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戦時中の『模型航空』という雑誌を見せていただきました。

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 いつも楽しみに拝見させていただいている駅員3さん(ブログ「東京の坂と橋をJeep M38で巡る江戸情緒発見の旅」)から、貴重な資料を見せていただきました。
 昭和18年の「模型航空」という雑誌のPDF資料です。東京
日日新聞(現在の每日新聞社)が刊行していた雑誌ですね。思わぬ嬉しいプレゼントです^^

 昭和18年元旦の刊行ということは、戦争の真っ最中です。この時期は、戦局が不利になり、ニューギニアのバサブア島で日本軍兵800人玉砕し、ガダルカナル島撤退を決定した月でした。
 こんな大変な時期に、このような雑誌が刊行されていたは驚きでしたが、当時は航空が科学技術や国力の重要要素であったため、国が国民教育の一環として、積極的に取り入れた時代だったようです。
 この雑誌の発刊も、毎日新聞社という大手が刊行していました。
 調べてみたら、当時の学校教育では以下の授業内容がありました。

当時の学年別教材と製作所要時間

  • 小学1年:ヒコウキ(中・厚紙製の小型滑空機。1時間)
  • 小学2年;ひこうき(胴体はキビガラ、翼は厚紙の小型滑空機。2時間)
  • 小学3年:グライダー(胴体は細木、良くは竹ひごと紙の小型滑空機。2時間)
  • 小学4年(前期):グライダー(同上構造の中型滑空機。6時間)
  • 小学4年(後期):飛行機(同上構造、既製プロペラの小型飛行機。6時間)
  • 小学5年:飛行機(同上構造、自作プロペラの創作飛行機。8時間)
  • 小学5年(補助):滑空機(胴体はキビガラ、翼は厚紙の異型滑空機。2時間)
  • 小学6年:滑空機(胴体は細木、翼はリブに薄紙張りの大型滑空機。8時間)
  • 高等1年:飛行機(四角胴、創作プロペラ、実物似の飛行機。8時間)
  • 高等2年:滑空機(三角胴、高性能を出せる大型滑空機。12時間)
    (模型航空教育〜Wikipediaより)

 いやあ、飛行機好きの私としては、現在の教育でも行って欲しい(笑)。このような授業があったせいか、当時の学童の工作能力は現在よりも大幅に高かったと言われています。今では小刀で鉛筆も削れない(削らせない?)子供たちも増えていますしね。思い返せば、父も異様に器用でしたし、母も器用なのですが、こういう教育のおかげかもしれません。
 ドイツは日本よりも10年以上も前から模型航空を取り入れたていたとのことなので、ドイツの先進的な科学技術の発展の理由が分かるような気がします。

 さて、
さっそく雑誌の目次を見ていきましょう。

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 左側に大きくある『リピッシュの羽博(?)機』という書籍のリピッシュって、Me163の設計で有名な無尾翼機の大家、アレキサンダー・リピッシュ博士ですね。

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 その他にも、映画「風立ちぬ」の堀越二郎の友人でもある本庄季郎氏や、長距離飛行の世界記録を出した航研機の木村秀政氏など、当時の航空界の第一人者たちが執筆にその名を連ねています。
 村上勇次郎氏は、日本初のロケット機「秋水」をベースにした「秋水式火薬ロケット」の設計主任者です。なんとも凄い技術者たちが執筆しています。

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堀越二郎と本庄季郎(映画『風立ちぬ』より)

 当時は、航空機の開発でかなり忙しかったはずですが、こういう未来への教育も大切にしていたことが想像できますね。

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 当時は競技用の飛行機模型を作ることも奨励されていましたので、今回の特集ではMC-1型模型の解説が詳細に載っています。
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 著者は、三菱重工の名古屋航空機製作所の設計室の中山氏という、この方も現役の技術者で、本庄氏の直接の指導の下で設計されたものです。
 構造から作り方まで詳細に描かれていますが、この記事で工作してしまう当時の少年たちもすごいですね^^
 

Cap 637.jpg
 プロペラ工作の仕方も図と説明文だけで、今みたいに至れり尽くせりではないのですが、非常に丁寧な文章なので作れる感じがします。
各部の重量目安の横に鉛筆で薄くメモが描かれていました。


工作記事の次には、教科書のような構造の記事が載っています。
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日本の航空界の重鎮、木村秀政氏。
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実際に作り勉強をしながら、競技にも参加する。これは良い教育だなぁ。

 そのほかにも、最近の情勢の時事ネタ記事もあります。
 「敵米国の模型航空界」という記事。「我が国のように良質な和紙、竹、檜を始め、大東亜圏からふんだんに輸入できるゴムなどを模型航空界に提供できるのとは違い、敵米国では、材料を大切に使えということで、模型工作の材料が品薄であり、バルサ材などが仕入れることができなくなったのは痛快である」という記事でした^^;
 特に、「ジュニアー模型店の御主人は、米国政府の模型に対する冷淡な態度に腹をかなり腹を立てているのは、愉快である」とも(笑)。
 国策で航空模型を推進している日独と違い、アメリカなどは模型航空は自由にやらせていたのでその違いが現れているのでしょう。当時の情勢をうかがい知ることができて、貴重な資料でもあると思います。
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ビジネスOA機器で有名なOKIの当時の広告も。

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 また、面白い人を見つけたのですが、「ガソリンエンジン物語」を連載している北村小松という方、当時の模型飛行機の専門家の一人です。専門は劇作家、小説家、脚本家なのですが、戦後、「日本空飛ぶ円盤研究会」なるものに所属し、三島由紀夫氏とも親交がありました。
 なんとも怪しげな研究会ですが(笑)、なんと、ロケット工学の糸川英夫、SF作家の大御所、星新一、三島由紀夫、石原慎太郎も所属していたといいますから驚きですね^^; 

 
 という感じで、全てにおいて大変興味深い、資料でありましたが、特に印象に残ったのが、冒頭記事にありました
飛ぶことだけに興味を覚え、科学的研究を忘却しては、単なる遊戯である。(中略) 少年たちに対する模型航空機教育の普及こそ、科学教育の重要なことであり、正しい工作法を厳守すべきである」という言葉が当時の日本が何を考えていたのかを象徴しているようで印象に残りました。
 

 いやあ、大変興味深い、面白い資料を見せていただきました。駅員3さまに感謝、感謝です。

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コメント 6

アニ

これは凄い資料ですね^_^
by アニ (2015-12-20 15:44) 

海を渡る

こんにちは。
手作り模型の世界、楽しませてもらってます。
今度は水族館に行きたいのですが、遠いです^^。
by 海を渡る (2015-12-20 16:35) 

johncomeback

駅員3さんは僕が最も尊敬するブロガーさんです。
by johncomeback (2015-12-20 20:00) 

駅員3

いやー、精力的に色々お調べになりましたね。
素晴らしい!!
「学校教育の一環・・・」というのは知っていましたが、学年ごとにここまで教育カリキュラムが組まれていたとは!!
私が子供の頃は、小2で落下傘を作り、小5か6でゴム動力機を作った記憶があります・・・

⇒johncomebackさん、素敵なコメントありがとうございます(*^^*)

「羽博」ではなく「羽搏」ですね。
『搏』は打つとかたたくとか鼓動するというような意味のようですから、「羽搏」とは羽ばたき飛行機のようなものでしょうか?

トラックバックありがとうございました。

by 駅員3 (2015-12-21 07:23) 

ちょいのり

教授3は何でも持ってるなあ~wすごい^^;
昔の方が手が器用なのが少しわかった気がします^^
時代とはいえ、事業にも多く工作を取り入れていたのですね。

by ちょいのり (2015-12-21 11:40) 

ワンモア

★アニさま
 こういう時代を感じさせる資料って隅々まで見てしまいます^^;

★海を渡るさま
 水族館も良いですね。大人になってから行くと別の楽しみが増えます^^

★ johncomebackさま
 おぉ、 johncomebackさんが尊敬されている方とは。
 私にとっては、毎回のセンスが光るjohncomebackさんも尊敬しております(^o^)
 
★駅員3さま
 今回は、大変お世話になりました^^ 知っている方々のお名前が並んでいたので、びっくりして色々と調べてみました。
 今回は勉強になりました〜^^

★ちょいのりさま
 駅員3さんのブログには貴重な物が数多く掲載されているので、楽しみです^^
 昔の人が手先が器用だったのは、こういう事情もあったのかもしれませんね。
by ワンモア (2015-12-21 20:48) 

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