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優秀な”主翼” 設計〜九九式双発軽爆撃機と屠龍たち

Cap 179.jpg

 双発機コレクション4の九九式双発軽爆撃機のリペイントをしていますが、段々、この機体の魅力に引き込まれてきました。
 特に翼がカッコいいのです。切れがった後縁、刀のような流線。う〜ん、中島・川崎系のデザインなのかな。

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眺めているだけで小一時間、酒が飲めます(笑)。

 翼型についてはNACA系もまとめて、いつか記事でまとめたいと思うのですが、日本機は同じ日本人なのか、引き込まれる魅力あるデザインが多いように思います。
 工業製品というよりも工芸品に近い感じがするんですよね。
窓枠が多いのが、ちょっとなぁとは思うのですが、これは致し方ないところ^^;

 さて、この九九式双発軽爆撃機の設計者は、三式戦闘機「飛燕」の設計者で有名な土井武夫氏です。当時の秀才たちが集まる東京帝国大学の航空学科の卒業生で、同期には零戦の堀越二郎氏、長距離飛行の世界記録を出した航研機の木村秀政氏がいます。
 このお三方に「隼」の設計者の太田稔氏、川西で二式大艇や紫電改を設計した菊原静男氏を加えた5人が、戦後YS-11の設計プロジェクトのメンバーで「五人のサムライ」と呼ばれたそうで。

YS-11.jpg

 
 この九九式双発軽爆撃機(キ48)の開発は、1937年12月からスタートしますが、陸軍からの要求は、爆弾の搭載量や航続距離よりも戦闘機並みの速度と運動性でした。
 これは、当時の陸軍の戦術で、敵飛行場をいち早く急襲し、爆弾を落とした後は機銃掃射で反復攻撃を行うという陸軍独自の思想から来ていました。

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 陸軍の軽爆撃機・襲撃機の運用思想

 詳しくはこちらの記事もご参照ください。
→川崎双発機の原点。九九式双発軽爆撃機

 1939年の7月には試作機1号機が完成し、いつもはうるさい軍から「何も言うことなし」という異例な評価を受け1940年に制式採用されることになります(プラモの説明書から^^)

 さて、この優秀な評価を受けた九九式双発軽爆撃機で特に目を引くのが主翼の設計だそうです。この主翼の基本設計をコンセプトの異なる飛行機に流用して不採用の烙印から救うことになるのです。

 このキ48の前に川崎ではキ38なる複座戦闘機の開発を行っていたのですが、始めての双発空冷エンジンや、引き込み脚の開発だったので、設計者たちはかなり苦労していました。
 結局この機体は陸軍のコンセプトの甘さもあって開発中止となるのですが、そのままキ45の開発に引き継がれることになりました。
 
広告用語で例えると、広告主(クライアント)が詰めが甘くて「やっぱり中止」とキャンセルされた挙句、しばらく立って、「コンセプトが決まったからやっぱり続行ね」と再び注文をしてくるようなものですね(笑)。制作側はこれでいつも苦労するのです。

 この複座戦闘機は、当ブロクでも何回か取り上げた、「双発万能戦闘機論」のコンセプトから開発された機体だったのです。
 爆撃機護衛ができる長い航続距離と強大な火力で、迎撃に上がった単発戦闘機を双発のパワーで速度も上回り、格闘戦で勝利するという無茶な要求ですから開発の困難さが用意に想像できますね。 

 

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キ38から引き継がれた楕円テーパー翼が特長のキ45


 そのせいもあるのか、このキ45は軍の要求は満たされず不採用になるのですが、軍も川崎も本機に対しては未練というか、改良策がありました。不採用にはもったいない可能性を秘めたこの機体を改良することにします。
これがキ45改で、設計主任を土井氏にして、1940年5月に完成したばかりの九九式双発軽爆撃機の基本設計を流用して10月よりキ45第二次性能向上機を開発します。
 
 キ38から引き継がれてきた楕円テーパー翼を、九九式双発軽爆撃機で使った主翼に変更し、大きな改修を行いました。これをきっかけにして難航していた開発は順調に進み、1942年2月に「二式複座戦闘機 屠龍」として正式採用されることになるのです。

 土井主任の主翼設計が、キ45を救ったことになるのですね。時系列で見ると九九式双発軽爆撃機がキ48で、後から正式採用になった屠龍がキ45改ですから屠龍がいかに苦労して開発が遅れたかが分かります。
 こうして、九九式双発軽爆撃機は1,977機製造、屠龍は1,690機製造され、陸軍機のなかでも多くの製造機数を誇るようになります。

Cap 176 copy.jpg

 こうして並べてみると、大きさは違うのですが、先端に合わすと合う部分があります。

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縮尺を少し変えるとほぼ同じですね。

Cap 177.jpg


 翼断面や桁などの基本設計が同じということですが、主翼以外にも多くの部品を共有化しているので、生産設備も少変更だけで流用が可能で、キ45改の生産性に大きく貢献したそうです。こういうのは生産ライン側にとっても、とても大事なことですね。

 爆撃機の主翼を戦闘機の主翼に流用したというのは驚きですが、九九式双発軽爆撃機のコンセプトが、先ほど述べたように軽快な運動性と速度重視でしたからピッタリだったのでしょう。
 この屠龍に使われた主翼は若干の改修を行いつつも、その後も機キ96→キ102、キ108と引き継がれていくことになります。

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 こうしてみると、九九式双発軽爆撃機の部品は受け継がれ、川崎双発機の原点ともいえる飛行機となった訳です。
 こんなことを考えながら、双発機コレクションの九九式双発軽爆撃機を製作するのもまた、楽しいものです。

<関連記事>
→アニグランド「キ91・キ108・かつおどり・火龍」/キットレビューその3

→双発戦闘機たちの悲哀(全3回)【戦争と飛行機たち】

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タイド☆マン

頭を洗っって
濯いでいる友人の頭の上から
シャンプーを垂らして 「おかしいなあ 洗剤落ちないなあ」 と
まあ コレはありふれたヤツですが (笑)
YS-11 久しぶりに飛んだそうですね☆
by タイド☆マン (2015-05-30 10:56) 

ワンモア

★タイド☆マンさま
>YS-11 久しぶりに飛んだそうですね☆
そうなんです。嬉しくてそれも記事にしたいと思います^^
by ワンモア (2015-05-30 17:16) 

海を渡る

おはようございます。
帆船を見るのは大好きですが、
模型を作るのは大変そうですね。
子供の頃、作り始めて途中で挫折したことがあります^^。
by 海を渡る (2015-05-31 06:40) 

ワンモア

★海を渡るさま
ご訪問とコメありがとうございます。
帆船の模型もいつかチャレンジしてみたいです^^
by ワンモア (2015-05-31 13:09) 

タイド☆マン

では 
こっそりとお知らせします

ジャクリーン・ビセットさんです
スティーブ・マックイーン主演 映画 
「ブリット」に出演してましたが 日本では人気が無いですね
by タイド☆マン (2015-06-01 20:05) 

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