『風立ちぬ』ネタ、まだ引っ張ります(笑)。
今回はヒコーキネタではなく、純文学の恋愛ものとして観た『風立ちぬ』を。
堀越二郎が主人公のこの映画ですが、その内容は、実在の堀越二郎の九六式艦戦(九試単戦)までの開発奮闘記に加え、堀辰雄の実話に基づいた小説『風立ちぬ』の原作をミックスさせた内容になっています。
どうしても堀越二郎氏に焦点があたってしまいますが、「感動した」との声や賞賛レビューは菜穂子との恋愛ストーリーの方です。
ということで、この内容の元になっている堀辰雄についても調べてみました。
堀 辰雄氏は、1904年12月28日生まれで、1953年5月28日に没した日本の小説家です。
この時代に多かった肺結核にかかり、48歳の若さで死亡しましたが、フランス文学の文学形式を取り入れたり、軽井沢に療養したりと、映画のシーンと重なるところもあります。
ちなみに堀越 二郎氏は1903年生まれですので、ほぼ同年代。しかも、二人共学部は違えども、同じ東京帝国大学です(堀越二郎氏は工学部、堀越二郎は国文科)。同じ時代に在籍していたのですね。まさか、畑違いの、この二人をドッキングさせて何十年後かに映画になるなんて、思いもよらないことだったでしょう。
堀辰雄氏の代表作は以下のとおり(Wikipedia)
この1937年発表の『風立ちぬ』が原作になっているとのことです。おや、『菜穂子』というヒロインと同じ名前の小説があります。これも気になりますね。
◎小説『風立ちぬ』のあらすじ
秋近い夏、私は出会ったばかりの女性、節子と高原にいた。白樺の木陰で絵を書いている節子の側で休んでいる時に不意に風がたった。「風立ちぬ、いざ生きめやも」。ふと私の口を衝いて出た詩句を、節子の肩に手をかけながら私は口の中で繰り返した。
約2年が経った3月。節子と婚約していた私は家を訪ねた。節子の結核は重くなっている。彼女の父親は、富士見高原の療養所で養生することを私に相談してきた。
節子は2階の病室に入院。私は付添人用の側室に泊まり共同生活をすることになった。院長から節子のレントゲンを見せられ、病院中でも2番目くらい
に重症だと言われた。
ある夕暮れ、私は病室の窓から素晴らしい景色を見ていて節子に問われた言葉から、風景がこれほど美しく見えるのは、私の目を通して節
子の魂が見ているからなのだと、私は悟った。もう明日のない、死んでゆく者の目から眺めた景色だけが本当に美しいと思えるのだった。
菜穂子は既婚者で、嫁いだ家の姑との暮らしに合わず悩んでいた。ある日、昔の幼馴染である都築明と偶然出会うことで、昔への郷愁が募り、この結婚に後悔し初める。
そんなある日、菜穂子は結核にかかり、喀血をする。八ヶ岳山麓の結核療養所(富士見高原療養所)に入院することになった菜穂子は、重苦しい家庭から開放され、精神的にも肉体的にも蘇ってくる。
そんな中、突然、都築明が見舞いに訪れる。懐かしい対面で淡い何かが起きそうな気配はあるものの、菜穂子は表面上はすげない対応をする。
しかし、別れてから自分の冷たい態度を後悔し、今の孤独な自分がいかにみじめであるか切実に考えだした。
あんなに前途に不安を抱えながらも自分の夢の限界を突き止めてこようとしている都築明の真摯さに触れ、菜穂子は今のごまかしの生活から自分をよみがえらせてくれるものを求めた。
そこで、菜穂子は都築への失望感も作用する中で、自分の夫である黒川に無性に会いたくなり、勝手に療養所を抜け出して新宿に出てきてしまう。
そこで夫と会うが、姑との関係から抜け出しきれない夫は、二人の関係が劇的に復活する訳でもなく、結局、菜穂子は再び養生所へ戻ることになる。
しかし、「勝手に抜け出して中央本線で新宿に帰ってくる」という菜穂子の行動は、今までの菜穂子では考えられなかった新しい行動であった。
この小説で、堀辰雄は新しい時代の女性のエネルギーであるとか、苦悩を背負う「個の輝き」の表現に成功したと言われています。
宮崎駿氏は、『風立ちぬ』だけでなく、『菜穂子』という小説の要素も加えてこのヒロインを造形しているようです。どちらかというと映画の菜穂子のキャラクターに近いのはこちらの方ですね。だから節子ではなくて菜穂子なんでしょう。
どちらも肺結核と闘病する女性ですが、小説『風立ちぬ』の節子は、「婚約者に愛されている私」という純愛で受動的なキャラクターに近いですが、こちらの小説『菜穂子』の方は既婚者だけあって行動的なキャラクターになっています。宮崎監督も療養所を抜け出すというシーンを堂々と取り入れています。
この奈緒子という小説は1961年にTVドラマ化されて放送されたそうですので、なんか観たことあるなと思う方もいるのかもしれません。
さて、映画の冒頭では関東大震災のシーンがありました。これも、被災して幼くして母親を失っている堀辰雄に関係しています。
これが堀文学の原点にもなっていると言われているので、宮崎駿氏はこのシーンも取り入れようと考えたのではないでしょうか。貧困、病気、戦争、災害と誠に生きるのが辛い時代であったと思います。
こう考えていきますと、この『風立ちぬ』は堀辰雄自身の体験と私小説をバックボーンに、飛行機の設計者である堀越二郎を当てはめて、宮崎駿氏の「戦争と兵器」に関する考え方なども盛り込んだ作品といえそうです。
ですので、もっと堀辰雄氏にも、もっと焦点があたっても良い映画かなと考えています。
堀辰雄文学の本質にかなり迫っているかもしれません。宮崎駿氏流の堀文学のリメイク版とも考えられそうですね。
これが、単に結核との闘病に立ち向かう男女のストーリーだけであっては、こうも人気が出なかったのもしれませんし、また、飛行機の開発ストーリーだけでも人気はそうでなかったのではないかと思います。
映画『風立ちぬ』は、同じ時代ではあるけど、まったく違う道を生きた二人をうまく融合させた宮崎駿氏の傑作に仕上がった作品になったのではと思います。
最後に関係図をまとめてみました。おそらくこんな感じだと思います。
映画「風立ちぬ」。思った以上に奥深くて、もう一度観たくなりました(笑)。
ちなみに映画に出てくる軽井沢の「草軽ホテル」というのは、この辺を昔、草軽電鉄という鉄道が通っていたことからではないかとか、電車マニアの方にもニヤリとさせるウンチクも盛りだくさんありそうなのですが、今回はこの辺で^^
小説『菜穂子』は、こちらで全文が読めます。
→青空文庫 堀辰雄『菜穂子』
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拙ブログへのコメントありがとうございます。
堀 辰雄は名前を聞いた(見た)事がある程度で、
作品は読んだ事がありません。記事を拝読して
興味が湧いてきました。先ずは録画した「風立ちぬ」
を観なければ(^^)ニコ
by johncomeback (2015-02-23 20:03)