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【今日は何の日】第一次世界大戦の勃発とその理由

 久しぶりに「今日は何の日」というテーマで。ちょっと重い内容です。主だったキーワードにはWikipediaへのリンクを貼っておきましたので、「戦争と平和」を考える機会としても ご興味のある方は是非読んでみてください。

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 今から102年前の1914年7月28日のこの日。第一次世界大戦が始まりました。1914年から1918年までの4年間、ヨーロッパ、中東、アフリカ、中国、太平洋と、全世界を舞台に人類史上かつてない規模の大戦争が起きます。

 この戦争の勃発のきっかけは、ちょうど1ヶ月前の6月28日のことでした。 オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻がサラエヴォにおいて、セルビア人民族主義者のガヴリロ・プリンツィプという革命組織のメンバーに暗殺されるという事件が起きます(サラエボ事件)。
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  当然、激怒したオーストリア=ハンガリー帝国は、この事件の黒幕だったセルビア政府に対して懲罰的な意味合いを込めて無茶な要求を行います。しかし、この事件が世界中を巻き込む大戦争になるとは、同時代の誰もが予想をしていませんでした。それはこのような事件は各国の仲裁などもあり、なんとか戦争にならずに平和を維持していたからです。
 たとえ、暗殺直後に戦争が始まったとしても、普段通りの外交であれば、他国の仲裁ですぐに終わっていた可能性もあったのです。

 しかし、数々の外交的な失敗の連鎖が、かつてない大戦争を引き起こしてしまうことになりました。これは、特にオーストリア外交の失敗ロシア帝国の動員開始、そしてドイツの作戦計画に原因があったと言われています。
 しかし、それぞれの国の事情がぶつかり合い、いずれはこのような大戦を引き起こすことになったのかもしれません。今までの緊張の糸が一気にはじけ飛んだといえるのでしょうか。

 当時のオーストリア=ハンガリー帝国は、ドイツと仲がよく、イタリアと共に三国同盟を結んでおり、セルビアはロシアと仲良くしていました。そしてロシアはというとフランスと同盟を結んでいました。
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1914年のヨーロッパ。
ドイツ、オーストラリア=ハンガリーは挟まれている形になります。


 そしてこの時代は、それぞれの民族が独立して国を持つべきだという機運が高まり、オーストリアのボスニア併合のアラブ民族の不満や、セルビアの複雑な民族問題がオーストリアへの不満を高めます。特にセルビアでは、政府の中枢にまでテロ行為を容認する思想がはびこっていましたので、今回のサラエボ事件で、オーストラリア=ハンガリー帝国は、セルビア政府を攻め立てることになるのです。

 さて、ドイツはロシアとフランスに挟まれた形でしたので、シュリーフェン計画というものを立ていました。これはロシア・フランス連合に挟まれたドイツが勝利するために編み出した作戦でした。その内容ですが、ロシアは広大な国土を持っているので、戦争の動員に時間がかかります。なので先にフランスを叩いて、その返す刀でロシアを迎え撃つという計画です。両国に挟まれているドイツにとって、フランスとロシアと同時に戦う二面作戦は物資補給の面でもかなり不利なのです。それは第二次世界大戦でも同様でした。

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シュリーフェン・プランによるドイツ軍の進行路


 ですので、ロシアが動員開始すると、ドイツ軍は自動的にフランスへの攻撃を行う動きに出ることになります。その際にはフランスを包囲する作戦が最も効果的であるため、中立国のベルギーを通過しなければなりません。しかしベルギーはそれを簡単に許可する訳はなく、中立を指示するイギリスの圧力もありました。それでも外交は外交官にまかせて純粋な理論上の侵攻プランをドイツは進めていくことになります。

 オーストリアはドイツの支持を取り付けていましたから、セルビアへ対し宣戦布告を行います。この時にセルビアの首脳たちは、実戦になるのはセルビアだけだろう、他の国は単なる脅しだろうと思っていた節があります。しかし、セルビア独立の支持をしていたロシアは民族的にも関係が深いため、最初は、軍事的威圧の意味も込めて、オーストリア戦線のみへの部分的動員令を下します。ここまでは、オーストリアもロシアも威嚇段階でした。
 しかしロシア軍部は皇帝ニコライ2世に対して部分的動員は手遅れになる可能性があるとの意見を具申し(半分は圧力をかけ)、7月31日に総動員が下令されます。
 当然ドイツは焦ります。ロシアに動員解除を要求しますが、ロシア政府は動員を解除した場合には短期間で再び戦時体制に戻すことは難しいと考えたため、要求に応じませんでした。
 ロシアとの戦争を避けるためドイツ皇帝も「このままでは戦争になりますよ」と電報を送るのですが、お互いの所へ電報が届くのが遅れ、この時間のロスが戦争開始へとつながってしまいます。 

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ドイツ・ヴィルヘルム2世(左)とロシア・ニコライ2世(右)

 これでドイツはシュリーフェン計画発動ということになります。まずはフランスを急いで叩かないといけません。
 しかし、外交上はそう簡単に中立国のベルギーがドイツ軍の通過を許可するはずがなく、反発します。時間が限られているドイツは、こうなったら力ずくで侵攻だということでベルギーにも宣戦布告を行います。これにイギリスが自動的に参戦。

 このようにわずか一週間後の8月4日にはオーストリア、ロシア、ドイツ、フランス、イギリスの五大大国があっという間に戦争に突入してしまうことになるのです。

 まるでチキンゲームのようで、一度破綻すると、あれよあれよというまに戦争に突入してしまうのです。その後は参戦する国も続々と増え、戦火は世界中に飛び火します。
 それでも、まだ各国は過去の戦争の経験から「
クリスマスには終わるだろう」と楽観していました。
 しかし、産業革命によって生まれた重工業による銃火器などの登場で死者が激増します。
更には飛行機や戦車などの登場、毒ガス兵器などの投入、鉄道輸送による大量動員などで一気に悲惨な様相を呈してきます。
 最も悲惨だったのは「ソンムの戦い」で、イギリス軍の初日だけで、戦死者が2万人、負傷者6万人を記録。そしてお互いに戦力を消耗し、戦線は膠着状態に陥り、長期的な塹壕戦へと始まるのです。

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 この4年にも渡る戦争の結果、1千万人もの戦死者を出す歴史上最大の被害をもたらします。
 第一次世界大戦の結果、ロシア帝国は革命が起き、社会主義国の登場をもたらし、戦争兵器の技術革新が進み、世界の様相は一変します。ドイツは戦後補償でボロボロにされ、新たな憎しみを産みます。
 戦争はうんざりだという嫌戦ムードは、平和至上主義者が力を持ち、ドイツの憎しみを体現したかのようなナチス・ドイツの台頭をみすみす見逃すことになります。そしてこれ以上はないだろうと思われた第一世界大戦の死者を更に上回る世界大戦を生むことになります。 

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 「平和とは戦争と戦争の間の準備期間だ。」というセリフはある意味当っているのかもしれません。
 日本人は「戦争は悪で、絶対してはならない」というのが世界認識だと勘違いしている節があるように思います。なので、自分たちが武器を放棄すれば戦争にはならないと楽観しているようにさえ見えます。
 しかし、それは負けた国の感情や人間の普通の感情であって、国の利益を追求する指導者や、戦勝国、戦争未参加国は、必ずしもそうは思ってはいないといえるのではないでしょうか。
 戦争特需という言葉があります。他国の戦争が原因で景気が良くなり、国が潤う場合があるのです。自分たちが儲かるために他国が戦争を起こすことを願ったりすることもあるでしょう。また、戦勝国は、賠償金や土地などガッポリと手に入れることもできます。

 武器を放棄すれば、確かに戦争は起きない(起こしようがない)し、兵士同士での殺し合いは確かになくなるでしょう。しかし自分たちが殺す可能性は無くなりますが、殺される可能性は残ります。その殺される可能性は兵士にとどまらず、自分たちの家族、民間にまで及び、その後は、強奪、略奪、虐殺、抑圧、蹂躙となるのは歴史上いくらでも例があります。
 第一次世界大戦でも「無防備都市宣言」をしたセルビアの首都、ベオグラードをオーストリアは無視して砲撃を実行しました。第二次世界大戦末期のイタリアのローマ、キエーティ、フィレンツェの各都市も無防備宣言を行ったものの、連合軍・ドイツ軍双方に無視されています。ジュネーヴ条約で禁止されているにも関わらず、です。無防備を宣言しても、蹂躙される時はされるのです。
 リアルに「戦争と平和」を考える時代に来ているのかもしれません。

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フランスのハイ・ウッド・セメトリー

イギリスでは赤いポピーが第一次世界大戦における犠牲の象徴とされています。



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コメント 3

tsumi

たった100年も前に起こったこととは思えませんね。。100年でここまで変わった事にも驚きです。
自分の家族や大切な人が戦地に駆り出されたり、被害を受けたり…想像するだけで胸が締め付けられます。

最後のハイウッドセメトリーは白とポピーの赤色がとても印象的で、物悲しくもとても綺麗な画像ですね。
by tsumi (2016-07-29 08:27) 

(。・_・。)2k

おっしゃる通りだと思います
反対側のほっぺを差し出して
叩かれるだけなら良いですけどね
殺される可能性の方が高いのに差し出せというのは
どうかと思いますよね
国を守るってそういうことですよね

by (。・_・。)2k (2016-07-29 11:51) 

ワンモア

★tsumi さま
日本は第一次世界大戦は戦勝国ということもあり、あまり馴染みはないのかもしれませんが、ヨーロッパでは、まだまだ印象深いものがあると思いますし、教訓が今も活かされていると思います。

★(。・_・。)2kさま
 憲法9条が本当に素晴らしいのなら、もっと世界中の各国でも取り入れようとする議論が沸き起こるはずなのですが・・・? 
 


by ワンモア (2016-07-30 20:42) 

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