今週末まで福島県の二本松市に来ております。
朝はホテルでガッツリ朝食。
二本松市といえば、二本松城が有名ですが、現在は「霞ヶ城公園」として整備されており、日本さくら名所100選に選定されているそうです。
春には一度も訪れたことがないので、来年こそは見てみたいものです。
その二本松城、元々は、陸奥国に定着していた二本松氏というお家があり、そこからこの地名も来ているようです。
さて、仕事の休憩途中でこんな石碑があったので立ち寄りました。
「古戦場」とあっては、なんか心がうずきます(笑)
うーん、なんか長い文章で、仕事につかれた頭に入ってこない(笑)
ホテルに帰り、自分で色々調べたのですが、自分なりにまとめるとこういうことでした。
戦国時代になるとかの有名な伊達政宗の攻撃を受けることになるのですが、1585年に5代当主・二本松義継(畠山 義継)は政宗の父・輝宗に降伏を申しでます。
しかし、伊達政宗は、これをなかなか許さず厳しい処置を行います。これに恨みを抱いていた義継は、輝宗の所へ参上した際に、輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとしました。一説には、伊達家が不穏な動きをしていたとか、伊達家臣の流言に動揺し、人質として輝宗を拉致したとも。
どこからが計画的だったのか、思いつきの判断かは分かりませんが、もう少しで城につくというところで、息子の政宗に追いつかれます。
それがこの場所。阿武隈川を超えるともう、二本松城というとこ
ろです。しかし、正宗はお父さんの輝宗もろとも義継も射殺してしまいす。(粟之巣の変事)。
大河ドラマ「独眼竜政宗」では、阿武隈川の河原で政宗が義継・輝宗に追いつき、葛藤の末、涙ながらに鉄砲発射の命を下す場面が見どころとなっています。
独眼竜政宗 第12話「輝宗無残」より
若い渡辺謙^^。最高視聴率47.8%! この後、政宗は二本松城攻めを開始、守備側は義継の子・国王丸を立てて籠城しましたが、結局二本松城は開城し、ここに二本松氏は滅亡することになります。
畠山義継と国王丸
どちらが悪いとかではなく、お互いの立場をちゃんと描いていますな。
地元にも配慮しているNHKさすが。
綺麗に整備されています。 畠山義継に従っていた主従はこの時家臣23人、従者50余人。全員が壮絶な最後を遂げます。戦国時代の大名が二人同時に死亡するというのは非常に稀なことだそうです。 石碑の裏側まで回りこんでしっかり見るのは、マニアの常套(笑)。
更に細かく長い説明文が(笑)
「重臣三名塚」、「刀洗い池」「死体洗い池」「御生害場」など、
この場所の今はなくなった地名も記されていています。
奥に見えるのは東北新幹線です。
かつてこの地で多くの悲劇がありました。時の流れが、それを包み込みつつ現在があると思うと感慨深いものがありますね。
平安時代の伝説から戦国時代の戦場まで、仕事の合間に楽しめました。
こんな記事もどうぞ
2015-06-18 23:52
来たよ(46)
コメント(3)
トラックバック(0)
[編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー
拙ブログへのコメントありがとうございます。
二本松は菊人形が有名ですよね。
by johncomeback (2015-06-19 07:20)
ああ、ここだったのですね。
有名な古戦場ですね。
by ねじまき鳥 (2015-06-19 23:43)
★johncomebackさま
人形になぜ菊をつけるのか・・私にはわからないのです^^;
★ねじまき鳥さま
偶然見つけた場所なので驚きました。
by ワンモア (2015-06-21 10:19)