ゆかりのある那須神社はこの道の駅の裏側です。
前回の道の駅「那須与一の郷」の「与一伝承館」の続きです。伝承館を出て行くときに「この後ろに那須神社があるから見ていくといいですよ」と言われ、さっそくご参拝に行くことにしました。
参拝道はかなり長いです。神社はこの先に小さく見えます。
最初の入り口まで戻りました。
普通は仁王像などが多いのですが、この那須神社では武神が祀ってあります。
弓をもっていますね。
渋いです。かなり歴史を感じます。
お参りしての帰り際も撮影をさせていただきました。
唐模様の色彩も見事。
この長い参拝道を通りながら気持ちが敬虔になってゆくのでしょう。 社務所では那須与一にちなんだ絵馬がありました。
「合格祈願」も多いようです。
小さな祠には草鞋が。参拝道から見える向こうの山の先が福島県です。 さて、この那須与一ですが、源平合戦で功を奏しとげた後は、平家方についた兄たちに代り家督を継ぐことになりました。保険をかけて源氏方にもついておいて本当に良かったですね。
与一は源頼朝からその功績を讃えられ恩賞をもらい、なおかつ信濃など各地に逃亡していた兄達を赦免してもらいます。与一は兄弟たちにも領土も分け与え、下野国における那須氏発展の基礎を築いたとされています。
しかし、那須与一の晩年はとても謎に包まれています。源平合戦後、早逝したとも、鎌倉軍に目をつけられ死んだことにして米沢へ逃れたとも。また京都で法然に弟子入りし、日本各地で源平合戦で死んだ者たちの供養のために旅に出たとも。
ちなみ「与一伝承館」の年表では諸説ありという注釈と共に早逝の年が書かれていました。
さて、興味深かったのは、この説です。
戦の天才義経とことある毎に対立し、頼朝に讒言したということで、昔から悪役にされている梶原景時という、源頼朝の忠臣がいるのですが、この梶原景時が、義経の部下であった那須与一にも目を付けます。
難癖をつけて、得意の讒言で頼朝を動かし、梶原景時自らが率いる鎌倉軍は与一たちの地に攻め入るのです。
しかし、那須一族は、与一を大将とし得意の馬と弓を使ったゲリラ戦を駆使、梶原景時を翻弄、鎌倉軍をみごとに撃退してしまうのです。
梶原景時は面目丸つぶれで鎌倉軍に泥を塗り撤退する訳ですが、那須一族は、その後有利な条件で和睦し、この和睦の条件として那須与一は蟄居、放浪の旅に出るという話です。
義経ファンとしてはあのにっくき梶原景時に一矢報いたということで、胸がすく思いになる話です。
那須与一の謎が多いその後の話も、日本各地に伝承やお墓があるのも、この与一という青年武将が「平家物語」で人気がある証拠なのだと思います。
那須与一の菩提寺 玄性寺
| 天の弓那須与一 中古価格 ¥1,031から (2014/12/17 20:25時点) |
| | 華の弓那須与一 新品価格 ¥2,484から (2014/12/17 20:25時点) |
|
|
こんな記事もどうぞ
2014-12-17 19:17
来たよ(39)
コメント(1)
トラックバック(0)
[編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー
拙ブログへのコメントありがとうございます。
feedlyですか、今週末に試してみます。
那須神社は本当にシブイですね(^^)ニコ
by johncomeback (2014-12-18 09:02)