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シュトゥルモヴィーク(襲撃機)の系譜。IL-10やIL-40など

 前回の記事では、ソ連のイリューシンIL-2の後継機、IL-20の話でした。今回はその後継機全般についてのお話になります。

 今まで、軍用機で一多く生産された機体はドイツのBf109と言われていましたが(約3万3千機)、戦後、ソ連のイリューシンIL-2が、Bf109を上回る3万6千機あまり生産されていたことが分かりました。

Screenshot01_zps1ce83246.jpg
IL-2とBf109の激闘シーン http://il2sturmovik.com/


 ですので、戦闘機としてはドイツのBf109。攻撃機、軍用機としてはソ連のIL-2が生産数No.1 ということになります。ジェット機時代になり、生産コストも上がっている今日と世界情勢を考えると、この記録は今後は破られることはないでしょう。もちろん、その方が平和で良いことです。
 

◆シュトゥルモヴィークの名
 
さて、ロシア圏で言われている「シュトゥルモヴィーク=襲撃機」ですが、地上の敵部隊を攻撃するのが主目的の軍用機です。
 ですので、「攻撃機」と訳されることも多いですし、「戦闘爆撃機」や「軽爆撃機」にも分類されます。近年では「近接爆撃機」なども。
 空の目標物を攻撃するのが「戦闘機」、地上の施設を攻撃するのが「爆撃機」、洋上の艦船を攻撃するのが「雷撃機」など、その用途と名称は戦争の拡大化に伴い、複雑に分かれていきます。
 

 イリューシンIl-2はその活躍が目覚ましかったので、
「シュトゥルモヴィーク=襲撃機」の代名詞ともなりました。似たような話には、「急降下爆撃機=スツーカ」の代名詞になったユンカースJu87がありますね。こちらも旧式になりながらも戦争終結まで戦い抜いた軍用機です。


「銃弾を避ける」より「銃弾に耐える」ように設計。空飛ぶ戦車。IL-2

 さて、このIL-2ですが、装甲だけでも700kgもあったといいますから、正に「空飛ぶ鉄の塊」。爆弾を積載して飛んでいるようなものですね。それでも翼面荷重が157.4kg/
m2と運動性能が良いスピットファイア並みなのは、翼面積を大きくとっているからでしょう。
 考え方のコンセプトは「銃弾を避ける」より「銃弾に耐える」です。
 元々、重武装で運動性が悪いから、避ける気もないという開き直った感があります。当初は単座でしたが、後部銃座を後から設けたのも運動性より攻撃性を優先したためと思います。日本機とは設計のコンセプトの違いが出て面白いですね。

Cap 51.jpg
赤い部分が装甲板で水色の部分が燃料タンクです。
後部銃座の人だけほとんど丸裸状態。ヒドイ・・。

 後退角があるのは、速度向上のためでなく、重心位置の調整のためです。タイヤの一部がはみ出しているのも地上不時着の際に機体の損傷を抑えるためのもの。空力的には不利でも損傷を受けないような設計は徹底していると思います。

IL-2.jpg
速度を狙った後退翼ではありません。



 爆撃にさらされるドイツ陸軍からは
「空飛ぶ戦車」、「屠殺者」、「黒死病」と怖れられた襲撃機でした。
 味方の戦闘機が救援に来ない場合、ドイツ陸軍の地上部隊はこの襲撃者たちに、縦横無尽に好きなように狩られることになるのです。


◆終戦間際に日本に攻めてきたIL-10
 さて、ソ連存亡の危機を救い、勝利に多大な貢献をしたIL-2。1944年の8月には後継機のIL-10が登場します。
 イリューシン設計局では、戦闘機として開発していたIL-1を改称し、地上攻撃機のIL-10として開発することにしました。
 外見は同じ設計局だからなのか、IL-2とそっくりなので、性能向上型?とも思えるのですが、実際にはまったく別の機体で、IL-1から受け継いだ空戦能力は戦闘攻撃機に相応しいものとなりました。当時の主力戦闘機であったLa-7と互角であったといいます。

IL-2&IL-10.jpg
横から見るとまったく同じように見えますが・・・

上からみると納得の新型機ということが分かります。
IL-10.jpg
IL-2                       IL-10
全長:11.65m    全長:11.06m

全幅:14.60m 
   全幅:13.40m

翼面積:38.5
m2   翼面積:30.0
m2
全備重量:6,060kg    
全備重量:6,500kg

出力:1,700hp     
出力:2,000hp

最大速度:4111km/h  
  最大速度:551km/h


 このIL-10、第二次世界大戦下では、さほど活躍できる機会はなかったのですが、日本に攻めてきたことがあるのです。
 それは、満州。終戦間際という、8月8日にソ連が満州に攻め込んできたために起きた出来事でした。
その後も朝鮮戦争では、中華人民共和国義勇軍や朝鮮民主主義人民共和国軍機として使用され、チェコスロバキアではB-33の名称で1,200機ほどがライセンス生産されています。
また、IL-10Mという主翼を再設計し直したり、IL-16という発展型の機体をも開発していきます。

 しかし、時はジェット時代。せっかく開発したIL-10も、レシプロ機であったため、IL-2ほどの活躍の場はなく、生産機数も5,000機足らずで退役することになります。

Ilyushin_Il-10_(China_Aviation_Museum) copy.jpg
中国でも使われたIL-10


◆地上攻撃機のその後の開発事情

 このソ連の開発した「襲撃機」ですが、IL-10を最後に実用化の開発が終息してしまいます。IL-10と同時期に開発されたアメリカのA−1スカイレーダー攻撃機が活躍し、その後継となるジェット攻撃機が多数開発されたことと比べると、ソ連空軍は積極的な開発をしておらず、アメリカとは実に対照的な開発姿勢を見せています。不思議ですね。

A-1H copy.jpg
A−1スカイレーダー

 
 一応、IL-10の発展型のIL-16、前記事の新設計のIL-20、ジェット機タイプのIL-40が開発されていますが、どれも正式採用にはならないで終わりました。

IL-10の後継機開発は以下の通り

 IL-16〜IL-10の発展型


 IL-20
〜醜いシュトゥルモヴィークとまで言われた変わり種の機体

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 IL-40
〜ジェット化した、実質、最後のシュトゥルモヴィークといわれる。
 IL-102〜1982年に登場した IL-40→IL-42の発展型。2機の試作のみ。

Ilyushin-IL-40-2 copy.jpg
IL-40 幾つかのタイプがある。
Ilyushin-IL-40-6-s copy.jpg


 IL-10以降、ソ連では
専門の攻撃機を開発しないで、旧式化した戦闘機を対地攻撃任務に回していました。正式な後継機ともいえるシュトゥルモヴィークは、現在ロシア空軍の主力攻撃機となっているSu-25(1975年初飛行)まで採用されることはなかったのです。

Sukhoi_Su-25,_Russia_-_Air_Force_AN2192992 copy.jpg
Su-25


 ソ連はなぜ、専用の攻撃機開発に積極的でなかったのか、いや「攻撃機」そのものを製造するのを何故、止めてしまったのか。その理由には恐ろしい事実があったのでした。 →続きます。


【模型情報】
→Aモデル 1/72 イリューシリン Il-40P ブローニー地上攻撃機2次試作型
→Aモデル 1/72 イリューシン Il-40 ブローニー試作地上攻撃機

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コメント 2

johncomeback

明日の記事で紹介しますが、
喜連川は良い所ですね(^-^)

明確な設計思想って大事ですね。
by johncomeback (2016-06-08 07:58) 

ワンモア

★ johncomeback さま
 喜連川は古くからの温泉街であるので情緒溢れる場所ですよね。記事が楽しみ^^
by ワンモア (2016-06-09 11:44) 

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