまったのはなぜなのでしょう。そして墜落していく123便の中の雑誌に落ちていく場所の村が掲載されていたなんて。
まさしく天文学的な偶然の一致であると思います。
「今年は世界的な注目を浴びることになる」と予言されていた黒澤村長
実は村長自身にも、不思議な偶然が働いていたそうで、その年の始めに村の占い師に次のような予言を聞かされていたことがその後の取材で明らかになったそうです。
「今年は、あなたが世界中に注目されるような出来事が起こる」と。
これはまた随分と大げさなことを言われたなと思った黒澤村長は、家に帰って奥さんにその予言の話をしました。
6月に取材を受けた時も、珍しいことではありましょうが、まさかこの取材では、世界的な注目を浴びるほどの内容ではないと思ったのでしょう。
しかし、その年の8月にこの村に突如落ちてきた123便の墜落事故。
「あの予言はこの事故のことを言っていたのね・・・。」騒ぎの最中に奥さんは村長にそういったといいます。
この『ウイング』9月号は、「乗客や遺族の方が事故を思い出すことがあってはならない」との日本航空の意向から、すべて廃棄処分にされたそうです。
村長の二ヶ月前のインタビューの数々はこの大事故によって葬り去られることになりました。
偶然とはいえ、あまりにも天文学的としか表現できない、不幸な偶然の一致であったと思います。
山崎豊子著作の「沈まぬ太陽」は、この123便の事故を一応名前を変えて書かれていますが、この黒澤丈夫村長は実名で描かれています。
実際の話として、昭和60年12月20日、身元不明のため引き取り手のいない遺体の一部を納めた、棺を前にして執り行なわれた、日本航空機ご遭難者身元不明者ご遺体出棺式で黒澤氏は式典の施主として以下の式辞を述べられたそうです。
以下「沈まぬ太陽」からの引用なのですが、 心を打たれる言葉です。
かつて零戦搭乗員として多くの同僚が戦場に散るのを見てきた、当時、72歳の村長の式辞には、崇高で、魂を揺さぶるような響きがあります。惟時、昭和60年12月20日、上野村長 黒澤丈夫
ここ前橋の地に祭壇を設けて
国民航空機遭難諸霊を祭り 謹んで御遺体に決別の辞を捧げます。
事故を振り返って、故障発生後30分諸霊が死の恐怖と戦いつつ、肉親を思い悩まれ、
搭乗機能回復を祈られた心情を思えば、我等の胸は張り裂けんばかりで、
惻隠の情を禁じえません。
肉親への恩愛の情は、理を超越して限りなく、人生一日も長かれと希うは万人の望み、
それを突如、発生した事故ゆえに、消滅されせられた諸霊とご遺族の心中を察すれば、
生者必滅は人の世の定めとは言え、余りにも非常な別離に誰か涙なきを得ましょうや。
況(ま)して一命を失うだに不運なるを、死して尚両親のもとに帰り得ない諸霊の非運を思えば、
涙更なるを覚えます。噫(ああ)、天も哭け地も哭け。
我等上野村民は今、諸霊に肉親の情を覚えつつ、ご遺族に連なる心で霊を迎えようとして居ります。
霊よ、安らかに上野村の天地にいだかれ給え
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こんにちは☆
はい 確か エフトイズ・ジパングのモノだと思います
収納スペースの関係上 箱は捨てていますので(笑)
スミ入れをしてみようか 迷っています
洋上迷彩の零戦 好いです アイディア最高です☆
by タイド☆マン (2014-08-13 16:36)
感銘を受けました、ありがとうございました
妻は8月12日が誕生日です
by koh925 (2014-08-13 19:09)
★タイド☆マンさま
二式水戦の洋上迷彩も使用目的からすると合いますよね(笑)
★koh925 さま
ご訪問とniceありがとうございます。
8月12日が誕生日ってあの日かぁって
覚えてもらえますよね。
うちの息子は8月6日の原爆の日が誕生日なのです。
by ワンモア (2014-08-16 04:12)