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隠れた名設計者、ロベルト・ルッサーの功績〜その2

 さて、前回の続きを。
 ドイツの主力機から新型兵器に携わってきたロベルト・ルッサーですが、戦後は、かつてのライバルであったフォン・ブラウン博士と合流しロケットによる宇宙開発競争に携わります。

その時の写真はこちら。1956年の撮影です。

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 ロケット・メン5ということで、なんかカッコいい感じに撮れてますが、いかにも宣伝大好きのアメリカって感じの写真ですね^^;

 右からロベルト・ルッサー、フォン・ブラウン、ヘルマン・オーベルト、エルンスト・シュトゥリンガー、オルガー・トフトイ。アメリカのトフトイ少将以外はみんなドイツ人でロケット開発に貢献した科学者たちです。真ん中のオーベルトおじさんだけ怖い
(笑)。

◆技術の収奪戦に巻き込まれたドイツ人科学者たち

 第二次世界大戦の終結が見え始めた時、連合国はドイツの科学力に目をつけていました。V-1のような無人飛行する兵器。撃墜不可能なV-2ロケット。実用化ジェット機や無尾翼機など、圧倒的な科学力を、連合国の各国は、我先にと戦利品としてぶんどったのです。米軍は航空技術を中心に、イギリスは潜水艦技術を、ソ連はあたりかまわず。
 アメリカが獲得した押収した科学的・技術的な戦利品は貨車300台分に相当し、その価値は計り知れないものであったと言われています。

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宇宙にまで達する航空機まで視野に入れていたドイツ
UFOはドイツの秘密兵器だったという噂も信じられそうです^^;


 連合国は34万件ものドイツの特許を手に入れ、20万の国際特許を没収したと言われています。アメリカの記録保管室には、未だに何万トンもの押収したドイツの書類が詰められ、特許やそれに類した100万の計画がアメリカで実現されているとも噂されているのです。
 これらのパテント料、特許料などは一銭も払う必要がなかったのですから、戦後、多くのドイツ人から史上最大のドロボー行為と呼ばれています。
 ソ連はもっとひどく、科学者たちを生ける戦利品として、家族ごと、ソ連本土へと拉致し、否応無しに技術開発に協力させました。
 こうして、ドイツの科学力・技術力をベースにして世界は東西冷戦と言われる時代へと突入することになるのです。

 ルッサーも米国に渡り(というか半ば強制的に連れていかれ)、アメリカ海軍のジェット推進研究所で働かされます。
 そして、かつてのライバル、フォン・ブラウンのロケット開発に合流することになるのです。戦後から8年、1953年の事でした。そこでの6年間でルッサーは、有名な「ルッサーの法則」として知られる、信頼性に関する法則を発表します。


◆有名なルッサーの法則

 現在も活用されているこのルッサーの法則、簡単にいうと、「完成品の信頼度は、組み込まれた各部品の信頼度の相乗(かけ算の和)に影響される」というもの。
 どういう意味かといえば、各部品の信頼度が完成品にあたえる影響を述べたもので、部品単位での欠陥は細かいものでも、、それらひとつひとつが集まると、乗数的な爆発的影響力を及ぼすということです。

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 ??^^; わかりづらいので具体的な例を。

 ロケットのある部品が12つあったとして(少ないですが^^;)、それぞれが90点(0.9)の出来栄えだったとします。それぞれ単品で見ると90点なので問題ないように見えます。
 しかし、その部品の集合体であるロケットの出来栄えを考えた時に、みんなが0.9だから平均をとって0.9の出来栄えだと考えてはいけないということなのです。

 そうではなく、掛け算で考えよというのがルッサーの法則です。
先ほどの例でいくと、

0.9×
0.9×0.9×0.9×0.9・・・・=0.28!

 なんと、12つの部品の集合体であるロケット全体の品質は28%の程度でしかないとする考え方なのです。

 なので部品点数が多ければ多いほど求められる品質は跳ね上がり、全体で100の品質にもっていくには、個々の部品の品質を手を抜くことなく100点に近づけなくてはならないという訳です

 別名では「ルッサー積」とも言い、小さい欠陥の集合は掛け算で評価する考え方なのです。

Cap 553.jpg アポロ計画をはじめとするNASAの基準として有名な99.9999%の信頼性(1千万分の1)という数字はこのルッサーの法則からはじき出されているのです。

 日常の生活でも使えそうな考え方ですね。5科目平均90点で満足するなとか^^;

(右図)何十万という部品の集合体であるロケット


◆ルッサーの警鐘

 この法則の計算を基にしてルッサーは、月や火星へ到達するという野望は、「要求される宇宙船の複雑さが原因で失敗に終わる運命である」と発言していました。
 しかしながらNASAはこのルッサーの法則を土台にして1969年に月面着陸を果たすという成果を生み出します。ルッサーの法則を乗り越えた訳ですね(月面着陸はNASAの嘘だったとする根拠にもされていますが、それはまたの機会に^^;)

 同じようにルッサーは、当時のアメリカの最新鋭のジェット戦闘機F-104の品質にも警鐘を鳴らします。このF-104、1958年から運用を開始した当時では”最後の有人戦闘機”とも称される最新鋭の戦闘機でした。

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 外見からも今までにない小さな主翼。まるでミサイルのような形状に注目が集まりますが、
この戦闘機は墜落が多発し、”
未亡人製造機”、”空飛ぶ棺桶”とまで言われてしまいます。

 その理由は、1基しかないエンジンが頻繁に故障したこと。そして失速しやすかったことが挙げられています。特にドイツ空軍では主に地上攻撃用に使用したので高度が低く墜落が多発しました。最終的には西ドイツは916機導入したのですが、なんと292機をもF-104を喪失しています。

 日本ではドイツのような運用はしないものの、小松基地のF-104が民家に墜落する事故が起きています。住民が4名死亡し、大問題になっていますね。これ以降、空自は極力双発機の導入に努めるようになった位です。

m_Cap20467.jpg

 実は、ルッサー以外にも、このF-104の導入に強く反対する人がいました。かの有名なドイツの撃墜王、エリッヒハルトマンです。
 戦後、10年の長きに渡りソ連に抑留された後、1958年に再結成されたドイツ連邦空軍に入隊し、大佐にまで昇進したハルトマンですが、ドイツ空軍がF-104を採用することに強く反対します。
 「まずはパイロットたちが、F-100等でアフターバーナー等の先進技術を熟訓練した方が良い」との歯に衣着せぬ批判を行ったことなどが空軍上層部の不興を買い、1970年48歳の若さで退役することになります(退役時に一応、少将に名誉昇進)。

 ハルトマンはパイロットらしくパイロットの練度(品質)の立場から、ルッサーは技術者としての部品の品質の立場から批判したのが印象的ですね。

 このF-104の批判ですが、導入後、事故が多発し、未亡人製造機と揶揄されるほどの事態になり、二人の具申は正しかったことを証明することになります。


◆その後のルッサー


 アポロ計画に6年携わり、60歳の区切りで任を解かれたルッサーは1959年、西ドイツへ戻ります。
 そして古巣であるメッサーシュミット社に戻ったようです。
 かつてのライバルでもあり、ケンカ別れしたウイリーメッサーシュミットは健在だったのでしょうか。かつてのライバルとは仲良くやれたのでしょうか。
 メッサーシュミット博士の方は、戦後の米ソの技術者争奪には声がかからず、1948年に戦争犯罪で有罪、2年間の収監生活を送ることになります。ナチ党員ということも不利に働いたかもしれません。
 釈放後は、ドイツでは航空機製造が禁止されたため、プレハブ住宅や小型自動車、ミシンなどの製造を行っていました。満足できないメッサーシュミットはスペインに渡り航空機の開発を行うものの、かつての精彩を欠いてしまって成功したとはいえませんでした。

1955_Messerschmitt_KR200 copy.jpg
メッサーシュミットKR200(1955)
航空機が作れないのは日本も同様でした。

 1955年からようやくドイツでの航空機製造が解禁となり、メッサーシュミット社でもF-104のライセンス生産を行うことになります。
 ルッサーはこの時に自分が戻った会社で、ライセンス生産に入ったF-104の品質に警鐘をならしたのかもしれませんね。
 メッサーシュミット社は、この後合併に次ぐ合併を行い、1969年、メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)となり現在に至ります。

ルッサーの
晩年はスキーブーツの改良に費やしたそうで。
1969年1月19日にミュンヘンで死去しました。享年70歳でした。


 彼の生涯を見ると、ちょうど航空機の黎明時代からレシプロエンジンの最高の進化、そしてジェット機、ロケットという宇宙開発競争の黎明の時代までを技術者として第一線で開発に携わっています。
 ドイツの主力戦闘機だったBf109、実用ジェット戦闘機を目指したHe280、そして無人航空機の先駆的存在としてのV-1(Fi-103)、フォン・ブラウンと共に宇宙を目指したロケット開発・・・。

 そして「ルッサーの法則」は今も多くの製品の品質向上に役立っています。
 波乱万丈でしたが、技術者として冥利につきる人生だったように思います。

Cap 553 copy.jpg
今も現役で飛び続けているBf108


 2回に渡り長い記事にありましたがお付き合いくださりありがとうございました。

 なんと偶然ですが、Bf108が明日から発売です^^;
 

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コメント 5

隊長

前・後編読み応えがありました。
旧東ドイツでの航空機開発がどうだったのかも興味あります。
by 隊長 (2015-11-17 16:15) 

アニ

ドイツのロケットの話しは漫画「栄光なき天才たち」で読みました^^
by アニ (2015-11-17 17:27) 

johncomeback

ルッサーの法則とは懐かしい。
最初に勤めた会社の新人研修で教わりました。
by johncomeback (2015-11-18 09:01) 

bpd1teikichi_satoh

昔のドイツ人科学者は素晴らしい業績を残しましたね!
ルッサーの法則は考えさせられます。非常に多くの部品から成るロケット、航空機の様な場合、個々の部品の信頼性が非常に重要であると言う事だと思います。
by bpd1teikichi_satoh (2015-11-18 16:09) 

ワンモア

★隊長 さま
お付き合いくださりありがとうございます。
ちょっと頑張り過ぎたので、
しばらく軽い記事にしようかなと(笑)
でも、色々と面白いネタも見つかりました^^;

★アニさま
『栄光なき天才たち』今回、私も蔵書から引っ張りだして読みふけってしまいました。脱線しそうになりましたので、
またの機会に記事にするつもりです^^;

★ohncomebackさま
ルッサーの法則・・まさかBf109と結びつくとは思いもよりませんでした。こういうのって妙に嬉しくなります^^

★bpd1teikichi_satohさま
こんばんは~。ドイツ人科学者たちはすごかったですね。
設計者たちの物語はまた記事にするつもりですので、
お付き合いください^^
by ワンモア (2015-11-18 20:34) 

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