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今回はミリタリーな話を。
軍用機で一番早い飛行機というと、やはり「戦闘機」が思い浮ぶかと思います。第二次大戦ではいかに早く飛べるかを競い合いました。そして「爆撃機」というと大きさの違いはありますが、胴体に爆弾を抱え、戦闘機より大きくて、遅く、そして愚鈍なイメージが強いかと思いますし、その想像は概ね正解です。
ですので、味方の護衛の戦闘機がいないと、爆撃機は敵機にさらされピンチになるわけです。目的地までたどり着いて任務を果たし、無事帰還するにはどうすればいいか。各国の軍隊や技術者たちは、自分たちの持てる資源、技術、戦術・戦略を総動員して対策を練りました。
・護衛機に守られる
まず一番良いのは、制空権を確保して、味方の護衛戦闘機に守られて飛行することです。
大戦初期の零戦の護衛も爆撃機(攻撃機)側としてはありがたいものでした。
ここで問題となるのは、護衛する戦闘機の航続距離です。運動性能が求められる戦闘機ですので、そう大型化はできませんので燃料タンクの容量にも限りがあります。
日本では作戦の行動範囲が広く、大型の爆撃機の長大な航続距離に随行できる戦闘機の開発が急務になりました。「陸攻援護専用の遠距離戦闘機」のコンセプトのもと、「月光」などが開発されるようになります。零戦は違うコンセプトで開発されたのですが、充分にその役割を担うことができました。
アメリカのB-17やB-29などの大型爆撃機は、随伴してくれる味方のP-51マスタングやP-47サンダーボルトに護衛されるようになると被害が激減しました。
P-51Dが第二次大戦の最優秀戦闘機にあがるのは、この航続距離と運動性の絶妙なバランスが評価されているからです。
・武装を強化する
速度や運動性が低い部分をカバーするには、爆撃機自体の防御能力を上げる方法があります。 長距離戦闘機が開発されていないうちは、護衛戦闘機が随伴しない状況で空襲を行うことが前提で開発される機体が多く、さきほどのB-17もこのコンセントで開発され、「空の要塞」とまで言われた重武装が特徴です。
アメリカには「爆撃機優位論」があって、強力な火力と密集編隊なら近づいてくる迎撃戦闘機を優位に撃ち落とせると考えていました(実際には困難を極め、大損害を被ることになるのですが・・・)。
→本日はシュヴァインフルト=レーゲンスブルク爆撃作戦の日
このコンセプトで開発されたのが、九七式重爆撃機や九九式軽爆撃機などです。ただ、太平洋戦争が始まり、戦域が拡大すると、航続距離や搭載量の不足が問題となりました。
これらの双発爆撃機たちは、エンジンの馬力の向上が一気に進むと、その優位性が保てなくなります。戦闘機の開発競争が激化しているため、せっかく実用化されても、速度面ですぐに劣るようになるからです。
それでも、海軍も含め「戦闘機を振り切ることのできる高性能」の要求は攻撃機、爆撃機の開発要求から外れることはありませんでした。戦局の悪化で制空権が確保できない日独は、この厳しい開発条件を外すことができなかったのでした。
・単発戦闘機並みのサイズで高速化を図る〜彗星
双発機ではもはや戦闘機を超える速度を図ることは困難となった時、次は単発機の爆撃機や攻撃機開発で高速化を狙います。
零戦とほぼ同サイズの艦上爆撃機の「彗星」はかなり小型に分類される機体でした。複座で早い機体は偵察機としても有効ですので、偵察機(二式艦上偵察機)としても重宝されています。
こちらも最大速度530km/h〜570km/hと日本機の中ではかなり早いことには早いのですが、アメリカの最新鋭戦闘機たちの前には太刀打ちできませんでした。
・最後まで諦めなかった高速双発爆撃機〜銀河
実質上、海軍の最後に実用化された双発の高速爆撃機です。最高速度は546km/hをマーク。前任の一式陸攻よりも70〜90km/hも高速になり、搭載量はほぼ同じという性能は、徹底した小型化と空気抵抗の削減化から来たものでした。
乗員も7名から3名へと削減することで胴体の最大幅も抑えています。しかし、これでも敵の戦闘機の前には有利にはなりませんでした。
このように爆撃機としての搭載量と速度の両者を求められることは相反したものであり、現実には相当な苦労をすることになるのです。
実際には、爆撃に高速性を求める場合は、戦闘機を戦闘爆撃機として利用した方が効率が良いことがわかります。
アメリカでは、P-47など2,000馬力級エンジンの余力でもって戦闘爆撃機として使うことができ、護衛から地上攻撃まで縦横無尽な活躍をします。
日独を中心にした技術者たちを悩まし続けた、「戦闘機よりも早い高速爆撃機を」はもはや夢で終わるかに見えたのですが、ここでドイツが逆転の一発を放ちます。
その続きは次回に(^^)→その2へ
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おはようございます。
言うまでもなく太平洋の端に位置する日本。
>作戦の行動範囲が広く、大型の爆撃機の長大な航続距離に随行できる戦闘機の開発が急務
・・・の点で思い出したのは、大型戦艦大和だったかしら?
戦艦の上に上にズラリと並んだ戦闘機たちの姿です。
大和沈没により、また次の作戦を急遽考えざるをえなかった・・・というのは間違ってますか?
敵機と戦うにはより多くの燃料が必要であり、武装の強化、様々な秘策が必要とされる状況下となった?
by hana2017 (2017-01-23 08:17)
しかし、日本の昔の軍機って、
名前が渋いですね・・・っと、今更ながら思ったりして。
by caveruna (2017-01-23 16:12)
拙ブログのコメント欄で、危険な航空会社を教えて頂き、ありがとうございます。
ネパールの航空会社二社ですが、さもありなんですね。
それこそ、北朝鮮の航空会社などはデータがないのでしょうかね。
ソ連時代に、一度だけアエロフロートに搭乗しました。当時、エンジンをフルスロットルにして動き出してから離陸するまでに40秒くらいかかり、怖い思いをしたことを思い出しました。
by 隊長 (2017-01-23 16:41)
★hana2017さま
飛行機をずらりと並べるのは空母たちでしょうか。大和は大事に使い過ぎて出番がまったくありませんでした。戦争の勝敗が決した時期に護衛がなくみやみに沈没させたのは悔やまれます(*_*)
★caverunaさま
当時の軍人さんたちは学識がある人が多かったと思います。戦闘機なんかでも、素早く飛ぶ飛行機は「風」の付く名を。武装強化の機体には「雷」を、夜間の任務には「光」を。うーん、センスある(^o^)
★隊長さま
おぉぉ貴重な体験。アエロフロートは「空の艦隊」という意味だそうで(*´ω`*)恐ろしい、いや日本では考えられない伝説を数多く持つ航空会社ですよね(笑)
by ワンモア (2017-01-24 19:51)