これから分かることは、AI=赤城搭載機の112号機ということです。零戦は100番台、九九式艦爆が200番台、九七式艦攻が300番台ということです。
この真珠湾攻撃機時の「赤城」には21機の零戦が搭載されていました。
今回のデアゴスティーニの零戦が真珠湾攻撃の時の零戦21型の塗装だとすると、このAI-112号機は誰の搭乗機でどういう任務だったのか。気になるので調べてみました。
◆空母「赤城」の零戦全21機の機体番号とパイロット名簿の調査
まずは、SWEETから発売されている 空母「赤城」戦闘機隊 (デカールセット)から見てみましょう。
このデカールは「赤城」に搭載された零戦全21機分のデカールがついています。
解説書を見ると18機分の所属と搭乗員が分かりました。
◇ 第1次攻撃隊制空隊(9機)
・第1小隊
1番機 制空隊指揮官 板谷 茂 少佐 (AI-155)
2番機 平野 崟 一飛曹 (AI-154)→対空射撃により被弾、兵器庫に自爆戦死
3番機 岩間 品次 一飛曹 (AI-153)
・第2小隊
1番機 指宿 正信 大尉(AI-103)
2番機 岩城 芳雄 一飛曹 (AI-151)
3番機 羽生 十一郎 一飛兵 (AI-152)
・第3小隊
1番機 小山内 末吉 飛曹長 (AI-107)
2番機 谷口 正夫 二飛曹 (AI-158)
3番機 高須賀 満美 二飛曹 (AI-156)
◇第2次攻撃隊制空隊(9機)
・第1小隊
1番機 進藤 三郎 大尉 (AI-102)有名なエースパイロット
2番機 木村 惟雄 一飛曹 (AI-101)
3番機 井石 清次 三飛曹 (AI-104)
・第2小隊
1番機 乙訓 菊江 一飛曹 (AI-105)
2番機 高原 重信 二飛曹 (AI-106)
3番機 森 栄 一飛兵 (AI-108)
・第3小隊
1番機 田中 克視 一飛曹 (AI-110)
2番機 丸田 富吉 二飛曹 (AI-109)
3番機 佐野 信平 一飛兵 (AI-111)
これらのデカールの内、AI-112、AI-157,AI-159の3機が、誰が搭乗したのかが記載されていませんでした。攻撃制空任務には参加していないので、もしかすると3機とも予備機かもしれません。するとAI−112号機も予備機?
そこで、モデルアートの『真珠湾攻撃隊』から更に調べてみると、更に2機が判明しました。
◇機動部隊母艦上空直衛隊(第一次) 2機
・第1小隊
1番機 山本 重久 中尉 (機体番号不明)
2番機 菊池 哲生 一飛曹(機体番号不明)
2機のパイロット名が分かりましたが尾翼番号が不明です。ここまで合計20名の搭乗員が判明しました。
零戦が21機あることから、もう一人、搭乗員がいるのかとても気になります(笑)。
最後の一人は誰だということで、更に調べていくと、「赤城」のパイロットたちの集合写真が見つかりました。
「赤城」に搭乗するパイロットは海軍航空隊の中でも特に成績優秀な者ばかりで、戦闘機乗りのトップ中のトップばかりを集めた部隊です。この写真に映っているメンバーが当時の零戦乗りの頂点といえますね。
集合写真に写っている19名のパイロットたちの名前が記載されていますので、一人ずつ照合していきましょう。
写真の解説では、3名が別任務でこの写真には写っておらず、また3名が9月に空母「翔鶴」に転属になっているとのこと。また、上空護衛任務の2人、山本中尉と菊池一飛曹が写っていないのが判明しました。
やがて不明と思われる1名の人物が出てきました。それは、大原広司二飛曹(機体番号不明)という方です。
戦史を見ると赤城は零戦20機が参加したとのことですので、1機は出撃していないのですが、それが、この大原広司二飛曹かもしれません。機体トラブル?病気?怪我?
この大原飛曹は真珠湾攻撃の後は、指宿大尉の分隊の3番機として出撃していることが分かりましたので、転属にはなっていないと思います。ですので、真珠湾攻撃隊には所属していたと思われます。
戦史では、作戦に参加した搭乗員しか出ていないので、このように集合写真の名前から一人一人照合していかないと分かりませんでした。
大原飛曹は、数々の戦いに参加し、本土防空戦では有名な「紫電改の343空(天誅組)」に参加しています。そして終戦直前に戦傷死しています。南方戦線でマラリヤにかかっていたとのことですので、長患いしていたかもしれません。
紫電改のエースパイロットとしても菅野直大尉と共に有名で、紫電改のプラモデルでは模型化もされています。
これで、一応、真珠湾攻撃時の空母「赤城」全ての零戦の搭乗員が割り出せたのではないかと思います。
最後の一人が分かった時は、ようやく会えた捜し人のようで嬉しかったです^^
まさか有名な343空の方とは思いもしませんでした。
真珠湾攻撃隊は日本が綿密な計画を立て、敢行した作戦ですので、資料はこのようにかなり明細な所までわかっています。
◆デアゴスティーニのAI−112号機は?
結局、このAI−112号機は、九七式艦攻や九七式艦攻と共に攻撃隊には参加しておらず、機動部隊の上空を護衛した2機のうちの1機の可能性があります。
実は、飛行可能な零戦で、先日、里帰り飛行した零戦も尾翼番号がAI-112をつけているのですが、この零戦は22型で映画『パール・ハーバー』撮影時の塗装とのこと。ですので実際に赤城に搭載されていたわけではないですね。
尾翼の番号一つだけからも、色々なことが分かって面白いものです。分かる方には面白いとは思うのですが、わからない方には「だから何?」と言われそうな内容ですね(笑)。
うちの子供らに話しても、「内容はさっぱりわからないけど、面白そうに話をしているパパが面白い」と言われました(笑)。まあ、そんなもんでしょう^^;
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→真珠湾攻撃隊のマーキングについて調べてみた
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推理小説を読んでいるようでした(* ̄ρ ̄)”ほほぅ…
by johncomeback (2016-06-28 16:05)
なるほど、奥が深い話ですね。
by kinkin (2016-06-28 16:37)
貴重な集合写真ですね ☆
72サイズの AI-101 木村 惟雄 一飛曹 を持っていますので
残念ですけれども コレはスルーします
( 流星は・・・? )
by タイド☆マン (2016-06-28 23:19)
色々調べて答えに辿りついたことこそ、大原飛曹の弔いになったのだとボクは思いますよ^^
by ちょいのり (2016-06-29 01:45)
★johncomebackさま
確かに、最後の一人が判明した時は、推理があたった感じで、軽く興奮してしまいました(笑)
★kinkinさま
AI−112号機が誰なのかを調べていくうちに、全員の名簿を調べていくことになりました^^;
★タイド☆マンさま
この当時の写真って好きなのです。
★ちょいのりさま
ありがとうございます。私もそう思います。模型工作は慰霊の意味もあると思うのです。
by ワンモア (2017-03-11 14:21)