前から気になっていた場所があったので仕事帰りに訪問しました。栃木市にある下野(しもつけ)国庁跡です。
奈良から平安時代に使われたお役所跡で、柱の跡や当時のお役人さんたちが書いた木札などが大量に見つかった全国でも珍しい遺跡といわれています。奈良の時代から200年ぐらいの期間、何度かの立て直しを行った跡も見つかったそうです。
この時代は全国を60数個の「国」に分けて政治が行われていましたが、そのうちの一つがこの下野国で、天皇に任命された国司という役人が治めていました。
この国司の人数は、国の規模によって異なりますが、下野国の場合は大国、上国、中国、下国のうち、上国に該当し、その人数は4人。それ以外に下級役人が大勢働いていて、下野国の場合は約430人といわれています。
で、国司が政治を行った建物を「国庁」と呼んでいます。まあ、現在の県庁のようなものです。
いわば、栃木県庁跡を訊ねたというところなのでしょうか。
平安時代の終焉と共に、荘園制の進展など土地の私有化が進み、また武士が台頭するなど、社会が大きく変化したことで、下野国府もその役割が終焉に向かいました。
今までは場所が完全に特定されていなかったのですが、昭和58年の調査で、現在の場所と、その全容が判明したそうです。しかしながら、この重要な場所であった正殿の所には現在神社が建てられており、発掘調査が進んでいないとのこと。
神社は、このようないわくがある場所に建てられていることも多いのかもしれませんね。
復元された左右の脇殿は柱の復元だけではもったいないのか、
藤棚になっているそうですので4月にもう一度訪れようと思います。
少し先には資料館がありました。無料拝観ができます。
②税を集め、保管する。
③国内の見回りを行う。
④兵士や武器を集める。
⑤国分寺(こくぶんじ)や僧侶(そうりょ)、神社などを管理する。
⑥国内の施設を管理する。
⑦もめごとの裁判を行う。
⑧国内の様子を朝廷に報告する。
⑨決められた年中行事を行う。など⑧国内の様子を朝廷に報告する。
結構、忙しそうですね(笑)。
昔の主要道路、東山道駅路
勉強になった資料館でしたが、特に興味を引いたのはこの一枚の地図でした。奈良の都と東国をつなぐ官道として整備されたそうです。国府と国府を結ぶ道路なのですが、今の太平洋岸ではなく、本州の中心の道で移動していたのですね。平安末期以降は廃道になった箇所も多く、現在でも正確なルートが分からない部分もあるそうです。
下野国庁は、奈良時代や平安時代の歴史書にも何度か登場しますが、その中でも以下の人物も登場しています。
伴善男(とものよしお)「応天門の変」で有名な人物。849年に下野国司に任じられています。
平将門(たいらのまさかど)これも有名人。反乱を起こし、下野国庁を攻め、国司を追い出しました。
藤原秀郷(ふじわらのひでさと)この平将門を退治した人で、940年に国司になっています。地元出身の豪族。
|
|
|
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
僕が住む多賀城市にも平安時代の
政庁跡があります。
by johncomeback (2014-10-27 07:24)
栃木に
このような お役所(?)
があったとは不思議というか・・・ です
>ANA
先に お知らせしておきますが
4と 5代目は買っておりませんでした
何故か? ソレは可愛いと思わなかったからです (笑)
27日 夜は3代目のアップ予定です よろしくどうぞ。。。
by タイド☆マン (2014-10-27 12:38)
栃木に行くことあったら寄ってみたいなあ~^^
今度、11月22・23に足利市で文化財一斉公開があるので
煉瓦求めて旅したいと思ってます☆
by ちょいのり (2014-10-28 02:11)
昔、授業で「栃木市に県庁があった」と言ってたのを思い出します。
後に宇都宮に移転したと言う事も・・・
このような写真を見ると栃木市が栃木県の発祥に貢献したんだなぁ~と改めて実感です。
by ミスター仙台 (2014-10-28 09:26)