◆戦争の狂気が心優しい青年の運命を変えていく
マルセイユは、初撃墜のことを母親に「悲しいこと」と綴ったように、しばし自分が撃墜した敵戦闘機のパイロットの救助に向かっています。
またある時は、敵パイロットが救助されて捕虜になった基地へ飛んでいっています。上官からこのような飛行を禁止すると警告をされても、それを続けていたようです。
戦後、マルセイユの同僚だったヴェルナー・シュレーアは、マルセイユがこの行為を「飛行機を撃墜するのは好き」だが、「人殺し」が好きなのではないと語っていたと証言しています。
彼は、敵と戦うというより、「戦争での兵士という、逃れられない自分の運命」と戦っていたのかもしれません。
さて、1942年後半の北アフリカ戦線は、補給の少なさと次第に増強していく敵の圧倒的兵力の前に過酷なものになっていきます。航空機の兵力差は英軍の総勢800機に対して作戦可能機がわずか65機(配備数112機)という壮絶さです。
9月に入り、マルセイユは132機の撃墜スコアを伸ばしますが、マルセイユの戦友、ギュンター・シュタインハウゼン、そしてハンス=アーノルト・シュタールシュミット(59機撃墜)の相次ぐ戦死は、マルセイユの心に重くのしかかります。
マルセイユは、度重なる出撃によって精神的にも肉体的に消耗していくのですが、そんななか、彼の運命にとって象徴的な出来事が起こります。
◆最後に現れた名もなき強敵。マルセイユ最後の空戦。
1942年9月26日の日のことでした。先日大尉に昇進し、最新鋭のBf109G-2/Tropを駆って出たばかりのマルセイユはこの日の夕方、158機目の撃墜を果たします。それは、スピットファイアでその日の7機目のスコアになる機体でした。
それは今までに遭遇したこともない強敵でした。高々度から始まって15分にも渡る格闘戦は、低空まで降下しながら、追いつ追われつつを相互に繰り返すという激戦でした。
お互いに後尾につくことに成功し射撃をし、これをお互いが交わすという激しい格闘を行います。燃料があと15分で尽きるという時にマルセイユは太陽へ向かい急上昇をし、相手の視覚の幻惑を狙って、急旋回&ロールで100mの至近距離から必殺の射撃をします。
敵機は翼が吹き飛び、パイロットを乗せたまま地面に激突します。
マルセイユは生き残りました。彼自身の記録には 「あれは私がこれまで相手にした中で、最もタフな敵だった。彼の旋回は素晴らしかった。・・・私は、それが私の最後の戦いになるのではないかと思った」と。
マルセイユは帰還した時は、疲労のため倒れんばかりであったといいます。なお、敵機の彼と彼の部隊は不明のままです。
実は、この戦闘が彼の予感通り、マルセイユ最後の戦闘になるのです。最後の敵は、最も手強い敵でした。
◆あっけないその最後。彼はアフリカの星となる。
9月26日の激戦から4日後、彼の中隊はJu87の護衛任務に就きます。敵機との戦闘は起こらず、基地へ戻る途中、彼のBf109G-2はエンジンから煙を吐き出します。
最新鋭の機体はエンジンの故障率が高いのを経験上知っていたマルセイユでしたが、上官の命令でしぶしぶ従っていたその不安が正に的中してしまいました。
彼の機体の操縦席内部は煙で充満し、前が見えなくなり半ば窒息し、僚機の誘導でなんとか飛行を続けている状態でした。
なんとか少しでも味方の戦線へと近づこうとするのですが、限界に近づき、彼はベイルアウトを決意します。
機体を捨てて脱出をすることはマルセイユは何度も経験済みで慣れてはいましたが、煙と軽い方向感覚の喪失のため、機が急降下に入り、相当な速度になっているのにマルセイユは気付きませんでした。彼は脱出した直後、プロペラの後流で後ろへ持って行かれ、彼の機の垂直尾翼に胸を強く打ち付け、即死したか、パラシュートが開けないほどの人事不省に陥ります。
彼のパラシュートは開くことなく、地上に落下します。
アフリカの星と呼ばれた英雄は、最後に味方の機体に裏切られ、あえなくその生命を終えることになるのです。
彼の死は部隊全体に衝撃を与え、JG27は約1ヶ月間戦線から離れることになります。今更ながらですが、彼のいたJG27の中隊は、天才エースのスコアが伸びるのをサポートする役目になっていたの気づかされたのでした。マルセイユの後を継ぐ撃墜王がいなく、彼の操縦技術は誰にも継承されることなく終わります。
彼は1942年9月30日にこの世を去りました。遺体の側には、彼が生前好きだった「ルンバ・アズール」のレコードがいつまでも流れていたといいます。
やんちゃな笑みを含んだ端正な顔立ち。やや神経質ながらも、繊細で思いやりのある青年は、同時に、大人の社会に対しても反抗的でありました。そして誰も真似ができない空戦技術と天才的な射撃技術。敵も味方も驚愕する驚異的スコア。ドイツ国民からの賞賛と栄光の裏では、親友の死にショックを受け、戦争の狂気に病んでいく魂。
その彼の最後も、敵と戦って敗れたのではなく、味方の愛機に裏切られてのあっけない事故死でした。最後に名もなき強敵と戦って勝利したこともまるで、映画のクライマックスのようです。
そして、本国に帰ったら愛する女性と結婚をすることを約束していたことも・・・。
短すぎる彼の人生は、正に小説や映画に出てくる主人公そのものであったと思います。
◆”アフリカの星”、マルセイユの戦歴。
マルセイユの戦歴は以下のようになります(クリックで拡大)
いきなりエースになり、その才能を感じさせるものの、その後はぱっとせず苦労をしています。しかし、ある時を境に急激に伸びているのが分かります。スコアがない部分は、部隊転換や移動、休暇などです。
円グラフは彼の機種別の比率です。P-40が最も多く、ハリケーン、スピットファイアと続きます。驚嘆すべきは撃墜スコアの97%が戦闘機であるということ。
彼は最後に急激に才能に目覚め、そしてあっという間に散った人生でした。その栄光の期間はあまりにも短すぎたといえます。
◆次なる英雄が東部戦線に現れる。
戦争は、彼に早すぎる栄光と早すぎる死を与えました。彼の精神は長い戦争を生き抜くには繊細で優しすぎたのかもしれません。しかし、戦争の女神は、入れ替わるように新しい撃墜王を戦場に送り込みます。
彼の名前はエリッヒ・ハルトマン。童顔でブービー(坊や)と呼ばれることになる彼は、マルセイユが戦死した翌月に新人パイロットとして東部戦線で初出撃をします。後に人類史上前人未到の352機撃墜を果たすことになる彼もまたルーキーらしい失敗を繰り返しながら成長していくことになります。
ハルトマンはマルセイユのような天才的操縦方法を用いず、空戦の王道を堅守し、いかに生き残るかを徹底的に追求し、Bf109の長所を活かした一撃離脱戦法を編み出し、仲間たちに伝えていくのです。
彼の所属した部隊JG52は、多くのエースを輩出し、総撃墜数1万機を超えるルフトバッフェ最強の部隊になっていきます。
マルセイユの戦歴は、戦争の過酷さと共にあっという間に他のエースたちの間に埋もれていきますが、彼の天才的な操縦技術とその栄光、その生き方は、多くのドイツ国民の心に残ることになりました。
2回に渡り長い記事になりましたが、お付き合いありがとうございました。^^
<関連記事>
→352機撃墜の世界最強のエース、エーリッヒ・ハルトマン
→ドイツ空軍最強の部隊JG52について調べてみた
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>まりあ
1/35サイズのプラモでございます
プラモ飛行機の展示会で
メッサーシュミットのキャノピーと 計器盤を見たコトがあります
ボロボロでしたが見ごたえはありましたね
残念なコトに写真はNGでした
by タイド☆マン (2015-03-07 17:51)
期待通りの面白さでした。
戦争はあってはならない事ですが、
そこに究極の人間ドラマがあるんですね。
by johncomeback (2015-03-07 20:00)