黄金柏葉剣付ダイヤモンド 騎士鉄十字勲章 |
まずはこれがWikipediaの記述。
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - Wikipedia
第二次世界大戦中のドイツ空軍の軍人。急降下爆撃機Ju 87 シュトゥーカで歴史上で最も多くの戦車を撃破した撃墜王ならぬ「戦車撃破王」である。フォッケウルフ Fw190での地上支援や空戦もかなりの回数があり、エースの条件とされる「敵機を5機以上撃墜」も満たしている為、第二次世界大戦のドイツ空軍を代表するエース・パイロットの一人にも数えられる。
で、こっちがアンサイクロペディア。
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア
第二次世界大戦の際に活躍したドイツ軍人にして、ソ連人民最大の敵であり、スツーカの悪魔にして絢爛舞踏、そして地上に舞い降りた魔王である。朝起きて出撃して朝飯食って牛乳飲んで出撃して昼飯食って牛乳飲んで出撃して夜飯食って牛乳飲んで出撃してシャワー浴びて寝るという毎日を送ってたら、いつのまにか戦車519台を撃破し、世界最強の戦車撃破王になっていた。
なお航空機撃墜数も9機なので、れっきとしたエースである。間違いなく彼のスコアは世界記録であり今後絶対に更新されることは無いだろう。
あれ、ほとんど変わらないや(^^;) というか、むしろアンサイクロペディアの方が分かりやすいです。
詳しい戦歴ですが
という、冗談のような成果です。事実は小説よりも奇なりとはよく言いますが、そんなレベルではありませんよね。わずか12発×2門の銃弾を搭載した37mm砲や、250kg〜最大1800kgの複数の爆弾のみでの成果ですから、頭がくらくらしてきます。出撃回数はなんと2,530回。これは公式記録ですが、ヒトラー総統の「死んだら全軍の志気にかかわるから出撃するな」という命令を受け、内緒で部下たちに戦果を振り分けていましたから実際の戦果はこれ以上だそうです。
総統命令も無視して無断出撃していたことがバレたのは、戦果を部下たちにあげていたらその部隊だけの戦果が突出してしまい、「お前、出撃しとるだろ!」とツッコまれたそうで。
これだけの戦果を立てるので、勲章も次々と与えていたのですが、最後はルーデル大佐の成果に見合う勲章もなくなったので、彼用に特別に作らせたとか。
さすがに小説や漫画でも真っ青の展開に対して、アンサイクロペディアでも泣きが入っており、「こんな嘘くさい事実に対して、これ以上嘘を加える事なんて不可能だよ!」「事実なんだって。嘘じゃないんだ、ほんとだよ。そりゃあスターリンも泣きたくなるってもんでして。」と書かれています。あぁ・・。
小説や漫画だったら、嘘くさいからキャラ設定やり直して来いと編集担当に言われるレベルです。
そんなルーデル大佐のエピソードを幾つかご紹介。
・仲間を救助するために敵地にも果敢に着陸して脱出すること4回
少なくても4回は敵地への強行着陸を試みています。その内1回は離陸に失敗し、4人で40 kmもの先の味方陣地へ2日かけて踏破します。途中で相棒の銃座手のヘンシェルを失い、肩を撃たれ、数百人のソ連兵と軍用犬に追いかけられつつの逃避行でしたが、帰還するなり帰国命令を無視して出撃します。その理由は、ソ連がラジオで「ルーデルを捕らえた」と宣伝しまくっていたからだとか・・・。
その後のヘンシェルの仇討ちは凄まじいものがありました。なんと2日間だけで敵機動部隊の100両超えの戦車のうち26台を破壊します。ルーデル一人で、実に1/4を撃破。
・敵のエースパイロットも撃墜
レフ・シェスタコフという65機撃墜のソ連でも有数のエースパイロットがいました。賞金首であるルーデル大佐を狙っていた彼は、僚機を撃ち落とします。しかし、その瞬間、彼もルーデル機に撃ち落とされてしまうことに。
すでに旧式で鈍足で撃墜されることが多いJu87スツーカですが、ルーデル大佐は戦闘機に撃ち落とされたことがないのです(対空砲火による墜落はしょっちゅう)。
彼は回避能力もパイロットの腕前も凄かったのでしょうか。Fw190戦闘機での出撃も430回あります。
エルンスト・ガーデルマン 軍医であり、JU87の後方銃手 |
・右足切断の重傷でも帰還
流石のルーデルでも死にかけたことがあります。
敵の対空砲火で撃たれ片足が吹っ飛んでしまいました。後席のガーデルマンに「足が無くなってしまった!」と言ったら「そんな事は無いでしょう。足が吹っ飛んだら、話なんかしていられるもんですか。そんな事より左翼が燃えてます。不時着しましょう」と返されたとのこと。
このガーデルマン、出血多量で意識を失いかけるルーデルを叱咤し帰還させた命の恩人でもありますが、以前、自分が肋骨を骨折していたにもかかわらず「休んでいる暇はないぞ、ガーデルマン!出撃だ」と付き合わされたことへの仕返しという話も・・・。
どっちも凄すぎます。ちなみにガーデルマンは本来は軍医であり、戦後は世界的な名医として活躍しています。
スポーツ好きでルーデルと意気投合していたら、気がついたら後部座席に座らせられていたという・・・。ルーデルの右足を適切に処置したのも軍医のガーデルマンだからこそという話も。
その後、わずか6週間で病院を脱出。鋼の義足を装着して出撃・・・・。入院しているはずのルーデルがいなくなったと上層部が気がついた時には、彼はすでに急降下爆撃中だったとか。
エピソードが多すぎて、これ以上は長くなりそうなので、興味のある方はこちらのサイトを見てください(;^ω^)
→ハンス・ウルリッヒ・ルーデル(アンサイクロペディア)
そんな傍若無人ぶりを発揮させたルーデルですが、ひたすら軍人としての勤めを果たしただけなので、戦後も戦争犯罪に該当するものもありませんでした。
そして直ぐに釈放、南米で実業家として成功しながら、片足が義脚であるにもかかわらず、アルペンスキーで南米選手権において優勝。趣味の登山では400mも落下するものの打撲と痣だけですんだという強運ぶりも発揮しております。
49歳のときに28歳年下の女性と再婚という、なんか、あいかわらずの凄いエネルギー(笑)。
彼は政治には興味がなさそうで、生涯一軍人として、頼まれればアドバイスなど協力を惜しまない人でした。
アルゼンチン空軍の設立にも協力し、ルーデルの教育を受けたパイロットたちは、その後のフォークランド紛争の際にイギリス相手に大活躍します。
さらには、アメリカのフェアチャイルドA-10攻撃機の開発にも協力。その攻撃力と生存率の高い機体は、歩兵部隊から大絶賛。このA-10、本来ならとっくに引退しなくてはならない機体なのですが、未だに現場からの根強い人気で、何度も引退が延長されてます。
すごい人がいたもんですね。もし、戦争がなかったとしても、バイタリティというか生命力に溢れた生涯を送ったんだろうなぁと思います。
最後に、戦争末期に中央軍集団を率いたドイツ陸軍フェルディナント元帥の言葉を。
「ルーデルは一人で一個師団の価値がある」 (一個師団は約1万〜2万人程度の独立した継続できる戦闘集団単位)。うそのようなホントの話ってあるもんですね。
<関連記事>
→急降下爆撃といえばJu87!1/144スケール食玩とプラモレビュー
→エデュアルド 1/144 ”Ju87Gデュアルコンボ”購入レビュー!
日本にもすごい軍人さんがいました。
→東武金崎駅と西方町の舩坂弘〜その1
→不死身の軍曹、舩坂弘の生涯〜その2
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スゴイ人がいるもんですね。。
ホントに人類最強です。。
言葉が無い・・・。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2017-07-02 17:53)
ルーデル大佐、A-10の開発にも関わっていたんですね!知りませんでした。。。しかし、ほんとスゴイ人だな。まさに軍神。
by ys_oota (2017-07-02 23:36)
日本では戦死して軍神になるケースが多いように思いますが、
敗戦後も大活躍するとはホンとにスゴい人だったんですね。
by johncomeback (2017-07-03 07:08)
アンサイクロペディアは毎食後の牛乳が
超人的な活躍の理由といいたいわけですね。
by いっぷく (2017-07-03 09:29)
もうここまでくると、
作り話でも実話でも、どっちでもよくなる(笑)
とにかく凄い人であるのは、
間違いないですね!
by caveruna (2017-07-03 19:03)
アンサイクロペディア、昔けっこうハマってました^^
だってこっちの方がwikiより面白いんだものw
by ちょいのり (2017-07-05 02:07)
☆なんだかなぁ〜!! 横 濱男さま
エネルギーの塊のような人ですよね(;^ω^)
☆ys_ootaさま
A-10も最強ですよね・・・。
☆johncomebackさま
自分の信念とかポリシーを貫いた人だったようです。
☆いっぷくさま
牛乳のくだりの件くらいしか冗談にできなかったようですね(;^ω^)
☆caverunaさま
戦争がなかったとしても、歴史に名を残す人だったかもしれませんね。
☆ちょいのりさま
そうなんですよ(笑)でも、ルーデル大佐の件に関しては凄すぎて冗談にできなかったようです(;^ω^)
by ワンモア (2017-07-05 02:13)