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ジョルジュ・ギンヌメールと騎士道精神

 第一次世界大戦のエースパイロットたちの話を。今回はフランスのエース、ジョルジュ・ギンヌメール(1984〜1917)という方です。
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映画『レッドバロン』より

騎士道精神が残る空の戦い

 戦争が始まった1914年ころは、飛行機はまだよちよち歩きの幼児期にあたり、飛んでいるので精一杯の状況でした。風に晒されたむき出しの己の身体。エンジンのトラブル、操縦装置の故障など、孤独でなんとも心ともない飛行です。
 ですので、敵味方関係なくパイロット同士には、地上の兵士たちには理解しがたい「空の友情」が生まれました。ドイツや連合国のパイロットたちは、偵察飛行中、遭遇した相手に互いに手を振って合図をかわしたものでした。

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 やがて、両軍の飛行機同士の激しい戦いが、生か死かの闘争となり、西部戦線での戦闘機パイロットの生存の見込みがわずか2,3週間しかない時でさえ、敵に対する騎士道精神と敬意を払う伝統は消え去ることがなかったといいます。
 エースの称号を得た者は、敵味方双方から名誉を与えられていました。パイロット出身者の中には貴族も多く、この時代はまだ中世の騎士道精神が十分に残っていた時代だったのです。
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エルンスト・ウーデットとの有名な激闘のエピソード

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 ジョルジュ・ギンヌメール(右人物)は、フランスの第2位の54機撃墜のスコアを持つエースです。ギヌメール家は軍人の名門でしたが、彼は病弱で兵役に2回もはねられた過去を持ちます。
 第一次世界大戦が始まると彼は整備兵から入隊します。しかし、軍人の名門である彼はやはり当時の花形である戦闘機パイロットに憧れたのでしょう、パイロットはを目指し、配属後の1ヶ月後の1915年7月には早くも最初の戦果を挙げます。
 彼のスコアが伸び始めたのはニューポール10に切り替えてから(後に11,17と乗り換える)。彼は常に連合国トップのエースであり国民からの人気もありました。プライドも高く気性も激しい彼の性格は、敵機と正面堂々と攻撃し合う戦いを得意としていたのです。

 彼は1917年には大尉に昇進、当時の最新鋭機、スパッドS.Ⅶを優先的に回され、コウノトリ部隊と称されます。
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連合国反撃のきっかけになったニューポール11

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 1917年6月6日。後のドイツ2位のエースであるエルンスト・ウーデット(左人物)と一騎打ちの戦いが始まります。お互いに持てる空戦技術を繰り広げ、激闘を繰り広げたのですが、ウーデット機の機関銃が故障します。これを見てギヌメールもウーデットに敬礼し引き上げます。
 この騎士道精神のエピソードは後のロバート・レッドフォード主演の映画『華麗なるヒコーキ野郎』でも取り入れられています。お互いがベストの状態で戦い合うという騎士道精神がまだ残されていた時代でした。
 
 常にトップエースであるギヌメールですが、彼の戦死が軍の士気に関わることを恐れた軍部により、再三の後方勤務を勧められますが、「全力を尽くしていないなら何もしないのと同じです」ときっぱりと転属を断ります。軍人の家系に生まれるということはこういうことなのでしょうか。ただ、後方任務に付いた後に事故死したりするケースもあり、常に生存本能を磨いている最前線の方が生存率が逆に高いのではと考えられる場合がパイロットには多い感じがします。
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 そして1917年9月11日。運命の日が彼に訪れます。部下を連れて哨戒中に、数機のドイツ戦闘機の急襲を受け戦死。彼の最後の乗機はスパッドS.Ⅷ、シリアル番号は504号機、機番2であったと言われています。
 ギヌメール機は皮肉にも墓場に墜落。ドイツ軍により死亡が確認されたのですが、イギリス軍の砲撃が始まり、ドイツ側も遺体を運び出せず、砲撃後は何もかもが消えていたとも言われています。
 国民的人気のあったギヌメールの遺体の喪失について、当時のフランスでは「ギヌメールはあまりにも高く飛びすぎて降りてこられなくなった」と語られるようになります。
 ドイツでは、ギヌメール機を撃墜したのはクルト・ヴィッセマン中尉であったと発表されるのですが、フランスのエース、ルネ・フォンク(後に75機撃墜の連合国トップエースになる)がさっそく、ギヌメール戦死の知らせを聞くと仇討ちに出撃、その日に撃墜した機体が偶然にもクルト・ヴィッセマン機でありました。

 彼の戦死後も戦争は終わる気配はなく、”赤い男爵”こと、リヒトホーフェンら空の英雄たち、そして
多くの若者たちが敵味方関係なく空に散っていくことになります。第一次世界大戦は、空での騎士道精神がまだ許された時代ではありましたが、その余裕も徐々に消え去る時代でもあったといえます。
 


映画「華麗なるヒコーキ野郎」最後のシーンはしんみりきましたな。
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来たよ(33)  コメント(7)  [編集]
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コメント 7

ys_oota

古き良き時代ですね。今や敵の顔さえも見ることはない遠方からのミサイルの打ち合いで勝負が決まる世界ですからね。レーザー兵器が出て来たら音さえもないという...。
by ys_oota (2017-08-29 00:55) 

ワンモア

☆ys_ootaさま
 まだ敵に対する尊厳を大事にしていた時代でした。今はドローンとかゲーム感覚で戦う時代になってきましたね・・・・。
by ワンモア (2017-08-29 01:20) 

tsumi

騎士道精神…そんな時代が実際にあったなんて、すごい!

こんなにも激しい時代を生きたすごい人たちなのに、終わりはいつもあっけなく、寂しいものですね…。

ドラマや映画よりも驚かされる素敵なお話を、いつもありがとうございます^^

by tsumi (2017-08-29 11:57) 

johncomeback

近い将来はロボット同志の戦闘、そしてミサイルの打ち合いかな?
by johncomeback (2017-08-29 15:09) 

caveruna

何度見ても、赤い飛行機って恐怖感あるな~
by caveruna (2017-08-29 18:01) 

ロートレー

「ブルーマックス」のVHSカセットが私の宝物です。
その時代に、なりふりかまわず、エースパイロットになろうとした若者の話です。
レッドバロンも出ていましたね~
by ロートレー (2017-08-29 19:21) 

ワンモア

☆tsumi さま
 ご無沙汰でーす。ひゃくちゃんの記事をもっと見たいのですが、
 育児も大変だし、更新も無理せずに(^^)
☆johncomebackさま
 そうですよね。でも、愚かな人間は結局それでは収まらないかもしれませんね・・・。
☆caverunaさま
 真っ赤ですからね。他にも真っ黒な黒騎士と呼ばれるエースもいたんですよ(^^)
☆ロートレーさま
 ブルーマックス、私も見てみたいと思ってました。華麗なるヒコーキ野郎は私の宝物です(^^)



by ワンモア (2017-08-30 23:15) 

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