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新年の抱負は「一水四見」から。

◆「一水四見」という考え方

 年の始めには新年の抱負を立てていますが、今年は「一水四見」という言葉から始めたいなと思っております。あまり馴染みがない言葉かもしれませんが、元々は仏教用語でございまして、

 「同じ水(川)でありながら、天人はそれを歩くことができる水晶や宝石で飾られた床と見、人間はただの水(川)と見、餓鬼(地獄の亡者)は炎が燃え上がる血膿と見、魚は自分たちの住処と見る。このように、見る心の違いによって同じ対象物が異なって認識される。」

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ということなのです。まあ、これを「唯識」というらしいのですが、似たようなものに次のような古歌がありまして、

「手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」


なんていいます。
 
猿沢の池とは、奈良にある法相宗の興福寺の池のことなんですが、猿沢の池の前で手を打つと、鳥は驚いて逃げてしまい、鯉は餌がもらえると思って寄ってきて、女中さんは「はーい」といってお茶を持ってくるということです。

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興福寺の猿沢の池


 何が言いたいかというと
、「一つの出来事に対して、その人の心の状態でそれぞれ異なって見えているということを、もっと意識しよう」という話なのです。

 上の例えを説明すると、この世界と自分を考えた時、外なる世界と内なる世界(心)に分かれます。この地上ではみんな同じ世界に住んでいますが、心の世界はバラバラで、三千世界ともいうべき、無限の数の世界のどこかとつながって棲み分けされています。いわば、皆さん、心においてはどこかの世界の住民な訳ですね。
 いつも怒りに満たされている方はそういう心の人が集まる世界の住民であり、いつも穏やかであれば、また穏やかな心の世界に住んでいる住民という訳です。
 そして、それぞれの世界の住民が、とある出来事や物を見ると、それぞれ違って見えてくるということなのです。

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見知らぬ人同士でも心の世界では同じ世界の住民かも。

 例えば、政治や事件のニュースを見ると、ある人は憤慨し、◯◯政治許すまじ、◯国許すまじと憤り、ある人はよくやったと拍手喝采します。またある人はもう少し世界情勢を見ないと判断できないなぁとモヤモヤした気持ちになることもあるでしょう。

 また、ある一人の人物に対する見方も、親の敵のように悪く見える人もいれば、恩人のように親しみを感じる人もいるかもしれませんし、危険な人かもしれないと疑心暗鬼に陥る人もいるかもしれませんし、恋人のように大好きだと思う人もいるかもしれません。

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同じニュースでも反応は様々


 これは、その見方が正しい、正しくないということはまったく別として、その人の心の違いによって対象物が変わって見えるということです。
 そしてそのことに対し「君、その考えは間違っているよ」「あなたの考え方は偏っているわ」とか「おまえの考え方は危険だ」などと言い合っている訳ですね。


 でも、実態はその人の心がすでにどこかの世界の住民で、それが自分にとっては真実で正しい見方だと思っているのです。そして自分のことはさておき、相手の心を一生懸命変えよう、変わって欲しいと心を揺らしている訳ですね。
 しかし、先程の例で言うと、地獄で苦しんでいる餓鬼が目の前を血の川として見てるのは彼らにしては真実であり、いくら天界の人が「これはキラキラしている床だよ」と言われてもなかなか理解ができないでしょう。餓鬼が天界の人と同じような見方ができるには、何らかの悟りを開いて、その世界に引っ越さないと無理なことです。

◆あなたの主張は本当に正しいのか


 このように、自分たちの考え方(世界)こそが唯一の真実であり、相手は間違っている、自分たちこそ正しい見方であり、正義なのだと主張し始めたり、その考えを相手に押し付けたりしてくると、これがやがて、差別や、争い、憎しみへとつながっていくのではないかと私は危惧しているです。

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 また、99%の人が自分と同じ考えだから正しいと思ってもそれは正解かどうかは分かりません。残りの1%が、物事を見通す智慧を持ち、慈悲の塊であるようなお釈迦さまである可能性だってある訳です。民主主義は最高の制度ではないのです。

 だからまず、心をニュートラルにしておいて、「一水四見」という言葉を受け入れて、そこから自分の考えや立ち位置を考えたり、相手の立場や心境を理解しようとするところから始めることかが大事なのではと思う次第なのです。
 その結果、結論が元のスタート地点に戻ってきたとしても、それはそれで良いことだと思うのです。
色々相手のことを考えたということは自分の肥やしになりますし無駄とは思えません。単純に物事に反応するよりもずっと良いことですしね。

 で、相手の気持ちを変えようとする前に、言葉で争う前に、世界を変えようとする前にまず、自分の心の立ち位置が絶対的なものではなく、相対的なものであるということ。これを自分の基本スタンスとしましょうよということなのです。
 夫婦間や知人・友人同士では、相手のテリトリーを言葉の力や圧力で侵さないようにすることも大事なことかと思います。相手の見方が変わっていないのにワーワー言うことは、その人の心の世界を別の価値観で侵略する行為に他なりません。

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 相手を理屈でねじ伏せようとはしていないでしょうか。


◆実は受け身に終始している心の世界

 さて、もう少し心の世界について踏み込んでみたいのですが、自分では積極的、行動的だと思っている人も、こういう世界を意識していない限り、心の世界、内面の世界においては、まず100%受け身であると思うのです。

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 私たちが心が動く時ってどういう時でしょう?
 TVなどのニュースを見て心が動き、人の話を聞いて、心が動き、食べ物の匂いや味を感じ心が動いていないでしょうか。
 目で見て感じ、耳で聞いて感じ、鼻で感じ、舌で感じ、肌で感じていないでしょうか。いわば、全部、外の世界からの刺激で心が動かされていますよね。
 これを仏教では、眼耳鼻舌身意というらしいのですが、自分で積極的に色々考えて行動しているつもりでも、その行動のスタートは全て外の世界からの影響なのです。
 実はぜ~んぶ外から影響を受けている。これって完全に受け身ですよね。なんか
、主役が外にあるようで、ちょっと悔しい感じがしませんか。
 
 だから、「心に理想を描く」とか「決意を固める」ということは何かというと、心を自分でプランニングするというか、主役を取り戻すというか、世界から影響をストレートに受けることを一旦防ぐ行為に思うのです。

 こういう「自分の心」という、内部の世界を構築しないまま、世界から影響を受けた自分が、世界に何を発信しているのか。それは愚癡でしょうか、怒りでしょうか。感謝の心でしょうか。
 内部の世界ができていないと、本能的というか、直情的になって、世界からの刺激に反射的に打ち返しているだけのように思うのです。

 だから、自分が今、どこの世界の住民なのか(心はどういう状態なのか)ということから意識しないと、良くないものも、知らず知らずに世界に発信しているかもしれません。
 まあ、最近は情報過多になっている時代かもしれません。あまりにも心がイライラしたり揺れ動くようなら、一旦情報をシャットダウンして自分の心をニュートラルに戻すことも大切かもしれませんね。

◆この世界の片隅にいる自分だけど


 そこで、今年の自分自身の抱負としては、「外の世界を変えようとする前に、まず内なる自分の心を変えようとせよ」「世界に影響を受けるばかりでなく、世界に良い影響を与える自分になれ」ということを立ててみたいと思うのです。
 世界というと大げさですが、自分の身近な周囲ですね。手の届く範囲の社会から意識してみようかなと考えています。

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 手始めに取り組みたいことは、「日頃、自分が「当然」と思っていることは果たして本当に「当然」のことなのか。義務をはたしていると思って権利を主張し過ぎていないか。何か起きた時に被害者意識が強すぎて出ていないか。」というところから見つめ直したいなと思う次第です。

 それは、ある意味、なかなか思うように進まない政治や社会に対して、制度のせいや環境の問題にすることが、子どもたちに悪影響を与えないようにするためにも大人たちが必要な心構えでもあるのかと思うのですよ。
 世界から紛争や争いをなくすために、いくら制度や社会を変えようとしても、その構成要素である人間そのものが変わっていかないと根本的な解決にはならないと思うのです。
 その人間には、他ならぬ自分自身も含まれているのです。

 この世界の片隅にいることは、全体の中の小さな自分ということで事実かも知れません。しかし、心の世界においては、自分こそが世界の中心なのです。もっと自分の心を大切にし、意識しても良いのではないでしょうか。

 ということを新年の始めにあたり、哲学っぽいことを考えてみました。うまく伝わらないかもしれませんが、今の自分の気持ちを少し整理してみました。

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コメント 15

tsumi

今年もよろしくお願いいたします^^
新年の抱負にふさわしい素敵なお話ですね!
まるで学生時代、学校の先生にお話を伺っているような気分になりました…笑
私も旦那にガミガミ言ってしまいがちなので、今年は改めたい(と思っています)!
by tsumi (2017-01-06 23:54) 

ys_oota

"世界から影響を受けた自分が何を発信しているのか"ドキッとさせられました。「一水四見」 私も心に留めておきたいと思います。^^
by ys_oota (2017-01-07 00:34) 

(。・_・。)2k

昨日だか一昨日TVで言ってました
自分は正しく 誰かが悪いことをすると許せないとか
9割の日本人がそういうところがあるそうですね
正しいことが全てじゃないってなんで理解できないのかと
思ってましたが 9割もがそう思ってるなら そういう国なのかなぁ

by (。・_・。)2k (2017-01-07 01:28) 

ワンモア

★tsumi さま
 こんばんは〜年末年始に更新されていなかったので寂しかったです(笑)。本年もどうぞよろしくお願いします(^^)
 最近、色々な人と話す機会があって考え方をまとめてみました。拙い文章にお付き合いくださってありがとうございます。

★ys_ootaさま
 こんばんは〜。なにか子どもたちに良いものを残してあげたいなと思う次第です。

★。・_・。)2kさま
 みんながそう思っているならそれに従うというところがありますよね。でも私は日本人の考え方って好きです。
 特に「お互いさま」の精神。欧米や中国韓国に比べて、徹底的に謝罪させたり、追求しないじゃないですか。
 それは巡り巡っていつか自分も謝罪する立場になるかもって思う部分が残っていると思うんですよね。色々相手の気持ちを思うことって大事だと思うのです。
by ワンモア (2017-01-07 01:38) 

hana2017

難しい事はわかりませんけれど、ひとつの出来事、物事の捉え方について・・・例えそれが近しい友人、家族間においても違うと実感する機会は度々あります。

仏教ではないものの遠藤周作の名著「沈黙」を、M・スコセッシが監督した「沈黙サイレンス」の公開がある模様。
かつてわが国でも篠田正浩監督でも映画化されていたものの…人間の弱さ、心の在り様を描いた本作は、是非見たいと思う一本なのです。
by hana2017 (2017-01-07 10:04) 

ロートレー

新頭にふさわしい素晴らしいお話を聞かせていただきました。
自己満足の世界に安住する自分を見直す機会になりそうです!
by ロートレー (2017-01-07 10:33) 

caveruna

頭ではわかっていて、
簡単なようだけど、
難しくて実に深いですよね…
時々こうして立ち止まって、
自分に問いかけるのも悪くない^ ^
by caveruna (2017-01-07 17:56) 

Hide

こんばんは〜
これはじっくり読ませて頂きます!
ありがとうございました。
by Hide (2017-01-07 19:07) 

johncomeback

「一水四見」ですか、勉強になりました。
by johncomeback (2017-01-07 19:59) 

ちょいのり

なるほど。自分が当たり前だと思ってることで敵味方をつくっちゃいけない。
考えは人それぞれ。
深く考え表面じゃなく本質や中心を捉え相手に接したり理解せよと言うこと・・・かしら(難しいよw)
ボクはてんびん座なので比べてしまうこともあるけれど(?)
なるべく両方の重さを見ようとは思ってるかな(???)
こっれがまた分かってても難しいですよね^^;
でも心掛けたいと思います^^

by ちょいのり (2017-01-08 01:38) 

ワンモア

★hana2017 さま
こんばんは〜。距離は近くても、心の距離は離れているなぁと感じることが多々あります。自分と同じ考え方の人と出会うと嬉しくなります(^^)「沈黙」は楽しみですね。

★ロートレーさま
 こんばんは〜ありがとうございます。なんらかの参考になりましたら幸いです(^^)

★caverunaさま
 そうなんですよね。情報が色々多いと振り回されることも(;^ω^)
 ちょっと瞑想や沈黙の時間が欲しい今日このごろです。

★Hideさま
 こんばんは〜今年も忙しそうですね。頑張ってください><

★johncomebackさま
 こんばんは〜。ご参考になりましたら幸いです。

★ちょいのりさま
 >自分が当たり前だと思ってることで敵味方をつくっちゃいけない。
あ、そうなんです。それ言いたいことです。流石。
 人の心も自分の心も、変えようと思っても、なかなか変わらないじゃですか。それって、みんな心のなかに自分の世界がしっかり存在しているからだと思うんですよ。
 だから考え方を変える、気質を変えるって、自分の土地から引っ越して新しい土地に家を建てるようなもので大変だと思うんです。それって自分でその気にならないと無理ですよね。そんなことを考えています(^^)。
それと、私も実はてんびん座(^^)
by ワンモア (2017-01-08 02:13) 

yuuki_n

ごみ拾いをイライラしながら、「自分のためと」やり続けるときの
感情に近いですね。認められたい欲求でしょうか。現代の不安な中でわれ一人は幸せで健康でありたいという思いのはざまでしょうか。自分の精神レベルと他人のレベルの違いが分からなくなったとき、人の心の中にこじはいってみたいときの自分の心理状態がそうかもしれません。

by yuuki_n (2017-01-08 16:53) 

hideta-o

ワンモアさま
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。実は正月はパソコンも起動させない完全寝正月にしておりまして、この3連休から活動再開です^_^;
by hideta-o (2017-01-08 17:44) 

ワンモア

★yuuki_nさま
 コメント、ありがとうございます。おっしゃっている意味がよく理解できないかもしれませんが、人から認められたいと思う気持ちで、ゴミ拾いをイライラしながらするのは精神的にも悪いし、周囲の人に伝わると良くないですね。それは本当に自分のためにはならないように思います。
 思うのですが、自分の幸せって周囲の人の笑顔というか、幸福あってこそだと思うのです。
 「自分のため」は「人のため」と一致する考え方を模索するほうがホントの「自分のため」になるように思います。それと他人の心を知るにはまず自分自身の心を知る努力がいるのではないかと思います。
by ワンモア (2017-01-08 18:37) 

ワンモア

★ hideta-oさま
 明けましておめでとうございます\(^o^)/ 私も今年用の制作物が到着しましたが、今年は何機製作できることやら(笑)。hideta-oさんの製作記事を楽しみにしております。
by ワンモア (2017-01-08 18:40) 

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