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日本の酸素魚雷と航空兵器

 前回の続きになります。
 20世紀初頭の欧米の列強諸国に対抗するべく、富国強兵政策を進めていた日本でしたが、工業力や物量で差はいかんともしがたいものがありました。そこで日本が選んだ施策は優秀な兵器を開発することでした。物量には質で対抗しようとしたのです。

 結局、最後まで追いつけなかった技術、なんとか追いついた技術など様々でしたが、中にはキラリと光るものも散見されるのです。
 戦後、日本が急速に復興して技術大国になったのも、単なる
模倣や輸入だけに頼らず、自分たち独自で開発しようとする熱意があったからなのでしょうね。人材教育はとても大事だと思います。
 さて、日本の突出した技術の一つによく言われるのが、日露戦争のバルチック艦隊を粉砕した一因ともいわれる「下瀬火薬」などですが、
魚雷の開発に関しても一番進んでいたのは他ならぬ日本だったというのはご存知でしょうか。
 今回はその魚雷でも有名な「酸素魚雷」に関しての話になります。

◆世界で唯一開発に成功した日本の「酸素魚雷」

1024px-Type93torpedo.jpg
回収されてワシントンに展示してある九三式魚雷

 この酸素魚雷、通常の魚雷との違いは何でしょうか。魚雷の推進力は、通常は「圧縮空気」を使用します。水中を進むエンジンは、ピストンエンジンを回すために酸素を取り込みますが、空気の酸素以外の気体(窒素など)は燃焼に使われないため、気泡として海面上に出てしまうのです。これが、魚雷の航行の軌跡として見えてしまうため、艦船が回避するための手段に使われてしまうのです。
 ですので、理想形は燃焼に使用する酸素だけを積載するということなのですが、この純酸素は、それ自体が爆発物なので、扱う側にとってもかなりの危険物なのです。

 ですので、研究開発当初から爆発事故が相次ぎました。これは他の国でも同じで、あまりに頻発する事故に、酸素魚雷の開発を早々に放棄してしまっていたのです。イギリスも一度は開発に成功したものの、搭載した軍艦で爆発事故を起こしたため開発放棄と相成りました。
 日本も一度は開発を断念したのですが、ワシントン軍縮会議で艦船の製造制限を受けていたこともあり、英米の物量に対抗するためには数に頼らない必殺兵器がどうしても必要ということで、再び挑戦をしていたのです。日本だけは諦めきれなかったのですね。

 昭和4年から再開発がスタート。純酸素の量を徐々に増やすという、着火時の引火による爆発事故を防ぐアイデアから安全性が高まり、一気に開発が進みます。
 そして昭和8年、ついに試作1号機が完成。更に改良を加え、昭和11年に世界初の実用化された酸素魚雷が誕生することになりました。

 直径61cm、全長9m、重量2.8トン、速度50ノット、射程は20km、炸薬500kg。
 当時の世界の水準を遥かに超えたこの魚雷は「九三式魚雷」と命名されました。
 純酸素だけですので、航跡が出ないという最大のメリットに加え、空気に含まれる窒素などの余計なものを搭載しませんので(空気の8割が窒素)、
その分燃料とか炸薬を搭載できるという効果もあり、射程距離は通常の4倍近く、炸薬も2倍近い量を搭載することが可能でした。

Japanese_Type_93_torpedo.jpg
九三式魚雷推進部分の構造


 欧米と比較してどの位の性能かというと、簡単に言えば「射程で3〜4倍、炸薬で1.5倍〜2倍の量」といったところでしょうか。魚雷を発明した先達のイギリスを遥かに抜いて際立った性能を見せています(別表リンク)。
 当然、この魚雷は最高軍事機密に属するものなので、「酸素」という言葉は禁句になり、機密保持の徹底をはかったそうです。
 この九三式魚雷によって水雷戦隊(駆逐艦の編成形式)の戦闘様式も大きく変化していくことになりました。
 当時考えられていた艦隊決戦は、戦艦の主砲同士の撃ち合いにあり、小型の水雷戦隊は補助艦的な存在だったのですが、この圧倒的な性能を誇る九三式魚雷の実用化によって、水雷戦隊が、艦隊決戦の切り札としての役割を担うようになってきたのです。
一つの兵器の開発が、日本海軍の戦闘のあり方まで変えていくことになったのでした。

 はるか遠くから忍び寄る発見が困難な魚雷。米海軍の兵士たちは、この兵器を「ロングランス(長槍)」と呼んで恐れていたのです。 
 

USS_Wasp_(CV-7)_brennt.jpg
潜水艦伊号19艦の放った6本の酸素魚雷のうち、
3本が命中して沈没した空母「ワスプ」
外れた魚雷は、偶然にも戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンにも命中
両艦を大破させた。


◆日本海軍で使われた主な魚雷

 こうして大変な苦労を重ねて開発に成功した酸素魚雷は、水上艦船の主役となるのですが、以下のような魚雷が開発されています。

・九〇式魚雷(61cm、水上艦艇用通常魚雷)九三式の基になった魚雷。
・九一式魚雷(45cm、航空用通常魚雷)航空用といえばこれ。
・九二式魚雷(53cm、電池魚雷)
・九三式魚雷(61cm、水上艦艇用酸素魚雷)
・九四式魚雷(1型53cm、2型45cm 航空用酸素魚雷)ほとんど使用していない。
・九五式魚雷(53cm、潜水艦用酸素魚雷
・九七式魚雷(45cm、甲標的(特殊潜航艇)用酸素魚雷)
 ※それぞれに改1,改2など細かいバリエーションが存在する。



◆酸素魚雷の使い方
 
さて、軍縮条約によって主力艦の製造がアメリカの約6割に制限されたことにより、主砲の代りということで期待を背負った酸素魚雷。実際の戦闘ではどうだったのでしょうか。

 戦艦の主砲以外にはろくに届かないような遠距離から酸素魚雷で攻撃。これは正に理想の展開です。

 しかし昼間の攻撃では敵に近づく前に砲撃にやられてしまいます。逆に酸素魚雷の特性を活かした長距離からだと命中率も落ちます。
 おとりの艦を用意して、その隙に撃ちこむという方法もありますが、これは数が少ない日本海軍では採用できません。
 このジレンマを克服するために弾幕を張るように数多く酸素魚雷を撃ちこむという方法も考えられ、「大井」「北上」という魚雷発射管を40門も積んだ特殊巡洋艦も作っています。
 しかし、戦域に数多くの魚雷が飛び交うことは同士討ちの危険も出てきて、現実にそういう事件も起きました。
 現実問題としては優秀な魚雷を作っても、艦船の数で不利な日本は、なかなかその特性を活かすことが難しかったのです。

◆航空機という伏兵

 さらに追い打ちをかける存在が現れます。それは航空機の存在でした。それは日本海軍が考えていた「酸素魚雷による遠距離からの攻撃」、「戦艦の巨砲によるアウトレンジ戦法」を無効にしてしまうほどものでした。
 
戦艦に致命傷を与える爆弾や魚雷を航空機に搭載、長距離から飛来して命中させる・・・。この戦法が魚雷や砲撃よりも確実で効果的なことを、皮肉なことに日本は真珠湾攻撃で自ら証明してしまいました。
 アメリカも航空機の打撃力の凄まじさに気づき、得意の物量作戦で大量の空母と航空機を戦場に送り出します。

九七Kanko_TBF.jpg
魚雷を搭載できた九七式艦攻とTBFアベンジャー


 航空機の発展は、海戦を「砲撃&雷撃」から「空母に積んだ航空機」への戦いへと変化させました。これに付随して、駆逐艦の任務は、「雷撃」から「対空戦闘、対潜戦闘」へと変わっていくことになるのです。
 これは、魚雷戦の兵装で防空設備の少ない日本の駆逐艦の弱点を突くことになりました。

 皮肉なことに日本は、自らが編み出した戦法を相手の十八番にされることで、首を締めることになったのです。

  日本海軍が勝てる局面は夜戦雷撃などの局地戦などに限られることになり、第一次ソロモン海戦ルンガ沖夜戦などでは局地的勝利を収めましたが、戦局を大きく左右するまではいかなかったのです。
 米軍のレーダーが発達してくると日本の得意の夜戦雷撃も効かなくなり、せっかくの高性能な酸素魚雷の活躍の場も徐々に失われていくことになります。 

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清水良雄画『ルンガ沖夜戦』



◆人間魚雷「回天」という結論

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回天

 こうして、酸素魚雷を運ぶ艦船が次々と撃沈され、兵器庫に魚雷のみが積み上げられていくことになります。せっかく魚雷を作ってもそれを乗せる艦船がないのです。
 そして遂にとんでもない考えに行き着くことになるのでした。それは、この魚雷そのものに人間を乗せてしまおうという狂気ともいえる発想、
「回天」という人間魚雷。
 この回天は現場の将兵から生まれたアイデアで、当然、軍部は人道を無視したものであるとして、断固として採用しなかったのですが、戦局の著しい悪化と国家存亡の危機を前にして、ついに採用許可が下りることになります。
 回天は九三式魚雷を基に開発したものですが、全長14m炸薬も1.25トンと大幅に諸元が変わり、魚雷というよりも小型潜水艦の様相を呈しています。
 初戦果は1944年10月。菊水隊と呼ばれた潜水隊により、給油艦ミシシネワを撃沈することに成功します。その正確な戦果は定まっていないそうですが、戦後の研究によると命中率は2%だったとのこと。
 最終兵器的存在だった回天。しかし、それでも日本の起死回生の一撃には至りませんでした。日本は単発的な優れた兵器は開発しつつも、圧倒的物量と最新鋭技術の総合力に敗北することになります。

 

 世界が開発しようとして挫折した酸素魚雷。世界最高の魚雷を開発したのは良かったのですが、それゆえに航空機への防空能力などの兵装転換に遅れを取り、それが敗北の原因の一つとなるという皮肉な結果を生み出すことになりました。
 戦艦大和もそうですが、いくら性能が良くても、その使い方を誤ると悲劇になるという良い例ではないかと思うのです。

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コメント 6

アニ

私の艦これでは潜水艦が大活躍しており、酸素魚雷にも大変お世話になっております^_^
by アニ (2016-01-20 00:23) 

ちょいのり

行き着く先が回天とは悲しいですよね・・・

昔、八丈島にある回天の格納庫跡と言われる洞窟に行きました(藪漕ぎして^^;)
何も無かったけれど^^;

by ちょいのり (2016-01-20 01:01) 

kinkin

回天、広島の江田島で見たことあります。
by kinkin (2016-01-20 05:12) 

johncomeback

酸素魚雷ですか、なるほど高性能だったのですね。
哀しいかな、戦争によって技術が飛躍的に
向上するのは事実ですよね(-_-;ウーン

by johncomeback (2016-01-20 13:34) 

caveruna

人間魚雷・・・映画などで知ってはいますが、
恐ろしいですね・・・
by caveruna (2016-01-20 17:08) 

ワンモア

★アニ さま
 潜水艦の唯一の武器ですよね。酸素魚雷で検索したら艦こればかりでしてきました^^;

★ちょいのり さま
 ちょいのりさんの現地探訪はすごいです!
 自分も時間があれば行ってみたいです^^;

★kinkin さま
 回天は色々な場所で展示してあるのですね・・

★ johncomeback さま
 人間はやっぱり追い詰められないと向上しないのでしょうか。うーん( ˘•ω•˘ ) 

★caveruna さま
 志願する兵士が多くて選考が大変だったとも聞いていますが、それだけ必死だったのでしょう。
 私はこういう歴史は忘れてはならないと思うのです。
by ワンモア (2016-01-20 18:47) 

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