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村社・滝尾神社と"幻"の江曽島陸稲

 これから月の初めは、好きな神社に参拝して気持ちをリセットして仕事をしようと決意をしましたので、日曜日の夕方、近所の滝尾神社に散歩がてらにご参拝。
 ホントは日光の滝尾神社に行きたかったのですが、ちょっと遠いので今回はパス(^^)。

 そういえば、地元の滝尾神社の創立の理由が「日光まで遠いから」という正直すぎる理由がすごい分かります。

 この神社は、下の子が小学生の時に、願掛けをしたらその日のうちにシークレットアイテムが見事当たり、さっそくお礼参りにいったその帰りに、更にスーパーで500円分の商品券をその子が当選するという、我が家ではご利益がある神社なのです。やっぱり子供の素直な心の方が当たるんですかねぇ(^^)

瀧尾神社.jpg
”村社”瀧尾神社です。

◆幻の陸稲(おかぼ)、江曽島糯(もち)
 
 参拝していたら、面白そうな看板がありました。
瀧尾神社奉納.jpg
江曽島糯.jpg

 陸稲?江曽島糯(もち)?もち米のこと?陸稲というのも聞いたことがなかったので、調べてみました。うーん、まだまだ不勉強な私。こういう品種とか弱いんですよね。

陸稲(りくとう / おかぼ)
 
陸稲は、畑で栽培されるイネ(稲)。野稲(のいね)とも呼ばれている。水稲に較べて水分条件により厳しい畑状態に適したイネと位置づけられているが、植物学的な差異は無く、また歴史的にも古くから陸稲として栽培されたものから、水稲から品種改良されたものまで存在している。 

 歴史的には縄文時代から陸稲が栽培されていた形跡があり、水田稲作より起源が古い可能性があるそうです。
陸稲.JPG
ネパールでも盛んな陸稲栽培

 水田が作れない場所で、畑地に育てる作物だそうです。ここ江曽島では、元々の地形から陸稲しか育てられなかったので、生産が盛んだったとのこと。
 その後、収穫量が多く、干ばつ被害や雑草被害にも強い水稲栽培の方が主流になり、戦後は作ることもなくなっていったそうです。
 完全に途絶えたと思われてした江曽島糯ですが、種がつくばで保存されていることが分かり、50年ぶりに収穫に至ったとのこと。
功績石碑.JPG

橋本農場長は栃木県の陸稲収穫量が全国トップクラスで、陸稲を原材料とするせんべいの消費量も宇都宮市は全国トップクラスであることから、「地域おこしに使わないのはもったいない」と考え栽培を開始し、ついに今年収穫に至った。

幻の陸稲復活に感激 /栃木

 この1年を振り返ると、農業従事者に取材する機会が多かった。

 その中でも特に、宇都宮白楊高の橋本智農場長が、幻の陸稲「エソシマモチ」を半世紀ぶりに復活させたことが印象に残った。

 陸稲は水田化できない畑地に育てる作物で、エソシマモチは宇都宮市江曽島町の農民によって育成された品種。地元の元陸稲農家によると、江曽島では元々の地形から、陸稲しか育てられず生産が盛んだったそうだ。完全に途絶えたと思われていたエソシマモチだが、茨城県で種が保存されていることが判明。橋本農場長は栃木県の

橋本農場長は栃木県の陸稲収穫量が全国トップクラスで、陸稲を原材料とするせんべいの消費量も宇都宮市は全国トップクラスであることから、「地域おこしに使わないのはもったいない」と考え栽培を開始し、ついに今年収穫に至った。

 

橋本農場長は栃木県の陸稲収穫量が全国トップクラスで、陸稲を原材料とするせんべいの消費量も宇都宮市は全国トップクラスであることから、「地域おこしに使わないのはもったいない」と考え栽培を開始し、ついに今年収穫に至った。

 

橋本農場長は栃木県の陸稲収穫量が全国トップクラスで、陸稲を原材料とするせんべいの消費量も宇都宮市は全国トップクラスであることから、「地域おこしに使わないのはもったいない」と考え栽培を開始し、ついに今年収穫に至った。

 功績碑がありました(クリックで拡大)。「秀農 篠崎君 功績碑」とあります。
 うーん、君付けなんて時代を感じます(^^)。これによると、篠崎重五郎さんという優れた農夫がいて、もち米農家が儲けが多いことを知っていて、これを深く研究。水稲から種を選び出し、長年の研究の成果があって、江曽島もちを収穫開発し、販路は東京にまで知られるようになったとのこと。

 この石碑は、明治43年に建てられた古くなった石碑を最近新しくしたようです。
 しかし、この時代の文章を読むと「篠崎君」とか、「我が国では」とか、時代を感じますな。こう、なんというのでしょうか、国威発揚というのか「自分たちが背負って立つぞ」という意気込みを感じますね。 大人になっても「◯◯君」とか呼び合うの今だと新鮮だなぁ。
 でもなんか、儲かるから目をつけたとか、日光まで遠いから神社建てたとか、この神社、動機が正直すぎて大好きです(笑)。

瀧尾神社_01.jpg

 この江曽島糯、明治38〜39年(日露戦争)の凶作の時もこの種だけは収穫が減らず、飢餓を免れた人たちも多かったとか。
 その後、住宅街などの普及などでの田畑の減少、そして水田に代わるようになり、廃れていったとか。今回はその種を栽培し、50年ぶりに収穫したそうです。
瀧尾神社灯篭.jpg

 かつて、陸稲米はあられ・煎餅の原料に用いられていましたが、現在では大半がより収穫が多く、味が良い水稲米を用いているとのこと。
そういえば、宇都宮は、おかき、かきもちのお店が多いのはこういうのと関係しているのかも。
 味の方は、
正直、
水稲米に比べるとややパサパサしているようです。また面積あたりの収穫量も水稲の方が倍近いらしいので、今は殆ど水稲栽培になっているとのこと。
 食糧難の時代にはよく作られていましたが、食料が比較的簡単に入るようになってからは、農家でも作られなくなったそうで。


瀧尾神社?02.jpg

瀧尾神社_ 012.jpg

ちょっと参拝しただけだったのですが、風土の歴史の勉強になりました(^^)

さて、今回は、もうちょっと先まで通りました。
IMG_6327 のコピー.JPG
塀がなくなった墓地。
IMG_6328 のコピー.jpg雑草の生い茂るプレハブ工場跡
IMG_6329 のコピー.JPG
トラクター作業中の人
名称未設定 1 のコピー.jpg
このお墓には、江曽島糯を栽培していた農家さんたちも
いるんでしょうね。雲も荘厳な感じがします。

IMG_6333 のコピー.jpg
ここは飛行場です。日曜なので飛んでいません。
IMG_6332 のコピー.jpg
やっぱり飛行場は良いですね。
この凛とした空気が大好きです。
subaru.jpg
富士重工改め、SUBARUになってしまいました。
以上、周辺散歩でした。
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コメント 7

いっぷく

神社に墓地があるのですか。
めずらしいですね。
神道は「死」も不浄として避けますよね。
もともと神社と寺は一体のものだった名残ですかね。
by いっぷく (2017-07-04 08:12) 

ワンモア

☆いっぷく さま
 こんにちは〜。あ、墓地は神社の側の場所なんです。
すみません(;^ω^)
この周辺は共同墓地がぽつぽつとあります。
 
by ワンモア (2017-07-04 12:43) 

johncomeback

拙ブログへお祝いコメントありがとうございます。

陸稲ですか、小学校の社会科の教科書に載っていた記憶があります。
どんな味なのか食べてみたいです。
by johncomeback (2017-07-04 15:33) 

caveruna

周辺散策、最近してないなぁ。。。
自転車も、このままでは、暑くて。。。そして秋になっちゃう(笑)
by caveruna (2017-07-04 17:44) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

今も、ご利益あるんでしょうか。。(^^)
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2017-07-04 19:33) 

ちょいのり

動機やきっかけは単純でも行動する方って素敵だな~って思います^^
思っててもやらないこと多いですしね^^;
ボクもそう・・・w
陸稲しりませんでした^^;
by ちょいのり (2017-07-05 02:05) 

ワンモア

☆ johncomeback さま)
 こんばんは〜陸稲って今は殆ど作られていないようですね。
 味が美味しければ、続いているはずなのですが(;^ω^)

☆caverunaさま
 周辺探索、思わぬ発見があって好きです(^^)

☆なんだかなぁ〜!! 横 濱男さま
 子供が大きくなると、純粋さが落ちるのか願い事の効果はなくなったようです(笑)。でも、お願いではなく感謝の参拝になりました(^^)




by ワンモア (2017-07-05 02:09) 

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