1939年というと、日本では零戦が正式採用される前の設計段階ですから、それを考えると当時のドイツの科学力は進んでいました。
実際の速度は計画値を下回る時速600 km/h程度で、滞空時間も10分程度だったので、レシプロ機に対して明確な優位性を示せず、試作2号機 (He 178 V2)
に至っては推力不足で離陸もできずに終わりました。
当然、非ナチ党員のハインケルに対する風当りは依然冷たく、積極的な援助は得られませんでした。
しかし、一部の技官の目にとまり、開発を続けるよう促す一方、他の航空機製造会社にもターボジェットエンジンの開発を非公式に打診します。
この発注仕様 109 が、後に軸流式の BMW 003、Jumo 004として具現化することになります。BMW 003は有名なMe262のジェットエンジンとして、Jumo 004も戦後にコピー生産されたエンジンとして知られています。
試験を終えた He 178 はドイツ空軍博物館に展示されていましたが、1943年のベルリン大空襲で焼失します。
同じ試作機のみだったにも関わらず大々的に対外宣伝された He 100 とは異なり、He 178 の存在はプロパガンダされなかったため、機密情報に接することのできた各国軍の上層部や一部の技術者を除き、他国に戦後まで知られることありませんでした。
しかし、近代ジェット機の祖として、その名前は後世にまで語り伝えられることになります。
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拙ブログへのコメントありがとうございます。
明日の記事も高知城の紹介です。
動画、興味深く拝見させていただきました。
パイロットはスーツにネクタイなんですね(^^)ニコ
by johncomeback (2014-08-27 09:18)