12月ですね。2年に渡り紹介してきたSUBARU名機カレンダーもいよいよ最後の一機になりました。最後は中島飛行機の有終の美を飾った戦闘機、四式戦「疾風」です。
疾風(はやて)とは、速く激しく吹く風という意味合いで「しっぷう」とも読みます。疾風迅雷(しっぷうじんらい)、疾風怒濤(しっぷうどとう)という慣用句もよく使われていますが、激しいエネルギーが突然にやってきて、やがて過ぎ去っていくというイメージががありますよね。
四式戦「疾風」もその名の如く、戦争の終結間際にやってきて強烈な一撃を敵に与えては、稼働率の低さに泣き、過ぎ去るかのように止んでしまいました。
この点、言い得て妙というか、皮肉な結果ではありますが、名前の如しの戦闘機でした。それにしても日本の兵器のネーミングセンスというのは本当にセンスがあるなぁと思うのです。当時の将校さんたちは教養がありましたね。
◆中島飛行機、最後の戦闘機
太平洋戦争が始まった時、陸海軍の戦闘機の両雄は三菱の「零戦」と中島の「隼」であったことは異論はないと思います。そして戦争後半の両雄は川西の「紫電改」と、同じく中島の「疾風」であったと思うのです。
偶然にも零戦も隼も中島の「栄12型(ハ25)」エンジンを搭載し、そして「紫電改」も「疾風」も中島の「誉(ハ45)」エンジンを搭載しています。
1,000馬力級エンジンを搭載して始まった戦闘機開発は、わずか数年で倍近い2,000馬力級エンジンを搭載して戦うまでに開発は進みました。
◆疾風を苦しめた2つの問題
「大東亜決戦機」と銘打って生産に集中した「疾風」でしたが、開発にあたっては2つの障害に苦しめられました。
1つめの障害はエンジンです。誉は栄エンジンよりわずか3cmほどの直径が増えただけですが、2,000馬力近い出力を出すことに成功した「奇跡のエンジン」とも言われています。
しかし海軍の紫電改に比べ、エンジンの稼働率の低さに泣いた「疾風」は思うような活躍ができませんでした。
当時の工業製品の品質悪化やガソリンの品質低下があったことは事実ですが、海軍に比べて陸軍の整備教育にも問題があったからだという説もあります。
戦後、アメリカが評価試験で、140オクタン価のガソリンを入れてテストしたところ、687km/h(6,100m)の最高速度を叩き出したことは有名なエピソードになっています。
2つめの障害はプロペラでした。エンジンが生み出すエネルギーを推進力に変換するにはいかにプロペラ効率を高めるかにかかっていますが、アメリカのハミルトン油圧式可変プロペラではピッチの変更角度が不足しており、電動可変式のフランス方式を採用せざるお得ませんでした。これが性能を十分に出せない原因のひとつになっており、特別のプロペラ技術者による整備班を戦地に派遣しなければいけなくなる事態に陥っています。
◆疾風に活かされた様々な工夫
疾風の設計主任は隼と同じく小山悌(こやま やすし)技師です。そのため、形態が隼とも似ており、隼の治具(製作補助設備)も利用できました。その工夫もあり、疾風の工数(工具数と製作所要時間の積)は、隼の2万5千に対し、1万4千にまで下がっています。「大東亜決戦機」として3,500機も生産できたのは、このような努力の賜物でしょう。
この中島飛行機の工夫と努力は、決して無駄になることはなく、戦後の航空機開発に大いに活かされることになるのです。
◆小池繁夫氏の描く「疾風」
小池繁夫氏、41年間、今まで本当にお疲れさまでした(*^^*)また折を見ての作品発表を楽しみにしております。
<関連記事>→日本に里帰りして飛べなくなった「疾風」
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長く続いたSUBARU名機カレンダーシリーズも終了になってしまったので
すか~
別のシリーズで復活して欲しいですね!
by ロートレー (2016-12-02 21:52)
うーんこの機体もまだ艦これには出てきてませんね~
by アニ (2016-12-03 01:15)
最後ですかぁ、残念ですね。
スバルの来年のカレンダーは?
by johncomeback (2016-12-03 16:15)
★ロートレーさま
寂しい限りですなあぁ。まあ、小池氏もいいお歳のようなので・・
★アニさま
疾風は陸軍機だからどうでしょう(;^ω^)
★johncomebackさま
来年はモータースポーツカレンダーだそうです。やっぱり飛行機がいいなぁ。
by ワンモア (2016-12-03 17:13)