前回のプラモデルのハインケルHe162の記事でも。
模型製作にあたっては資料を購入して調べるのが好きなんです。調べたことを実際にカタチにすることで色々分かることがあります。
趣味とはいえ、そういう研究が面白いというか。そのうち建築物のプラモデルにも手を出すかも知れません(笑)
◆10日で基本設計案。3ヶ月で生産開始という脅威のスケジュール
ドイツの敗北が濃厚になってきた1944年の春。ドイツ空軍は最後の切り札ともいうジェット機に望みを託していました。迫りくる連合軍の爆撃機に対し、革新的な兵器で制空権をもう一度取り返さないと第三帝国の滅亡は必須になるからです。
そこで、ジェット機の大量生産計画が発動されます。当時、すでに生産ラインに入っていた新鋭戦闘機Me262の大量生産を推進する一方で、1基のエンジンで簡易な軽量小型の迎撃戦闘機を開発し、絶望の中に一筋の光明を見出そうとします。これは国民戦闘機(フォルクスイェーガー)と呼ばれることになります。
承認を受けたハインケル社は驚異的なスピードで作業を開始、なんと9日間という超短期間で生産計画を作成したため、ハインケル社案が制式採用されることになります。
設計案が採択されたのは9月25日。それから約70日後の12月6日には1号機が初飛行するという、ギネスに載るのではないかと思うくらいの超早開発と実用化です。
日頃からクライアントのニーズや状況を先読みして、案を幾つも準備しておくという段取りの良さがありました。戦闘機開発では常にメッサーシュミットに後塵を拝していたハインケル社の執念が最後に実った感じです。
◆機体の特徴
この機体は、ハインケル社ではシュパッツ(Spatz:スズメの意)と呼んでいましたが、コードネームはザラマンダー(Salamander、火トカゲ(サラマンダー)の意)と名付けられていました。確かに爬虫類のトカゲのような胴体、そして背中にジェットエンジンの搭載する姿は火を吹くサラマンダーをイメージさせますね。
この機体の大きな特徴は、やはり背中にエンジンを積んだスタイルだと思います。耐久性が何十時間しかない当時のジェットエンジンを容易に保守点検・交換できるスタイルです。
通常の単発機だと胴体内部に収めるのですが、空力上の仕上げや点検が難しくなります。そこで手っ取り早く胴体を先に仕上げて後からエンジンを載せる方が設計が容易であるということですね。
学生時代に航空機基礎設計の授業でこのスタイルを採用したのですが、確かに設計の修正がとても楽でした(^^)
欠点は、操縦席の真後ろにエンジンがあるため、後方視界が非常に悪く、脱出も困難であるということ。フレームアウト(ジェットエンジンの燃焼停止)した時に単発なので、フォールトトレラント設計(全体の機能停止を防ぐシステム)もまったくありません。
戦時下の緊急ということで止む得ないことではありましたが、それでもハインケル社は、空気圧縮機による射出座席を用意します。これは実用化された軍用機ではHe219に次いで、世界で2番めに装備されました。
簡素な設計は、主脚をメッサーシュミットBf109Kのものを流用するという部分にも現れています。
翼端も特徴的ですが、試験飛行の際に発覚した操縦の安定を狙って付けられたとのこと。再設計が間に合わないので、緊急で付けたようです。おそらく垂直尾翼的な効果を狙ったものと思われますが、個人的には離陸の滑走距離を短くするための揚力稼ぎもあったのではと推測しています。地面効果翼機と同じ効果を狙っているかも。
→蘇る「カスピ海の怪物」! 地面効果翼機って何?
主翼の捩り下げもものすごいです。正面から見るとコウモリの翼のようです。やっぱり、翼面積が少なすぎような気が・・・。
操縦の安定性は、試験飛行でも発覚していたのですが、何せ緊急時ということで、改修する余裕もなく、離着陸のコツをマスターするのに相当の技術を要し、熟練のパイロットでも操縦は難しいものとなってしまいます。
しかし速度、火力、航続距離が要求を満たしているので大量生産が命じられ、ハインケル社はもとより、ユンカース社などの他社の航空機メーカーのみならず、全国の木工家具工場まで動員してのフル生産態勢が敷かれることになるのでした。
もし、配備が間に合ったとしてもグライダー訓練程度の未熟なパイロットでは、相当数が事故で殉職したのではないかと言われています。
◆ザラマンダーの活躍とその終焉
このようにして本来なら数々の試験飛行テストなどを繰りかえし実用化に入るのですが、あっという間に大量生産ラインに乗せ、1945年2月末には当機による実戦部隊(I./JG1)が創設されます。パイロットたちは、1ヶ月半の訓練でマスターし、3月末には実戦配備につきます。しかし、燃料事情もあって単発的なパトロールしかできず、2機撃墜の結果のみ(未確認)が後世に残されています。ドイツの崩壊はすでに始まっていたのです。
結局、終戦までに275機が完成し、120機が配備されていました。生産ライン上にはすでに600機以上あったといいますから凄まじい生産だったと思います。
しかし、肝心の航空用燃料がすでに底を付き、しかもパイロットも全然足りない状況でしたので、活躍は望めなかったといえます。
腹を空かせた火トカゲ(ザラマンダー)は火を吐くことなく地上で横たえるでけでした。ドイツ第三帝国は5月8日に滅亡します。
ドイツ航空工業の底力を見せた機体であったと思います。
地下工場で生産途中のHe162。戦後の撮影ですが、ドイツがかなり本気だった事を感じさせてくれる一枚です。
◆派生型など
他のドイツ機の例にもれず、様々な計画が予定されていました。前進翼、後退翼、さらに構造が簡単なパルスジェットエンジン案、より強力なジェットエンジンなど。
ということで、こういう実際の歴史や資料を見ながら製作するのは、色々と勉強になるものです。まあ、完成するには時間がかかりますが(^^)
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He162の写真を見たことはありましたが、これが戦況の末期症状の中で起死回生の期待をになって開発され、量産体制に入っていたのは知りませんでした。
もう少し完成が早くて、燃料が底を尽きる前であったら、もう一波乱あったかもしれませんね
by ロートレー (2017-01-10 19:52)
ドイツ航空工業の底力を見せた機体!
我が国同様、こうした高い技術力、スピード性が他国からは脅威へつながっていったのでしょうか。
肝心の航空用燃料、戦力となる若者たちが次々といなくなってしまった…辺りも、日本と同じですね。
ブランド葱である下仁田ねぎもながら、宇都宮の日里ねぎもお忘れなくね^^
お鍋にはピッタンコの美味しさなのです。
by hana2017 (2017-01-10 19:53)
国民戦闘機とやら、サメみたい!
by caveruna (2017-01-11 11:40)
★ロートレー さま
>もう少し完成が早くて、燃料が底を尽きる前であったら、もう一波乱あったかもしれませんね
そうですよね。Me262の戦闘機開発がもっと早くてR4Mミサイルが早く搭載されていたら連合軍の昼間爆撃が中止に追い込まれていた可能性があったとのこと。ひと波乱、ふた波乱あったかもしれませんね。
★hana2017 さま
そうですよね。石油問題は日本が太平洋戦争に踏み切った大きなの原因の一つでしたから、重要な問題ですよね。
日里ねぎ、知りませんでした>< 今度道の駅で探してみます!
★caveruna さま
コウモリに見えたり、トカゲに見えたり不思議なデザインだと思いません?後ろから見ると潰れたカエルにも見えます(笑)
by ワンモア (2017-01-11 17:15)
ワンモアさん今晩は。国民戦闘機He162の形Me262に比べて余り好きではありません。急場しのぎで作った戦闘機が見え見えで、
ガソリンやパイロットが不足しているのにある程度量産出来ても
戦力に成らなかったのは、その当時の日本の状況と同じですね。
by bpd1teikichi_satoh (2017-01-16 16:35)
★bpd1teikichi_satohさま
Me162は開発に時間があっただけに洗練された部分がありますよね。He162は急場しのぎのデザインではありますが、急いで提出したという、なんというか設計者のラフデザインが、分かってそれはそれで私は大変興味深いものがあるのです。あぁ、ここが不十分なままなんだなぁとか(;^ω^)
by ワンモア (2017-01-16 18:46)