坂東八平氏:平良文を祖として下総国、上総国、武蔵国、相模国などを領地とした、千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾氏があげられる(時代により八氏の数え方は様々)ウィキペディア
この坂東八平氏の中の千葉氏が千葉県では有力な豪族となってます。三浦半島とか、秩父市とか地元の名前が先で豪族の名前になったのか、豪族の名前が先で地名になったのか、どちらなんでしょうね。
◆千葉氏とは
千葉氏は桓武平氏の系統で、房総半島を中心に栄えた一族です。そのきっかけは何と言っても源頼朝の挙兵の時でしょう。早くから頼朝に忠誠を誓った千葉氏に対し、迷いがあったお隣の上総氏の明暗はその後大きく分かれていきます。信長や家康もそうですが、人生の中には、ここぞという時に決断して勝負に出ることが、成功と失敗の分かれ道なんでしょうね。千葉氏は頼朝に重く用いられ、全国各地に領地を与えられました。
◆千葉氏の守り神、妙見信仰
千葉氏の家紋はちょっと変わっていて、星と月を象った「月星紋」といわれているものです(上図)。坂本龍馬が通った千葉道場も千葉氏ですので、ドラマの中にもこの家紋が登場しています。
平安中期に平将門が乱を起こしましたが、その時に一緒に挙兵した平良文(千葉氏の祖)が、敵兵に囲まれてピンチになった時に、妙見菩薩から力を得たという伝説があり、妙見信仰が始まったとのこと。千葉氏が全国へ領地を与えられた時に、この妙見信仰も全国へ広まったとされています。
平将門が伯父の平国香と争うと、平良文は平将門に味方して上野国花園村の染谷川(群馬県高崎市)で戦いを繰り広げた。この戦いで将門・良文の軍勢は苦戦し七騎のみとなり、良文は自害する場を求めてさまよっていた。そこに突然不思議な声が聞こえ、その声に誘われるままに後をついていくと寺院が現れた(童子形の妙見菩薩に助けられたという逸話も)。
その寺院の寺僧によるとここは妙見寺という北斗七星の化身・妙見菩薩を祀る寺院であり、良文が妙見菩薩に選ばれた者であるといい、七星剣を渡された。また寺僧の言葉の通り、その証拠として良文の体には月と星の印が浮き出ていた。
この出来事以降、妙見菩薩の加護を受けた良文・将門軍は勝利を重ねて坂東八カ国を討ち据えたが、良文はこの乱中に、北を目指して陸奥守、鎮守府将軍として陸奥国胆沢に赴任していった。
一方、平将門は凶悪の心をかまえ神慮に憚らず帝威にも恐れなかったため、妙見菩薩は将門を離れ、良文の元に渡ったとされる。ウィキペディア
この寺院が現在の高崎市の妙見寺とされています。
妙見信仰は、元々は道教における北極星・北斗七星に対する信仰を指していたそうなのですが、日本に入ってきたのは、推古天皇の時代(593〜628)のこと。
北極星は、天空で唯一動かない星であるため、宇宙の全ての中心であり、宇宙の全てを支配する最高神、天帝とされていました。その傍で輝く北斗七星は、天帝の乗り物とされ、人々の行いを監視し、生死禍福を支配されるとされていたそうです。
これが、神格化されたのが「鎮宅霊符神」、仏教では「北辰妙見菩薩」、神道では「天之御中主大神」と習合されています。
御札やお守りの原点とされるのがこの「鎮宅霊符神」。数ある霊符の中でも最も強力な力を持つとされています。皆さまのお宅にも貼られているかもしれませんね。
千葉氏にとって妙見信仰は、一族の結束を固める意味での中心的存在であり、重要な意味を持っていました。今回の見学はそういう意味で千葉氏のルーツを探るという意味もあるようですね。「千葉氏に関係のある者なら一度は参拝せねばならん」という訳ですね(^^)。本当は航空神社に行きたかったですよねぇ。うちの先祖、東北で千葉氏関係ないし(笑)。
前置きが長くなりましたが、事前の知識を頭に仕入れて、いざ、出発です。
予定は、30日まで仕事でしたので、31日の大晦日しかありません(笑)。
先日、往復で350kmを下道で走ったばかりでしたので、350キロ走るのもプラス200キロ走るのも一緒や(*_*)というノリでOKを出し、朝早くからお迎えに行きました。
Sさんは、千葉県から来るので、「道の駅にのみや」で合流。私の車でいざ、群馬県へ。
大晦日は流石にトラックなどの大型車は少ないですが、サンデードライバーの車が多くて、のんびりと走ることになります。年末年始の交通事故は多いですからね。気をつけましょう。色々立ち寄って到着。
地元のおじさんたちが、今晩の準備に大忙しです。絵馬やお守り、白線で駐車スペースや順路を入れています。お守りを貰おうとしましたが、おじさんばかりが中で暖をとっていて、声をかけずらい(;^ω^)やっぱり巫女さんじゃないと雰囲気が出ません(笑)。
来るのが早かったか(笑)。
跡地の土台だけがセメントで作られており、この場所に門があったとか、経典をしまう建物があったとか、お堂や礼拝堂があったと場所だけが示されていたのですが、そこに立つと、城跡を訪れた時とはまったく違う宗教施設であったという雰囲気を感じ取ることができます。
そこの場に漂う空気には、耳を澄ますと当時の人々のざわめきや、読経の声が聞こえてきそうなリアルさがあるのです。明らかに城跡とは違いますので、興味のある方は訪ねてみてください。
何百年も経て、建物もすべてなくなってしまっているのに、当時の人々の信仰心、仏への思い、国家守護への祈りの念が未だ残っているように個人的には感じるのです。
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妙見寺にあった妙見堂・・。
でも神社なんですね。。(^0^)
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2017-01-03 19:00)
千葉氏の家紋には、そのような意味があったのですね!勉強になりました。
by 下町の忠犬 吾号 (2017-01-03 19:00)
千葉は身近ですが、千葉氏をたどる旅、お疲れ様です。
航空神社というのもあったんですね。
by 足立sunny (2017-01-03 19:09)
落語に中村仲蔵という話があります
柳島の妙見様に願をかけるくだりがあります
妙見様の言葉が耳の端っこに残っていました
by soujirou-3 (2017-01-03 19:25)
★なんだかなぁ〜!! 横 濱男 さま
どうやら神仏習合の信仰形態のようです。なんか不思議な感じがしました(^^)
★下町の忠犬 吾号さま
千葉氏の妙見信仰、なんか奥深そうです(^^)
★足立sunnyさま
私も以前は松戸市に住んでいて、船橋や千葉市で仕事していたんです。なので縁はあるかなぁと(^^)
★soujirou-3さま
落語面白そうですね。今度是非詳しく記事にしてください。下町も大好きです\(^o^)/
by ワンモア (2017-01-03 21:40)
明けましておめでとう御座います。
本年も宜しくお願いします。
by ミスター仙台 (2017-01-03 22:06)
こんばんは。
群馬県にあって、千葉氏の縁の神社「妙見寺」。しかし神社でもなく寺院でもないとは・・・色々と調べたくなる・・・なんとも奥が深いところである様子(笑)
下野国分寺跡は、あの薄墨桜の咲く、あの辺りですよね。
…そう言えば、しばらく訪ねていない気がします。。
by hana2016 (2017-01-03 22:41)
何とか埼玉に戻ってきました
もう渋滞はもうこりごりです(;^ω^)
by アニ (2017-01-03 23:30)
お疲れ様でした〜!
これがあっての寝落ちだったんですね^^;
by caveruna (2017-01-04 10:35)
★ミスター仙台さま
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします(^^)
★hana2016さま
前回の平家落人伝説以来、何かと平氏づいています(笑)
下野国分寺跡は今の季節は寒いです>< 桜の時期に再度訪れようかなと。
★アニさま
おかえりなさーい。いやあ、長旅お疲れ様でした。
★caverunaさま
はいそうです(笑)。流石に31日まで動き回り過ぎたかなと(;^ω^)
今年の正月は寝正月でした(笑)
by ワンモア (2017-01-04 11:13)
>巫女さんじゃないと雰囲気が出ません
御意!
下野国の国分寺跡ですか、今度行ってみます。
by johncomeback (2017-01-04 14:19)
★johncomebackさま
中で暖をとっていた作業着のおじさんが、お守りを渡していたので、
なんかありがたみが感じなくて貰うの止めました(笑)。
やっぱり巫女さんは偉大です。
下野国分寺跡、周辺にも見る所があるので是非(^^)
by ワンモア (2017-01-04 23:49)