この冬に発売予定のハセガワ1/48スケール「撃墜王 蒼空の7人」に登場するエースについて機体と共に記事をアップしようと思います。
今回は3回目、ソ連の撃墜王、イヴァーン・コジェドゥーブを紹介します。
◆「ソ連邦英雄」を三度受ける〜ソ連の撃墜王、イヴァーン・コジェドゥーブ
イヴァーン・コジェドゥーブ(ван Микитович Кожедуб 1920年6月8日 - 1991年8月8日)は、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国のスームィ州ショーストカ地区に近いオブラジイィウカ村の農家に生まれました。
1940年に労農赤軍へ入り、1941年には、軍事航空飛行士学校を終え、そこの教官として働いています。
ところで、ドイツのエース・パイロットたちの驚異的な撃墜数は、開戦当初の未熟なソ連パイロットたちの撃墜が多いのですが、このコジェドゥーブは教官だったので操縦時間も長く、生存率が高かったと思われます。やはりパイロットは訓練期間がものをいいます。
それでも、最初の空戦は失敗に終わりました。初出撃は1943年の3月でしたが、彼のLa-5は戦闘で損傷を受けただけでは済まず、友軍の誤射(戦場ではかなり多い)を受けました。
しかし、第240戦闘飛行連隊の連隊司令官として、146回の出撃をこなし20機の敵機を撃墜する頃には、「レーニン勲章」と「金の星」を受賞、最初の栄誉である「ソ連邦英雄」の称号を得ます。
2つめの「金の星」メダルは、1944年8月19日に授与されました。この時点で、コジェドゥーブは256回の出撃と48機の敵機撃墜を記録しています。
◆あわや自爆という危機も
そんな英雄・コジェドゥーブもあわや戦死かという危機がありました。
あるとき、コジェドゥーブのLa-7は地上からの攻撃による損傷を受け、エンジンが完全に停止してしまいます。
ここは敵陣の奥深く。コジェドゥーブは脱出しても捕虜になることを嫌い、敵目標めがけて自爆することを選びます。
ぐんぐん急降下をし、敵の目標が目の前寸前に現れ、ソ連の英雄もここまでか、という時です。
突如としてエンジンが再び動き出しました。ならばということで、コジェドゥーブは、操縦桿を引き上げ、機を立て直し、無事自軍の飛行場まで帰還することができたのです。
その後も彼は司令官として最前線で活躍。1945年2月には、あのジェット戦闘機Me262をも撃墜しています。
◆3つ目の金の星メダルを授与。ソ連最高の空の英雄へ。
親衛少佐となったコジェドゥーブは、戦争終結までに330回の出撃を行い、120回の空中戦において62機の敵機を撃墜しました。これ以外に、1945年の春に初めてアメリカ空軍のP-51Dに出遭った際に、2機を誤って撃墜しています。これは撃墜スコアにはカウントされていません。
戦争全期を通じ、コジェドゥーブは一度たりとも撃墜されたことはありませんでした。
彼は、その後も朝鮮戦争にも従事し指揮を行います。1985年、コジェドゥーブは空軍で事実上の最高位である「航空元帥」の位を授ります。
イヴァーン・コジェドゥーブは、1991年8月8日にモスクワで亡くなりました。享年71歳。
しかし、コジェドゥーブたちが必死で守りつづけた祖国は、コジェドゥーブの死後、4ヶ月後の12月25日に崩壊します。そう、ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、これを受けて各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体された出来事です。銃火を交えない「冷戦」という目に見えない経済戦争にソ連は敗れました。
生涯をかけて守りぬいた祖国の崩壊を目にしなかったのは幸いともいうべきなのでしょうか。
守りぬいた国はなくなりましたが、軍人として、祖国のために戦ったその精神は、今後も守り続けられることと思います。彼の乗機であったLa-7(機体番号27)は現在もモニノ空軍博物館に展示されています。
◆乗機ラボーチキンLa-7
日本では資料が広がっていないせいか、あまりメジャーでない機体かと思います。ポリカルポフI-16は日本でもおなじみですが、YaKシリーズやMigシリーズなどはイマイチかもしれません。
コジェドゥーブの乗機はLa-5に始まり、改良型のLa-5F、La-5FN、そしてLa-7となります。
このラボーチキンLa-7の原型は、1939年に初飛行したLaGG-1になりますが、この機体、あのI-16にも劣り、完全な再設計とエンジン出力の強化が必要とされました。
しかし、差し迫った戦局のためにその時間は無い為、できるかぎりの改良を行います。これが、LaGG-3となります。
ソ連は兵用の仕方が独自で、戦闘機や戦車は完全な消耗品であると割り切り、工作の粗雑さよりも大量生産性に重点を置きました。ですので、貴重な軽金属資源を使わない木製部品は当たり前でした。
この評判が良くないLaGG-3のエンジンを液冷から優秀な空冷に切り替えたのがLa-5です。普通は空力的に洗練していくために液冷エンジンに切り替える流れなのですが、ソ連はそれよりもパワー重視だったのでしょう、La-5は1943年のスターリングラード攻防戦でデビューします。
La-5FやLa-5FNの違いは、エンジンの違いによります。このLa-5FNの更なる改良型がLa-7です。
La-7は第二次世界大戦の実戦に参加した最後の戦闘機として活躍します。
◆ハセガワ1/48スケール「撃墜王 蒼空の7人」
このキットは、ハセガワではなく、なんとチェコのメーカー、エデュアルド製のものです。うぉーッて感じですね。
日本ではマイナーともいえる機体ですので、エデュアルドから譲り受けた感じなのでしょうか。でもエデュアルドってインジェクションキットで少々作りづらいのです・・。
元々のキットはこちらかもしれません。エデュアルド製1/48スケール通称オレンジライン・シリーズです。
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