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偵察機あれこれ〜その1偵察、それは飛行機の最初の使命

 ◆飛行機の最初の任務は「偵察」
 空をとぶことは人類の夢。1903年、ライトフライヤーが飛行機での飛行に成功すると、飛ぶこと自体が目的だった夢はすぐに過ぎ去ってしまい、飛行は目的のための手段になってしまいました。
 航空機はその歴史から軍用とは切っても切れないものがあるのですが(そもそも戦争がなかったらここまで進歩していなかった)、軍用機としてもっとも古参な飛行機が「偵察機」なのです。
 空に高く上がるということは、遠くを見渡せると言うことです。戦争において、空中から周囲を監視するということは、敵軍の動きを察知するということで、どれほど有益な情報を味方もたらすかは容易に想像できると思います。

 18世紀末に気球が開発されるや否や、偵察や観測などの軍事目的で使われましたが、特に野戦砲など着弾観測には気球は非常に便利で、有効な乗り物だったのです。

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1794年、フランスで偵察任務に就く気球

 また、騎兵隊の重要な任務である斥候にも「飛行機」という存在は非常に有効な手段となりました。なにより馬よりも速く、遠くを偵察できるのですから。最初の飛行隊は騎兵隊から始まったというのもうなずけますね。
 1900年初頭に飛ぶだけだった飛行機は、その14年後に始まってしまった第一次世界大戦でも、まだ、よちよち歩きのようなもので、飛ぶだけしかできませんでしたが、それでも気球よりはるかに使えるということで、敵地への偵察任務に就くことになります。
 ですから、敵と遭遇しても攻撃できる訳でもなく、お互いに手を振り合ったりして、それはのどかなものでした。しかし、それでは戦争に勝てません。すぐにお互いの偵察行動を妨害するため色々と攻撃するようになります。

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様々な兵器が登場した第一次世界大戦(1914〜1918)

 最初はレンガを相手の翼の上に落とそうとしたり、携行する拳銃で撃ち合ったり。航空機用の機関銃を搭載するまでには、さほど時間はかかりませんでした。
 敵機を撃墜し、偵察任務を妨害する飛行機、そう、「戦闘機」の誕生です。
 また、敵情視察のついでに敵陣も攻撃してみようということになりました。手榴弾を敵地に投げる、やがて爆弾を搭載してばらまいて帰るようになる。これは「爆撃機」の始まりになります。こうして偵察だけの任務は、それではすまなくなり、色々な種類の飛行機が一斉に生まれることになります。

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世界最初の量産された専用戦闘機、フォッカーEⅢ(1916)

 
 ざっとみても
・飛行場の建設が間に合わないから水上から離発着したい→水上機、飛行艇
・艦船に飛行機を搭載したい→艦上機(艦上戦闘機、爆撃機、偵察機、観測機)
・司令部や部隊間において馬や車よりも早く連絡を取りたい→連絡機
・物資や兵士を早く届けたい→輸送機
などなど。このように戦争の激化に伴い、飛行機は様々な種類に分かれて発達していくのです。


 それは、まるでひとつの種から一斉に枝分かれしていった生命進化のようです。

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 第一次世界大戦が終わると、各国は表向きは郵便輸送、旅客輸送と民間転用を行いつつ、次の戦争に備えて、更に高性能な軍用開発に力を入れるようになるのでした。
 それは戦車や軍艦などの他の兵器も同様で、もたもたしていると、あっという間に大国に飲み込まれる・・・。当時はそんな弱肉強食の世界だったのです。

◆世界初の「戦略偵察機」を開発したのは日本だった。
 第二次世界大戦が始まると航空機産業はピークを迎えます。民間・軍用機問わず、航空機の需要は更に高まり、数多くの種類の飛行機が各国で開発され、運用されました。
 その航空機の主力は戦闘機、爆撃機、輸送機などであり、偵察機そのものはさほど重要視されていませんでした。偵察機は、戦闘機や爆撃機など他の機種からの改修・流用でほぼ足りていたのです。しかし、日本だけは「偵察」専用機の開発に早くから力を入れていたのです。

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 大戦中の試作機まで入れると15機種と、2位のアメリカの倍近くの偵察機を開発しており、世界でもダントツのトップです。特に軍部の戦略を計画する上で貴重な情報を収集する「司令部偵察機」という新しいカテゴリもを作り、世界初の戦略偵察機である「九七式司令部偵察機」という飛行機も生み出しております。
 
その後継機である「一〇〇式司令部偵察機」に関していえば、1,742機製造という、偵察が任務の航空機にしては驚異的な生産数を誇り、全ての戦線で活躍しました。
 ざっと見ても、
<日本海軍>
九四式2号水上偵察機、九五式水上偵察機、九六式小型水上機、零式小型水上偵察機零式水上偵察機、零式水上観測機、二式艦上偵察機、二式陸上偵察機「彩雲」、「瑞雲」、「紫雲」「景雲」
<日本陸軍>
九七式司令部偵察機、九八式直接共同偵察機九九式軍偵察機(襲撃機)、百式司令部偵察機など実に様々な偵察機を開発しています。

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(左上)零式小型水上機 
(右上)キ38九八直接共同偵察機
(左下)
九五式水上偵察機 (右下)景雲

 なぜこれほどまでに多くの偵察機を開発しなくてはならなかったのか、それは全体の生産性に関してデメリットにならなかったのか、個人的には大きな疑問になりました。

◆なぜ日本は他国に較べて数多くの偵察機を製造したのか?

 そこで、なぜ日本だけ、突出した数多くの種類の偵察機を開発したのか?調べてみたのですが、以下のような点が挙げられるのではないかと思います。

他国に較べて日本に偵察機の種類が多い訳
・航空エンジンのパワーに余裕がなくマルチ機が開発できなかった。

・広大な戦場に対応する必要性、それと陸軍と海軍の偵察・斥候の概念が違っていた。

①航空エンジンのパワーに余裕がなくマルチ機の開発が困難だった。
 零戦でもいえるようにエンジン開発に日本は最初から最後まで苦戦していました。エンジンを換装し直すだけで別物の飛行機のようになるのが軍用機です。どのエンジンを搭載するかということは、航空機の運命を決定付ける重要なファクターですが、2,000馬力級のエンジンを搭載して続々と登場してくる英米機に対して、日本は終始苦戦を強いられています。

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 エンジンで苦戦している日本の設計技術陣が成すことはひとつ。軍の要求の目的に特化した単用機に仕立てるということです。
 例えば速度に特化した高速偵察機が欲しい場合、エンジンパワーに余力があるアメリカ機は戦闘機の武装を外せば、かなり目的に近いものが出来上がります。
 しかし、エンジンに余力がない日本機の場合はそれだけでは無理な場合が生じます。特に日本機の場合は他国に較べて格闘戦での運動性能を重視していたので、その必要がない偵察機とは設計コンセプトが合致しませんでした。
 戦闘に必要な強度を落として重量を軽くし速度をかせぐ。軍部の要求に応えるためには、このような努力も必要だったでしょう。既存の航空機を改造して偵察機にするより、最初から新規で開発した方が早かったということもあるかもしれません。
 また写真撮影や通信などの任務で、複座、三座が必要な場合、爆撃機、攻撃機から転用することになりますが、その場合でもで爆弾搭載のための積載量や構造強度は必要ありませんので、やはり専用機の方が高性能になります。

 「彩雲」などみても、搭載機数が限られている空母で専用の艦上偵察機を開発・搭載している日本は世界的に見ても極めて珍しかったのですが、それには、こういう苦しい事情もあったように思うのです。
 ちなみにこの彩雲ですが、烈風流星と共に新艦載機トリオとして搭載する予定でした。「大鳳」には烈風19機、流星36機、彩雲6機、「信濃」では烈風38機、流星19機、彩雲9機という、偵察機にしては非常に多い機数が予定されていました。
 広い洋上での索敵と敵陣営の撮影、また敵に発見された場合でも、高速で振り切り帰投する強行偵察機を海軍が如何に重要視していたかが分かります。
 
 「流星」は、急降下爆撃、水平爆撃、雷撃などの多様な攻撃に対応できる艦上機でしたが、これも1,825馬力の誉12型のパワーの成せる技でした。

 多様な任務に対応できるマルチロール機はエンジンパワーに余裕がない日本ではかなり厳しかったといえます。 ちなみに彩雲も流星も、日本機では最高の2,000馬力級のエンジン「誉」を搭載して名機との評価を受けています。
 日本の面白い所は、そのように色々な点を犠牲にして特化して製造した偵察機が、その高性能ぶりから、後半は夜間迎撃などの戦闘機としても活躍した点でしょうか。他国に較べて逆の道筋を辿っている所が独特に感じますね。

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海軍最速機「彩雲」。戦後アメリカで694.5km/hを記録しました。


②陸軍と海軍の偵察・斥候の概念が違っていた。
 日本がいち早く戦略偵察機を開発した理由ですが、広大な中国大陸で日本陸軍が作戦を立てるのに、敵の情報をいち早く知る必要があったことが考えられます。
 斥候は古来より戦局を大きく左右するものでしたので、司令部直属の専用機が欲しかったのは当然のことでしょう。他国はまだ大陸侵攻の戦闘をしていなかったため、日本ほどのニーズはなかったのではないでしょうか。
 長距離飛行ができて、速度も早いこと。また軍部の展開に合わせて移動するので、整備されていない陸地でも着陸できるような頑丈な脚など求められるなど、コンセプトも明確でした。
 ドイツでは、狭い場所での離発着ができるシュトルヒFi156連絡・偵察機などが開発されています。北アフリカ戦線のロンメル将軍専用機が有名ですよね。

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Fi156 50mもあれば離発着できたSTOVL機の元祖


 陸軍ではこのように、
九七式司令部偵察機九八式直接共同偵察機(攻撃も可)→九九式軍偵察機(九九式襲撃機の派生型)→百式司令部偵察機と順調に開発が進んでいきました。

 かたや海軍では、もう少し事情が複雑でした。飛行甲板のない艦船からもカタパルト射出で可能なこと。砲弾の着弾観測の必要があったことなど様々な用途に対し、マルチな対応をするには厳しかったことが多様な偵察機を生み出した要因であったように思います。


 次回で更に詳しく見てみましょう→続きます(^o^)

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コメント 2

johncomeback

偵察機も奥が深いんですね。
いつもながら分り易い解説で楽しめました(^-^)
by johncomeback (2016-01-11 13:34) 

ワンモア

いつもありがとうございます。
色々調べていたらスパイ衛星から無人機まで拡がってしまいました^^;
by ワンモア (2016-01-12 20:29) 

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