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累ヶ淵のお塁について【茨城県常総市の法蔵寺】

 先日、大雨災害で茨城県の常総市を見てきたのですが、実はこの常総市にある「法蔵寺」というお寺が気になっていたからでした。このお寺の場所は正に鬼怒川のほとり。堤防が決壊していたら被害は免れない場所なのです。報道では常総市が一番の被害が出ていましたので心配していたのです。

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増水の影響で倒された塀(常総市内)

 では、なぜ、このお寺がずっと気になっていたかというと、実は、知る人には有名なお寺で、日本の三大怪談の一つである「累ヶ淵のお塁」の舞台になっているお寺なのです。

 ちなみに日本の三大怪談とは、まずは有名な「四谷怪談」ですよね。お岩さんといえば誰しもが知る有名な人。
 そして、「番町皿屋敷」これはお菊さんといえば、分かる方もいるかと思います。割ったお皿をいちまーい、にまーいと数えるために出てくる幽霊です。この話も有名ですね。
 そして、三番目に挙げられるのが、この「累ヶ淵」という怪談なのです(牡丹燈籠のお露さんと3席目を競う場合もあり)。

 

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 累ヶ淵という名は、現在の茨城県常総市羽生町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名でした。
 この話の凄いところは、内容がほぼ実話であるというところ。四谷怪談は、
鶴屋南北という、今で言うところの脚本家の人が、実在したお岩という人物を元に、当時の事件をアレンジして作り上げた創作なのが判明してしていますし、番町皿屋敷の話も元の話が幾つもあり、創作がかなり入っています。
 しかし、この累ヶ淵の話は、実在した事件や場所が特定されている、ほぼ実話系怪談なのです。
 では、どういう内容なのかをご紹介。 

累ヶ淵(かさねがふち)あらすじ

 下総国の岡田郡羽生村に、百姓・与右衛門(よえもん)と、その後妻・お杉の夫婦がいました。お杉には連れ子の助(すけ)という女の子がいましたが、生まれつき顔が醜く、足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていました。
 
 後妻のお杉は、助のせいで夫と不仲になることを怖れ、助を川に投げ捨てて殺してしまいます(
与右衛門の犯行という説もある)。あくる年に与右衛門とお杉は女児をもうけ、累(るい)と名づけました。
 が、累は助に生き写しであったことから助の祟りと村人は噂し、「助がかさねて生まれてきたのだ」と、「るい」ではなく「かさね」と呼ばれました。

Cap 94.jpg   その後、両親が相次いで亡くなり、独りになった累は、病気で苦しんでいた流れ者の谷五郎(やごろう)を看病し、二代目与右衛門として婿に迎えます。
 しかし谷五郎は、次第に容姿の醜い累を疎ましく思うようになり、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てるのです。
 正保4年8月11日、谷五郎は家路を急ぐ累の背後に忍び寄ると、川に突き落とすという残忍な方法で殺害します。
 その後、谷五郎は望み通り、後妻を娶るのですが、不気味なことに相次いで死んでしまいます。
 そして、6人目の後妻・きよとの間にようやく菊(きく)という名の娘が生まれますが、この菊がおかしくなります。累の怨霊がとり憑き、菊の口を借りて谷五郎の非道を語り、供養を求めて菊の体を苦しめるのです。
 近隣の飯沼にある弘経寺(ぐぎょうじ)に滞在していた祐天上人はこのことを聞きつけ、累の除霊に一旦は成功しますが、再び菊に何者かがとり憑きます。
 祐天上人が問いただしたところ、こんどは、助という子供の霊が出てきました。近所の古老の話から累と助の経緯が明らかになり、祐天上人は助にも十念を授け、戒名を与えて成仏させるのでした。

 この事件は、18年後の元禄3年(1690年)に出版された
死霊解脱物語聞書という仮名草子本で初めて世に紹介されることになります。この書物によれば、この事件は、慶長17年から寛文12年までの60年にもわたって繰り広げられた事実に基づく話とされています。

 それから約130年後の江戸時代になってから、鶴屋南北の「色彩間苅豆」を始めとした歌舞伎、講談、浄瑠璃などで上演されるようになって広く世間に知られるようになりました。
 最近では2007年に中田秀夫監督の『怪談』というホラー映画にもなりました。

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法蔵寺の現地は?
 法蔵寺には、この実在した累を弔った墓があり、常総市の指定文化財になっています。また、法蔵寺には祐天上人が除霊や成仏させるに用いたという数珠・累曼陀羅・木像なども
保存されています。

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 場所は、国道294号線と354号線の交差する水海道有料道路の傍。最寄りの駅は鬼怒川を挟んだ向こう岸の「中妻駅」か「北水海道駅」になりますが、バスもあるにはあるのですが、徒歩ですと1km くらい歩くことになります。結構、場所的には不便。

 車での参拝者用の駐車場がありました。
 法蔵寺は、無事でした。ここらへん一帯は鬼怒川の堤防が広かったせいか、被害はなかったようです。

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こちらは山門ですね。浄土宗法蔵寺とあります。
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車で入った所から本堂が見えます。
右手奥に檀家の方々の墓石が見えますが、塁の墓は別にあります。
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 古い板塀で囲った場所が、塁とその一族のお墓です。
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 脇に説明札が立てられています。
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 これは、祐天上人が除霊する時に実際に使用したといわれる数珠です。
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「塁まんだら」ですね。よく見ると、お塁の一生と、その後の憑依、除霊の模様が描かれています。塁累ヶ淵にまつわる逸話が書かれていました。
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中に入ります。
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 脇には、与右衛門の妻、塁と書かれた卒塔婆が。
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 中央が塁の墓、右が助、左が菊の墓とのこと。元々、別の場所にあったかもしれません。
 訪れる人も多かったことでしょう。
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 国立劇場での芝居の前の役者やスタッフたちが訪れたようです。四谷怪談のお岩稲荷もそうですが、役者さんはちゃんと挨拶と供養に行き、縁起を担ぐことも忘れません。
 画像の一部は前回訪れた時のものを使用していますが、前回同様のままで無事でなによりでした。真後ろは鬼怒川でしたので氾濫していたら貴重な文化財が事故に遭うところでした。



祐天上人について
 さて、お塁と助を供養させた祐天上人ですが、この方も実在の人物です。五代将軍徳川綱吉、その生母桂昌院、徳川家宣の帰依を受け、下総国の大巌寺・弘経寺・江戸伝通院の住持を歴任し、のちに増上寺36世法主となり、大僧正に任じられました。
 この増上寺とは、徳川将軍15代のうち6人が葬られているお寺で、重要文化財が数多く存在するお寺です。
 ちなみに東京タワーというと色々と心霊現象が取り沙汰されていますが、それは東京タワーの土地の一部はもとこの増上寺の墓地の一部が提供されているからなのかもしれません。

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東京タワーから見た増上寺

 晩年は江戸目黒の地に草庵(現在の祐天寺)を結んで隠居し、その地で没しました。享保3年(1718年)82歳で入寂するまで、多くの霊験を残したとされています。
 このように立派な僧侶には、色々と伝説や尾ひれがつくものですが、この累ヶ淵の事件が起きた時は、祐天上人は近くのお寺にいたことがわかりました。

 下の左の赤い印が、
祐天上人の居た弘経寺です。右の赤い印が法蔵寺のお塁一族の墓のある場所です。距離にして歩いて10分ほど。本当に目と鼻の先にいたんですね。
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 後ろに見えるのは鬼怒川の土手でです。この場所の近くで助や塁が殺されたかと思うと、
身勝手な人間のエゴの怖さを感じます。
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 今回もそうですが、前回訪れた時も、寂しい雑木林に見える鬼怒川を眺めていると、当時も同じような風景だったように感じます。
 この場所は当時もそう変わっていないのかもしれません。実在の事件ということで、他の怪談とは違うリアルティを感じました。
 助は夫の愛情が欲しい母親に殺され、塁は、夫に殺されるという悲しい話です。

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 怪談として、芸能として語り継がれることで二人の供養につながるのかもしれません。
 
 帰りは、関東平野を感じさせるに充分な広大な田んぼの中の294号線を帰りました。
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コメント 5

Hide

こんばんは〜〜この話、後でゆっくり読ませて頂きます。
目覚めに持って来い?すいません、ではでは・・・また
by Hide (2015-09-23 23:24) 

駅員3

お恥ずかしながら、累ヶ淵・・・知りませんでした。
お寺さん、ご無事で何よりでした。
また被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。
by 駅員3 (2015-09-24 07:55) 

desidesi

“真景累ヶ淵” という落語は、聴いて知っていましたが、
実話に基づいているとは知りませんでした。
by desidesi (2015-09-24 13:57) 

月夜のうずのしゅげ

実話だった「累ヶ淵」
興味深く読ませていただきました。
祐天上人が本当に除霊をした数珠の写真をまじまじと拝見!
菊に何者かがとり憑いた時、子供の霊が出て来る話は
そんなこともきっとあったであろうと思ったりしました。

by 月夜のうずのしゅげ (2015-09-25 20:44) 

ワンモア

★Hide さま
 こんばんは、いつも楽しみに拝見しております。
 あまり怖くないとは思いますが、実話系怪談です(笑)

★駅員3 さま
 絶対にヤバイと思って覚悟して行ったのでホッとしています。貴重な文化財ですし。

★desidesi さま
 三大怪談の中でもこの累ヶ淵だけは独特のリアルさを感じるのです。

★月夜のうずのしゅげ さま
 拙い文章にお付き合いくださってありがとうございます^^;祐天上人が有名な人らしいので、それに関係して取り上げられたこともあるとは思いますが、この事件は当時でも話題になったので、後世に残されたのであろうと思うのです。

by ワンモア (2015-09-26 19:54) 

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