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シュナイダー・トロフィー・レースとスーパーマリンS.6B

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 2015年のSUBARU名機カレンダーも7月に入り4機目になります。あー、早い。あっというまに月日は経っていきます。
 さて、7月、8月を飾る名機は、スーパーマリンS.6B。
 上から見た蒼い水面がこれからの季節にピッタリですね。
 この機体が注目されたのは、1931年。第一次世界大戦と第二次大戦の狭間、「つかの間の平和の時代」と言われている時期です。
  よちよち歩きでデビューした飛行機という新しい乗り物は、この時代にメキメキと成長を遂げ、
郵便輸送、貨物輸送、船や鉄道に加えての乗客輸送まで、私たちの生活に欠かせない乗り物として大きく成長していくことになります。
 

水上機がもてはやされた時代

 この時代、航空機を世界をつなぐ交通手段として考えていたフランスのジャック・シュナイダーという大富豪は、航空機は水上機が最適であると考えていました。それは、広大な滑走路を造らずとも、湖水や河川から離発着できるので経費がかからないと考えたのです。当時は土木工事もさほど機械化されていない時代。滑走路を造らずに手っ取り早く離発着できるメリットははかりしれません。
 そこで、航空技術の発達のために水上機のスピードレースを主催することにします。その名も
シュナイダー・トロフィー・レース (The Schneider Trophy) 。期間は1913年から1931年まで行われ、欧米各地を持ちまわりで開催されました。
 当時の航空機は離着陸距離を短縮できるフラップなどの高揚力装置を持っていませんでしたので、長い長い滑走路が必要でしたが、水上機は離着水に広大な水面が利用できたため、空力的には不利なフロートを持ったにもかかわらず、滑走路の制限がなく高速化を追求できたのです。
 したがってシュナイダー・トロフィーは水上機限定のレースではありましたが、ほぼ当時の航空機の「世界最速」を決定するレースでもあったんですね。



シュナイダー・トロフィーの歴代記録

このスピードレースの主な優勝国と優勝機と記録は以下の通り。

1913年 フランス ドゥペルデュサン 速度73.56km/h
1914年 イギリス ソッピース タブロイド 速度139.74km/h
(1915
年〜1918年 第一次世界大戦のため中断)
(1919年 レース無効)
1920年 イタリア サボイア S.12bis 170.54km/h
1921年 イタリア マッキ M.7bis  189.66km/h
1922年 イギリス スーパーマリン シーライオンII 234.51km/h
1923年 アメリカ カーチスCR-3 285.29km/h
(1924年    延期)
1925年 アメリカ カーチスR3C-2  374.28km/h
1926年 イタリア マッキM.39 396.69km/h
1927年 イギリス スーパーマリンS.5 453.28km/h
1929年 イギリス スーパーマリンS.6 528.89km/h
1931年 イギリス スーパーマリンS.6B 547.31km/h

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こうしてみると毎年確実に性能が上がっているのが分かりますね。


 イギリスが5回、イタリアが3回、アメリカが2回とイタリアが頑張っています。いやあ「紅の豚」の世界だ。
 ちなみにドイツは第一次世界大戦の敗戦のベルサイユ条約の規制で参加できず、日本もスピードレースに参加するだけの技術がなく出場していません。
 イタリアはこの後も開発を続け、マッキM.C.72という機体は1934年になんと709.21km/hの記録を残しました。この記録はレシプロ水上機の速度記録としては現在も破られておりません。
 1927から1939年の短い期間ではありますが、世界最速の乗り物といえば水上機を指した時代があったのです。


後の「スピットファイア」を生み出したミッシェルの才能が光る

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 さて、記録を見るとわかりますが、最後の3年はすべてイギリスが優勝しています。
 常連のイタリア、新興国のアメリカを押さえ、優勝した水上機
S.5、S.6、そしてS.6Bの設計者こそ、後の第二次大戦でイギリスを救った”救国の戦闘機スーパーマリン・スピットファイア”の生みの親、レジナルド・ジョセフ・ミッチェルなのです。

 このミッシェル技師ですが、残念なことに若くして癌にかかるのですが、ドイツの野望を感じ取り、命を削りながらスピットファイアの開発にとりかかります。
 このスピットファイアはハリケーンを上回る性能を出し、見事正式採用されます。ミッシェルはその量産発注を得たことに安心したかのように1937年12月42歳の若さでその生涯を閉じることになります。

 さて、このスーパーマリン S.6Bは2機製造されましたが、残りの1機はこの後、655km/hという世界記録を出しています。当時でこの速度はいかに速度に特化した機体とはいえ、スゴイですね。
 SUBARU名機カレンダーは、詳細な画像で、模型製作にも役に立てると思います。

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速度記録用なのでしょうか、独特の形状のピトー管
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すごい形状の風防
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張り線の形状も詳細!
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液冷V型12気筒1,900/2,350馬力の超エンジン

 

◆水上機を殺した「ブルドーザー」の存在とレースの復活

 さて、水上機たちのその後ですが、現在はほとんど開発されていません。それはブルドーザーの存在が大きく影響を及ぼしているのです。
 水上機がもてはやされたのは、長い滑走路を作る必要ないという点でした。しかし、整地を機械化でできるようになってからはそのメリットは急激に薄らいでいきます。

 元々、水上機は空気抵抗が大きく燃費も悪いです。塩害や水害でメンテナンスも大変、悪天候で波が高くなると衝撃も大きく、耐久年数が陸上機に比べて低いという大きなデメリットがありました。それでも飛行場を整地する時間とコストを考えるとメリットがあったのも事実。
 しかしブルドーザーの開発などにより陸上の整地が大幅にはかどるようになると、飛行場も以前に比べて楽に出来るようになりました。またフラップなどの開発により、短距離で離発着ができるようになっていくと、水上機はそのメリットを失っていくのです。

 こうして「水上機を殺したのはブルドーザーだ」という話が残るくらい、水上機はあっという間に廃れていくことになるのでした。
 現在でも飛行艇を開発しているのは、日本、ロシア、カナダ、それに海洋進出を目論む中国ぐらいと言われています。実は日本が一番水上機に力を入れているのですね^^。さすが島国、海洋国家。
 さて、こうして世界最速の乗り物は水上機から陸上機へとバトンタッチすると共にその開発もほぼ終焉に向かうことになるのでした。ちょっと残念ですね。

 
 このスピードレースも1931年を最後に開催されなくなったのですが、近年、英国王立航空倶楽部の主催で1981年から復活しているのです。
 出場できる機体は、直線水平飛行で160km/hが維持できる陸上プロペラ機に限定されていて、各国の技術革新や国威発揚が目的ではなく、個人の趣味の延長なのですが、より早くという夢を追いかける男たちが楽しみながら競うことが目的になるなんて、良い時代になったものです。

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コメント 6

楽しく生きよう

80年以上も前にフロート付きで500km/h超えていたんですね。
by 楽しく生きよう (2015-07-01 17:09) 

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
今年4月から娘夫婦が「さくら市」に転居したので、
これから栃木に行く事が増えると思います。
by johncomeback (2015-07-01 21:37) 

(た)

1942年に英空軍省の協力で作られた、レスリー・ハワード監督・主演の「The First of the Few」という映画があるんですが、R.J.ミッチェルの半生記というか、シュナイダー・トロフィー・レースのシーンが大半と言っていいぐらいに多いです。この映画、アメリカ公開時に、チャーチルの名文句はアメリカ人には難しすぎるとでも判断されたのか、「Spitfire」に改題されてます。「スピットファイアー」というタイトルになった日本語字幕付きDVDを以前買いましたが、日本語訳が酷すぎました。
この映画にウィリアム・ウォルトンが付けた音楽は後に演奏会用に編曲されて、「‘スピットファイア’ 前奏曲とフーガ」の曲名で知られてます。航空機ネタのクラシック音楽の定番です。
by (た) (2015-07-01 21:44) 

ワンモア

★楽しく生きようさま
 500km/h超え、スゴイですよね。限定とはいえ、2,000馬力級エンジンを搭載というのも驚きです。

★johncomebackさま
 是非、johncomebackさまの目での栃木レポを^^
 特に食レポが楽しみです。

★(た)さま
 詳しい情報、ありがとうございます!
 これは貴重な情報^^ さっそく調べてみます。
 R.J.ミッチェルという技師に大変興味が湧いてきました。
by ワンモア (2015-07-02 09:46) 

(た)

「The First of the Few」は、レスリー・ハワードがこの映画の完成直後に出征して戦死したこともあって、著作権が非常に早く切れてまして、おかげでYouTubeにたくさん上がってます。デビッド・ニーヴンが準主役のパイロット役で出演しているとか、鹵獲したメッサーシュミットの実機を使った空中戦シーンがあるとかの方が有名な映画です(笑)
YouTubeに上がっているものには日本語字幕こそありませんが、国内盤DVDの字幕の惨憺たる状況(スーパーマリンを「超海軍」と訳していたりする)を見ると、むしろ日本語訳のない方がいいような気がします。

音楽の方については、というか、CDについてですが、自分のブログに少しだけ書いたことがあります。お暇がありましたらお目汚し頂ければ幸いです^^;
http://asthenosphere.blog.so-net.ne.jp/2009-09-26
by (た) (2015-07-02 17:19) 

ワンモア

by (た) さま
更に詳しい情報ありがとうございます!
鹵獲した実機で空中戦シーンってスゴイです^^
マーリンエンジンのBf109はちょっと・・・でしたから(笑)
by ワンモア (2015-07-02 20:29) 

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