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再び木製に戻った大戦機たち〜その2


 前回の続きになります。資源付属から木材を軍用機に取り入れ始めた日本ですが、試験的につくった主桁のサンプルが女子工員が倒しただけで、こともあろうかポッキリと折れてしまう事故が発生します。主桁といえば飛行機の最も重要な構造部材。そんな桁が倒しただけで折れてしまうのでは大問題です。偶然の事故とはいえ、事前に分かったのは不幸中の幸い。さっそく原因解明にあたるのですが原因は意外なところにありました・・・。

日本楽器や木工所が作る軍用機

松脂.JPG
松から染み出した樹脂
 積層木材は何枚もの板に接着剤を入れて加圧してつくります。木材には樹脂(ヤニ)が含まれています。これを加圧すると繊維方向にヤニが出て来るのですが、長尺の場合、一度に加圧できないので、部分的に加圧しては次々に動かすことになります。
 すると、場所によっては、押し出されたヤニが行き所がなくて、一箇所に貯まる場所ができてしまうことに。これが固まると、そこだけ樹脂の塊の部分ができてしまい非常に脆くなるのです。
 ちょうど竹の節のような感じを作っているようなものになり、節の部分が脆くなる形で出来上がっていたのです。

 製造したのはピアノなどの木製楽器を製造していた日本楽器。
そんな長尺にもなるプレス機もありません。木材の熟練工とはいえども何十メートルにも及ぶ積層木材は始めてのことですし最初から無理な話だったといえます。
 幸いなことに松下幸之助氏の松下木材工業に大型の高圧プレス機があることが分かり、メーカーを変更して試作に取り掛かります。
 初めてのことは、このようにトライ・アンド・エラーの繰り返しになるのですね。
このように接着強度不足はどこの国でも試行錯誤で数々の失敗を繰り返しながらも開発を進めていくことになります。
 「明星」の試作の際にも同様の失敗が起こり、材料部の若い技術少尉が責任を感じ、喉を切って自殺をはかる事件も起きました。幸いにも命はとりとめたそうですが、そこまで命がけで開発を行っていたことを窺い知ることができます。

木造軍用機の開発中止命令が下る

 こんなに真剣に開発を行って、完成の目処が立ち始めたにも関わらず、一部の試作機には開発中止命令が下ります。
 その理由の一つには、戦局の悪化に伴い、機種を絞り、生産を集中することになったことがあります。川西飛行機では、紫電改の生産に集中をすることになりました。
 そしてもう一つの理由は、いよいよB-29の本土爆撃が始まったことによります。木材など燃えやすいものは早急に撤去せよという達しがあり、工場の疎開、分散も始まりました。

 蒼空は結局、試作段階のみで終戦、完成することはありませんでした。東海の木製機タイプも強度試験の最中に終戦となります。


木製軍用機 .JPG上から「東海」「蒼空」「明星」


唯一完成した松下幸之助の工場の「明星」

 これらの試作機の中で唯一、完成までこぎつけたのが九九式艦爆を木製化した「明星」でした。ベースは九九式艦爆の木造練習機ではありましたが、工作の簡素化のため、優雅な楕円のペーパー翼をやめ、主翼も尾翼も直線テーパー翼に改められます。もはや別物のようです。
 松やヒノキ材をボルト留めした骨格に、バルサの積層材を貼り付け、従来の羽布張りも多用しました。
 松下幸之助氏は、家電などの木工部品には実績がありましたが、航空機に求められる絶対的な高品質や認識、経験、人材が不足していましたので、計画は大幅に遅延してしまいます。
 面白いエピソードにこんなものがあります。
  使用する接着剤は時間が経つと硬化しますので一定時間の作業で行うのですが、余ると当然使いものにならないので廃棄します。これがもったいないと思った工員たちは、硬化剤の量を減らして硬化時間を遅くする工夫を勝手にしていたのです。少しでも無駄にするなという、松下のケチ哲学が社員に浸透していたんですね(;^ω^)
 当然、硬化不足になり、基準の厳しい航空部品ですので不合格になります。あまりにも不合格が出るとつぶれてしまいますので、松下幸之助氏は監察官とこんなやりとりを。
 「監察官、この品物あきまへんか」
 「そう、不合格です」
 「さよか・・・(しばらくの間)、よろしい。ほなら値引きしますよって、二級品として引き取ってくれなはれ」

 「冗談じゃないですよ。飛行機に二級品はないんです」
 「さよか〜。あきまへんか」
おまけするから納品させろとは・・・。家電製品を売りまくっていた大阪商人らしいやりとりですね(^^)。

 こんな苦労もしつつ、一号機が完成したのは昭和20年の初頭のことでした。終戦までに7機が完成し、海軍の三沢基地へ運ばれましたが7号機目の試験飛行の最中に終戦の知らせを聞くことになります。
 その数時間後には、機体の破壊命令が下るのですが、
「そんな簡単につくったり、壊したりできるか!」と関係者たちが憤慨したのは言うまでもありません。結局、完成したばかりの明星全機が解体されるのにそう時間はかかりませんでした。まさに”宵の明星"の名に相応しい運命になりましたが、戦後の日本のプラスチック(合成樹脂)産業の発展の基礎になったのは疑いのない事実です。

41iuD+Sx+EL.jpg

大東亜決戦号「疾風」にも木製化計画があった

 これ以外にも木製化が計画された軍用機はありました。主に練習機とか後方任務の機体から始まりましたが、最終的には大東亜決戦号とまで言われた主力戦闘機「疾風」にまで、その計画は及びます。日本の物資不足は深刻なものとなっていたのです。

計画されていたのは、以下の急造型です。

キ106→1944年着手。四式戦「疾風」の機体の大半を木製化。17%も重量が増加。
キ113→内部の主要構造を鋼製、金属もブリキ製の板へ。
キ116→生産が追いつかない「誉(ハ45)」エンジンをパワーダウンの「金星62型(ハ112-Ⅱ)」エンジンに

 重量が増加することで性能の悪化は顕著で、その対策をしている間に終戦となりました。

Cap 1.jpg

 このように木製化は強度や接着剤技術との戦いになりましたが、同重量で、ジュラルミンの強度の約2倍を誇る積層木材も完成したり、繊維技術や成形技術に大きな功績を残しました。 空技廠が解体された技術者たちの中には、スポーツ用品のミズノに就職し、強化バットの開発で戦後野球界に貢献した者もいます。積層材技術は、ゴルフのクラブ、ラケットのフレーム、スキー板、野球のヘルメットなどにも活かされ、平和な時代に花開くことになります。
 
ミズノ.jpg


<参考文献>

『航空テクノロジーの戦い―「海軍空技廠」技術者とその周辺の人々の物語 (光人社NF文庫)』
『松下幸之助経営回想録』
『航空実用事典』その他

こちらのサイト様にキ106の一部の写真が掲載されています。
→北海道開拓記念館「立川キ-106試作戦闘機」



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来たよ(30)  コメント(3)  [編集]
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流石、松下さん!おまけするから買ってくれ・・・最高です!
グライダーならいいかも?軍用機のおまけがいいですね〜
by Hide (2017-09-10 11:00) 

johncomeback

いつも拙ブログへのコメントありがとうございます。
ハンググライダーやられていたんですか。
僕もやってみたかったんですが、機会がありませんでした。
by johncomeback (2017-09-10 19:24) 

ワンモア

☆Hide さま
 こんばんは〜松下幸之助氏のエピソード、面白いですよね(^^)
 家電と飛行機は全然違うということがよく分かるエピソードだとおもいました(笑)
☆johncomebackさま
 こんばんは。学生の頃、ハマっておりました(^^)鳥人間コンテストにも応募したことがあるんですよ。
by ワンモア (2017-09-12 22:51) 

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