前回の続きです。
ミッチェルにとって1933年という年は、新型戦闘機開発の完全な行き詰まりと己自身の癌の発病、そして確実に押し寄せてくるナチス・ドイツ侵略の脅威と、明るい未来がまったく見えてこない絶望の年でした。
しかし、ここでミッチェルは立ち上がります。それは「ドイツの新鋭機に立ち向かえるのは、己の技術力しかない。」という強い自負だったかもしれません。
正に不屈の精神をもつジョンブル魂のイギリス人の姿そのものであったと思います。今までの224型に見切りをつけ、ドイツに対抗する戦闘機、新しいタイプ300型(後のスピットファイア)の設計が開始されたのです。
彼の設計する飛行機を後押しする、強力なエンジンも同じ頃に開発されました。ロールスロイス社のマーリンエンジンです。このエンジンは大戦を通じて数々の改良型が生まれ、P-51Dマスタングにも搭載されて大成功を収めています。マスタングの”最優秀戦闘機”の名はこのエンジンのおかげであるといえるでしょう。
彼は、このマーリンを利用することで、より早い戦闘機が開発できると考えます。そして今まで培ってきたシュナイダーレースでの高速機のノウハウを取り入れていくのです。
開発の最中で、ミッチェルの病状は悪化し、激しい痛みとの戦いの中でも設計は進められ、翌年の1月には基本形が完成しました。
ミッシェルの考案したデザインは正に画期的なものでした。
スピットファイアのトレードマークともいうべき楕円形の翼はミッチェルの独創的なひらめきによって生まれました。今までの飛行機の構造ではない、薄い金属板を幾重にも重ねることで強度と翼内の空間を確保し、合計8門もの機銃を効率よく収めることに成功します。
但し、その代償として楕円翼の機体は、大量生産には不向きで時間のかかる高価な機体となりました。
その後、何度も修正の要請が入り、1936年3月5日。ついにスピットファイアの1号機が初飛行します。淑女のような優雅な佇まいで曲線美あふれた高速機。その高性能ぶりは、空軍関係者を驚かすに充分でした。
しかし、スピットファイアが初飛行を終えた直後、彼の身体は再び癌に侵されていることが発見されるのです。再手術の必要があったのですが、ここに至ってミッチェルは、手術も入院も拒否しました。彼は自分の残された時間をスピットファイアの最後の仕上げに費やしたのです。
やがてライバルとなるメッサーシュミットBf109はすでに一年前には初飛行を終え、大量生産ラインに入っていました。1935年にはナチス・ドイツは再軍備を世界に宣言し、隠すことなく軍隊を急速に増強していたのです。脅威は確実に迫っていました。
ミッチェルは仕事を続行します。 その後のスピットファイアのテスト飛行は順調に進み、ついに量産化が決定します。
それを見とどけてなのか、翌1937年2月、ミッチェルはついに倒れます。4月には最後の望みをたくし、ウィーンに治療のため向かうのですが、すでに打つ手はなく、まもなくイギリスに帰国。後任をジョセフ・スミス(スピットファイアの各タイプの開発を担当した育ての親ともいうべき存在)に託し、後は静かに自宅で過ごし、6月11日、ミッチェルは永眠しました。
彼は間に合ったのです。彼の死後、2年を経て戦争は始まりました。
ミッチェルの危惧した通り、ナチス・ドイツはヨーロッパ諸国を電撃的早さで陥落させていきます。イギリス国民にとって絶望的な状況の中で1940年の夏が訪れました。
アメリカは未だ身動きが取れず、イギリスの味方はどこにもいない状況です。
ヨーロッパを席巻したナチス・ドイツは予告通りにイギリスを襲います。空を埋め尽くすドイツ機の大編隊。バトル・オブ・ブリテンの戦いが始まります。
イギリスはどうなる?我々はナチス・ドイツに対抗できるのか?その答えは少数の空軍関係者だけが知っていました。数はまだ充分揃ってはいませんがドイツに対抗できる最新鋭戦闘機”スピットファイア”が温存されていました。
それは正にジョンブル魂の体現者ともいうべき意志を持つ男が、余命の中でその生命を削りながら造りあげた戦闘機。 負けるはずはありませんでした。
過去、優秀で高性能な航空機は数多く生まれましたが、スピットファイアは、実際の戦局でその国の命運を左右する戦いに参加でき、さらに成果がいかんなく発揮できた唯一の飛行機ではないかと思うのです。
その後、更なる高性能化を果たし、性能的には第二次世界大戦最優秀機の呼声も高いスピットファイアですが、私はこのバトル・オブ・ブリテンにこそ、スピットファイアが生まれた意味があったのではないかと思うのです。この時の戦いのためだけこそ生まれたといっても過言ではないかもしれません。歴史を変えた戦闘機ともいえます。
それは、癌に侵され余命幾許も無い一人の若き天才設計者の執念ともいえる結果でした。
歴史の中には、まるで、神から下された使命かのようにやるべきことをやると同時に亡くなる人がいます。R・J・ミッチェル。彼もまた、そのような人物なのかもしれません。
自分の余命があとわずかだと悟った時、家族との大切な時間を過ごすか、それともやり残した仕事を行うか。人の選択は様々だと思います。それは他の人からは強制することはできません。
しかし、このミッシェルのとった選択には、全イギリス人は感謝の念を捧げることでしょう。
スピットファイアのビールまであります。
このビール、金章を受賞しているので、本格的なビールです^^
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