前から訪れてみたかった栃木県大田原市にある道の駅「那須与一の郷」の「与一伝承館」。今日は時間があったので立ち寄ってみました。
入場料は300円(県内の人はパスポートを使うと250円)です。
写真撮影は禁止されているので、残念ながらアップできませんが、展示室と劇場室とに分かれており、こんな感じです。
個人的に好きな「那須与一」。歴史上では平家物語の「屋島の戦い」でしか名前が出てきません。よく聞く弓の名手です。この時、若干19歳。このエピソードは平家の未来を暗示させる意味での重要な出来事でしたので印象に残っている方も多いでしょう。
那須与一といえばやはりこのシーン。
夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。
外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに下野国の武士・那須十郎を推薦する。十郎も傷が癒えずと辞退し、弟の那須与一を推薦した。与一はやむなくこれを引き受ける。
与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。
しばらく春風に一もみ二もみされ、そしてさっと海に落ちた。『平家物語』の名場面、「扇の的」である。
美しい夕日を後ろに、赤い日輪の扇は白波を浮きつ沈みつ漂い、沖の平氏は船端を叩いて感嘆し、陸の源氏は箙を叩いてどよめいた。
この扇を射抜く出来事ですが、その趨勢を神仏に問う厳然たる卜占(ぼくせん)の意味もありました。
矢を打ち損じれば平家にもまだ運があり、逆に射止められると平家没落を意味することでもありましたので源平双方への心理的影響は決して小さくなかったはずです。
だから与一が失敗すれば矢を折って自害するという必死の覚悟を固めるほどのプレッシャーであったのは容易に想像できます。
平家物語の名場面一つであり、平家没落のまさに象徴ともなる出来事でした。
その情景も美しい夕日を背景に源平の武将たち全員が注目する中、颯爽と現れる一騎の青年武者。うーん絵になりますよね。
伝承館では15分の人形を使った那須与一の物語を上映していました。本物の人形やビデオを面白かったです。この与一はもちろんイケメンです(笑)。
まあ、若干20歳足らずの青少年で、チート級の弓使いですから人気はあろうかと思います。容貌が記されていないことから、ここぞと膨らむ妄想力も分かります(笑)
世界の偉人たちが異世界に呼び集められて戦うマンガ、「ドリフターズ」でも準主役級の扱いでこんな感じ。
うーん、イケメン。
地元大田原でも
話がかなり脱線しましたが、この伝承館、様々な資料が陳列されていて勉強になりました。
また、係のおばさまたちが気さくで色々と親切丁寧に説明をしてくださいました。ありがとうございました。
ちなみに後で自分で調べてわかったのですが、この伝承館の貴重な資料の多くに、弘前大学教授夫人殺人事件(別名「那須事件」)で冤罪被害者になった那須氏直系のご子孫からの寄贈があるそうです。
那須与一のその後も伝説に彩られて面白いのですが、次回の記事に。
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与一は実際にイケメンだったんですかね?
義経の有名な肖像画はイケメンじゃないですよね(^^)ニコ
by johncomeback (2014-12-16 09:33)
★johncomebackさま
こんにちは~。実際はどうなのでしょう(笑)
でも、矢をかまえる姿は絵になる男であったとは思います。
義経公もお母さんが常盤御前ですので美男の可能性はあったと思うのですが(というか思いたい)。
でも、今と昔ではイケメンの基準が違いますよね(笑)
要は戦場を駆ける姿と立ちふるまいが凛々しいと男前と評されるのかなぁと思います。^^
by ワンモア (2014-12-16 12:07)
コチラに書かせて頂きます
昨日 永遠の0 第2弾の発売日だったコトを思い出し
今日 コンビニを何軒か廻りましたが
まだ店頭には並んでいませんでした・・・★
by タイド☆マン (2014-12-17 19:01)