「北欧空戦史」学研M文庫版 |
この北欧空戦史の舞台は、フィンランドです。
当時ナチス・ドイツと戦うため、イデオロギーの異なるソビエト連邦と手を組んだアメリカやイギリスの西洋諸国は、ソ連周辺の侵略行為に対して黙認せざる負えませんでした。
最大の犠牲になった国は、ポーランドでしたが(ドイツとソ連の両側から侵攻され国家消滅)、ソ連の侵略の魔の手は隣国のフィンランドにも及びます。
歴史的にはこんな感じ
1939年8月 ソ連とナチス・ドイツとの間に相互不可侵条約。
9月 ポーランド侵攻(ドイツとソ連の結託)
11月 ソ連とフィンランドの間で「冬戦争」勃発
1940年2月 ソ連がバルト三国へ進入。併合
4月 ドイツがデンマークとノルウェーに侵攻、占領。
5月 ドイツがベルギー、オランダ、ルクセンブルクへ侵攻、占領。
6月 フランスがドイツに降伏。
1941年6月ドイツの独ソ不可侵条約の破棄とソ連侵攻。
ソ連とフィンランドの間で「継続戦争」が勃発(1944年9月まで)
12月 日本がアメリカへ宣戦布告 太平洋戦争が始まる。
このように列強国の覇権争いの波に小国たちは次々と飲み込まれていきます。
スターリンは、フィンランド軍の3倍もの兵力を投入すれば、1ヶ月もかからずにフィンランド全土を制圧できると考え、100万の兵と6千両を超える戦車、そして3800機もの航空機で侵略をしてきます。
しかし、ここで思わぬ反撃に遭います。対するフィンランド軍は25万の兵とわずか30両の戦車。そして130機の航空機だけでした。
フィンランド軍マンネルヘイム元帥(後に第6代大統領)率いるフィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられたのです。
スターリンの当初の目論見は崩れ、フィンランドは1940年3月まで戦い抜きました。しかし、長引けば不利になっていくのは国力の差からも明らかです。日露戦争の日本と同じく、どこかの妥協点で講和条約を結びます。その結果は、最終的に国土の10%、工業生産の20%が集中する地域をソ連に譲り渡すという屈辱的な条件ではありました。
冬戦争の集結でフィンランドが ソ連に割譲した国土(赤の部分) |
これが俗に言う「冬戦争」と呼ばれる期間で4ヶ月あまりの戦争でした。もちろんスターリンはこの結果に満足できず国防相に怒り狂ったといわれています。
隣のバルト三国がソ連領化されるとフィンランド国内ではソ連に対する脅威感が更に高まります。連合国があてにならず、北欧諸国も当てにならず、共産圏の脅威が忍び寄るフィンランドは枢軸国ドイツとの関係を深めざるおえませんでした。ソ連に対抗するにはドイツの物資に頼るしかなかったのです。これが戦後、枢軸国へ見方としたということで仇になりますが、苦渋の選択であったと思います。
<継続戦争の始まり>
冬戦争の終結後の1年後あまりの、1941年6月22日。ドイツがソ連攻撃を開始すると、フィンランドは再び戦争に巻き込まれます。これが「継続戦争」といわれるもので、その期間は1941年6月25日 から1944年9月19日までの3年にも及びました。
フィンランド空軍の各パイロットたちが奮闘したのはこの2つの戦争です。『北欧空戦史』はこの活躍を描いている訳です。
フィンランドは継続戦争で冬戦争以上の多大な犠牲を払いましたが、圧倒的な戦力差を誇っていたソ連軍の方が、またしても大損害を被ります。
しかし、今度は味方についた枢軸国のナチス・ドイツ側が不利でソ連の攻勢が有利なため、講和が難航します。休戦条件としてソ連が出してきたのは、「駐留しているナチス・ドイツをフィンランドから排除せよ」というもの。今度は、そのために今まで仲間であったナチス・ドイツ側と戦争をせざる負えません。これがラップランド戦争(1944年9月〜1945年4月)と呼ばれるものです。もう、昨日までの味方が敵になったり複雑な世界です。
結局、戦争終結は1944年の9月19日にソ連側に有利な条件ともいえる内容で、ようやく終わります。しかし、フィンランドは侵略してきた巨大な大国ソ連に対して勇猛果敢に抵抗し、独立を守りぬきました。
戦後は国を守るためにナチス・ドイツと手を組んだことが仇となり、世界から敗戦国の扱いを受け、ソ連の属国化のような不遇の時期を過ごします。
それでも戦後の東欧のような、衛星国やソ連軍の進駐、武力侵攻などを受けることなく、かつての徹底的な抗戦魂と、従属外交を使い分けて独立と平和を守りつづけました。
このフィンランド軍の戦いは、にミリタリーファンを魅了していて人気が高いのですが、それは、大国に対して圧倒的兵力差の小国が果敢に独立を守るために戦って、最終的に民族の独立を守り抜いたという点があると思います。さらには、少ない人材と資源を創意工夫と士気の高さで戦った点も。
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黄色と黒のカラーリング、まるでスズメバチのようですね。
by いっぷく (2017-07-19 22:54)
☆いっぷくさま
こんばんは〜、言われてみるとその通り(^^)
フィンランドカラーって言って、これ塗るとみんなフィンランド空軍に見えます(笑)ブルーのハカリスティが映えるんですよね(^^)
by ワンモア (2017-07-20 19:47)
北欧デザインのフィンランドがソ連相手に戦い抜いた根性の座った国だったのですね~!
見直してしまいました。
by ロートレー (2017-07-20 21:47)
拙ブログへのコメントありがとうございます。
松戸に住まわれていたんですか、松戸は交通の便が良いですね。
by johncomeback (2017-07-20 22:16)
何処かの国の首相が、防衛力を強化しないとフィンランドみたいになる、と頓珍漢なこと言ったのを思い出します。
by Cedar (2017-07-20 22:48)
☆ロートレーさま
フィンランド人は日本人と気質が似ていると言われるそうですね(^^)
☆johncomebackさま
松戸は住むには良いとろこでしたよ〜(^^)
☆Cedarさま
安倍総理のことでしょうか。おそらく、戦後の外交安保路線の「フィンランド化」のことを指しているのではないかと。弱小国が隣国の強大国から独立を守り抜くためには、黙従していく路線しか選択肢がなかったために戦後ドイツから出た言葉です。
果敢に戦ったその裏では、このような屈辱的な外交も耐え忍びながら独立を守り抜いた事情がありました。
日本も防衛力を強化しないとフィンランド化してしまう可能性は大いにあると思いますので(すでになっている可能性も)頓珍漢な言葉ではないと思います。
by ワンモア (2017-07-21 06:57)
ランチェスター戦略だとこちら側3で相手が1の戦力なら
勝てる。フィンランドが何故勝ったのか。普通では全く
考えられない。
要するに数より質といふ事か。
勉強になりました。
ありがとうございます。
by 笠原嘉 (2017-07-21 09:59)
☆笠原嘉さま
こんにちは。フィンランド戦史が人気な理由が、正に普通なら負けてしまうような戦力に対して質で対抗したからなんでしょうね。
一方、ソ連は、粛清の結果、優秀な将官たちがいなかったこともありますが。
by ワンモア (2017-07-21 10:22)
フィンランドにそんな歴史があったのでしたか。知りませんでした。勉強になりました。
by 隊長 (2017-07-22 13:28)
☆隊長さま
こんにちは〜。フィンランド人の気質は日本人と似ているそうで、興味があって調べていたら、色々と出てきました(^^)
by ワンモア (2017-07-22 17:13)