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空冷と液冷を行ったり来たり。レジアーネの物語

 
m_Cap20357.jpg
 映画「風立ちぬ」のワンシーン

 イタリア機って他国では決して見ることができない独特のセンスが大好きなのですが、今回はイタリアの戦闘機、レジアーネRe.2000シリーズについて語りたいと思います。
 
RE.2005.jpg
Re2000番台の最高峰、Re.2005

 映画「風立ちぬ」でも知られたカプローニおじさん、ご自分が中心となったカプローニ社以外にいくつかの小会社を設立します。レジアーネ社もその一つで、アメリカで航空機設計に従事した技術者が中心となって1937年にとある単座戦闘機を開発します。

◆アメリカナイズされた最初の機体、Re.2000 ファルコ
re.2000.JPG

 アメリカ帰りの技術者たちがデザインした機体は、
多分に影響を受けたのでしょうか、アメリカ最新鋭のA-36そっくりの太く短い胴体でした。「ダサっ、こんな機体には乗りたくない」と美的センスに優れたイタリア人からは嫌われたのかは分かりませんが、性能はそこそこあったものの自国では不採用になりました。
 初飛行は1938年。
総生産は170機程度ですが、海外での評判はよく、スェーデンでは第1線級の機体として終戦まで使われて、生産数のそのほとんどが海外に輸出されています。
 エンジンは1,000馬力程度ですので零戦と同じクラスのエンジンを搭載した航空機と考えてよいですね。ちなみにファルコは"鷹"の意味です。
re.2000_01.jpg
イタリアらしくないですねぇ。

◆液冷エンジンを搭載、Re.2001 
アリエーテ
RE.2001.jpg

機首部分は同じエンジン使用のBf109Eに似ています。

  1940年になりますといよいよ欧州がきな臭くなってきます。この年に同盟国となったドイツから、事前に優秀なエンジン、ダイムラー・ベンツDB601を譲ってもらえることになっていたイタリアは、ライバルのマッキ社と共にRe.2000を液冷化することに着手、大々的な改修設計を行います。
 こうして出来たのがRe.2001。初飛行は1940年。胴体も細くされ、洗練された雰囲気が出ていますね。ドイツのDBエンジンを搭載すると、日本の彗星、飛燕もそうですが、流線型のフォルムが綺麗に見えます。このエンジンは技術者にとっては良いパッケージデザインかもしれません。
 ただ、このDB601、直接輸入に頼ろうとしたため、常に供給不足気味でした。そこで、アルファロメオ社でライセンス生産した
RA1000エンジンを代りに搭載しようとしましたが、この使用優先権もマッキM.C202にあったために、250機程度の生産に終わります。アリエーテは”雄羊”の意味ですね。
2000→2001.jpg

空冷から液冷になってスマートに

◆また空冷に逆戻り Re.2002戦闘爆撃機 アリエーテⅡ
Re.2002.jpg

また逆戻り!

 しかし、液冷化したのもつかの間、ドイツのDB601エンジンも国内のRA1000系エンジンも充分に供給してもらえないならと、再び空冷化に戻したのがRe.2002です。なんか不憫ですよね。愛称も、アリエーテⅡとあまり力が入っていないご様子。
 でも、今度の空冷エンジンは直径も小さく、出力も1,175馬力と余裕があるために、デザインも大きく変わらずに、パワーの余力も活かして戦闘爆撃機として開発されました。
 合計 650kgの爆弾が搭載可能となります。運用は1942年ですが、実際に活用が開始されたのは1943年から。この年の9月にイタリアは早くも降伏してしまいますから、運用時期は短いものとなりました。総生産数は225機だそうで。イタリア機って数は多いけど生産数が少ないですね。
 さて、空冷のRe.2000とRe.2002。同じ空冷であってもこんなにデザインが違います(´⊙ω⊙`)
2000と2002 のコピー.jpg
 ずんぐりむっくりの胴体は、安定性が悪くても胴体が短い方が高速になるという理論で、この当時、I-16やジービー モデルZなど高速機などにもてはやされたデザインなんですが、2000もその影響も受けたんでしょうかねぇ。
 
◆真打ち登場、Re.2001の実質後継タイプ Re.2005 サジタリオ
RE.2005.jpg

これぞ正にイタリアデザイン!

 さて、一度は諦めたものの液冷エンジンを諦めきれないイタリア各社は再度、ダイムラー・ベンツエンジンを搭載する計画を立てます。今度は300馬力もアップしたDB605エンジン。B f109G型など主力戦闘機の搭載する枢軸国側では最高のエンジンです。DB601に引き続きイタリアはライセンス生産を行うことができました。遠く離れた日本とは違って工作機械なども輸入できるイタリアの強みですね。精度が悪く稼働率が低かった日本と較べて有利なこともあったでしょう。
 このエンジンはフィアット社がライセンス生産を行い、
RA1050RC58という形式を得ました。実戦はイタリア降伏の僅か2ヶ月前で生産数はわずか48機。
 おなじエンジンを搭載した戦闘機にM.C.205ベルトロ、G.55チェンタウロがあり、シリーズ5と呼ばれています。Bf109と合わせてDB605系兄弟といったところですね。
 ちなみに、M.C.205は空戦性能に優れ、G.55は武装に優れ、このRe.2005は速度と爆弾搭載量で2機を引き離しているということです。少数ですが、ドイツ空軍に接収され、ドイツ終戦までこの機体は活躍しました。
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(左上)MC.205、(左下)G.55、(右中)Re2005
みんなDB605系エンジンの仲間たち

 母国に力がないと、どんなに優秀な機体であっても成果を発揮できないという良い例ではないでしょうか。

◆2000シリーズの特徴

 さて、この2000シリーズ、横から見ると随分とデザインが変わっていますが、主翼の形状はほぼ変わっておりません。
Wikipediaによると翼面積は同じですね。
re2000Series.jpg

Re.2000  全長 7.99m  全幅 11.00m(翼面積20.4㎡)

Re.2001  全長 8.36m  全幅 11.00m(翼面積20.4㎡)
Re.2002  全長 8.16m  全幅 11.00m(翼面積20.4㎡)
Re.2005  全長 8.73m  全幅 11.00m(翼面積20.4㎡)
 重ね合わせてみると・・・・
Cap 14.jpg
 主翼の形状はRe.2002で前縁が変更したもののほぼ同じですね。同一シリーズの機体であることがよく分かるかと思います。ただ、翼下面は、液冷に伴い、ラジエターを増設したり主脚構造の再設計、武装の違いもあってかなり改修されているはずですね。


◆これ以外の2000シリーズ

 さて、こうして並べてみると、Re.2003、Re.2004はどうしたの?と気になる所ではあります。実はあったんです。
 Re.2003は試作のみ、Re.2004は空冷エンジン搭載なんですが、胴体主翼は次のRe.2005のものになっています。そしてRe.2005の次のRe.2006も計画段階でありました。こちらはDB605よりも馬力アップしたDB603を搭載予定で最高速度は700km/hを上回る予定でしたが実際に飛行することはありませんでした。


 空冷エンジンと液冷エンジンを行ったり来たりしつつも能力が上がっていったイタリア機でした。


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コメント 5

bpd1teikichi_satoh

爺はイタリヤの大戦機を殆ど知りませんでしたので、とても為に成りました。
by bpd1teikichi_satoh (2018-04-15 14:22) 

johncomeback

イタリアは戦闘機もオシャレですね。
でも戦争は弱そう、ローマ帝国は強かったのに(-_-)
by johncomeback (2018-04-15 19:34) 

Hide

こんばんは!Re2005が一番いいですね。
まあこれでマケたんならしょうが無いですよ!
スパゲッティーが好きですナポリタン><
by Hide (2018-04-15 22:03) 

ys_oota

カラーリングの影響もあると思いますが、Re2002がカッコイイかも。
しかし、ダサい機体には納得できないってイタリアっぽくていいですね。当時の日本人のエンジニアも、Re2000を見たら”ダサッ!”って言ってたかも。
by ys_oota (2018-04-16 00:22) 

tsumi

お久しぶりです!なるほど~お話を読んでいると、確かに素人の私でも、イタリアっぽい、アメリカっぽい、という感じが分かる気がします。性能は悪くないのに、不採用…おしゃれなイタリアならではのことなんでしょうか笑 いつもいろいろと勉強になります^^
by tsumi (2018-04-17 18:13) 

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