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零戦を作った三菱のビジネス機〜隠れた名機MU-2


MRJの大先輩、三菱MU-2

 ホンダジェットの絶好調と裏腹に三菱のMRJが大苦戦してます。発注数は400機以上あるにもかかわらず、納期が五度も遅れ、このままではロールアウトする前に大量キャンセルが相次ぐのではないかと危惧されています。
HONDA_MRJ.jpg
売れ行きNo.1のHONDA JET(上)と苦戦中の三菱MRJ (下)

 苦戦の原因は、開発の遅れにあるのですが、
型式証明の全貌を把握することが非常に困難で、審査が進まないなど日本の航空技術の経験不足もあるようですね。
 苦労をしている三菱ですが何も初めてのことではなく、実はアメリカで大成功を収めた三菱製飛行機も存在しているんです。
 それが三菱のMU-2 小型ビジネス機。いわば今のホンダジェットの大先輩にあたります。総生産数は762機。YS-11の182機、MRJの受注予約数の機、ホンダジェットの83機を遥かに上回る総生産数ですね。
MU-2.jpg
大成功を収めた多目的小型ビジネス機 三菱MU-2

 航空ファン以外にはあまり聞いたこともないかと思うこの名前、1963年の初飛行以来、アメリカのビジネス機市場はもちろんのこと、アメリカ空軍、日本の航空自衛隊や海上自衛隊でも長年に渡って使用されました。

なぜMU-2は大成功したのか

 大戦中や戦争のための航空機ですと、性能が一番に重視されますが、民間機や平和な時代の航空機の場合は、ちょっと事情が異なりまして、その飛行機が成功したといえるには、性能よりも「売れたか」というところに商業的な側面に主眼が置かれます。
 どんなに性能が良くても、市場で売れなかったらビジネス的に赤字になり、成功したとはいえないからですね。YS-11も安定的な販売網を作るのに失敗して売上が伸びずに退役しています。商業的には赤字ダメ絶対なんですね。
 日本人は「良いものを作れば黙っていても売れるはずだ」という職人気質的な考え方がありますが、やはり積極的な売り込みも大切です。
 
YS-11.jpg
戦後日本初の航空機YS-11
零戦の堀越、隼の太田、紫電改の菊原、飛燕の土井、航研機の木村といった
錚々たるメンバーが参加しました。

 YS-11の開発がスタートして間もない頃に、三菱も独自で航空機が作れないか、模索しておりました。F-86セイバーなどの戦闘機のライセンス生産で戦前の自信を取り戻した三菱は、アメリカの小型ビジネス機たちを見て、この程度の機体ならうちでも出来るのではないかと考えたそうです。
 参考にしたのは軍用機の図面。特に若手は陸軍のキ83試作遠距離双発戦闘機を参考にしたということなので、この時代はまだ、第二次大戦の技術が活かされていたんですね。戦争の是非はともかく、戦争中に一生懸命上げた技術は無駄になることはありませんでした。
KI-83.jpg
キ83。日本陸軍機最速の686.2km/hをマーク

「あのゼロ戦を作ったMITIBISHIが作ったビジネス機」

 MU-2の初飛行は1963年。1964年の西ドイツの航空ショーでお披露目した際に「あの零戦を作った三菱が開発したビジネス機」ということで注目を浴びます。その後、陸自と空自が採用を決定、続けて毎日新聞社が社機として採用したことが、アメリカで大きな宣伝効果を生むことになります。

 当時は「アメリカ国内で飛ばす飛行機は、その半分以上をアメリカ製の部品でつくらなければならない」という法律もあり、部品の買い付けに苦労したそうなのですが、アメリカ人自身に行かせると、それだけで部品価格が下がったと言われてます。当時の日本人はまだ信用がなかったことを思わせるエピソードですね。

 販売もアメリカ人に任せて営業させたのも成功の要因の一つと言われています。 

 こうしてMU-2は順調に売れ続け、オイルショックによる経営不振の影響が出て生産終了することになった1987年のまでの間、
762機の生産数を誇る小型ビジネス機のベストセラーとなりました。
 この頃には、後継機のMU-300という双発ジェット機も開発されており、そっちに販売を集中するために生産を終了したという経緯もあります。
 ちなみに1ランク上の後継機のMU-300は審査基準が厳しくなったことの誤算による開発の遅れや(今のMRJと同じ状況)、第二次オイルショックのあおりを受け、商業的には失敗しております。人間同様、飛行機たちにも運・不運はあるのですね。
MU-300.JPG
三菱MU-300(ホーカー400)
アメリカ空軍でもT-1Aとして採用されてます。


 ちなみにこのMU-300。三菱にとって商業的には大赤字で大失敗に終わるのですが、製造権、販売権を手に入れたホーカー・ピーチクラフト社は、ホーカー400として名を変えて、うまく軌道にのせ大成功を収めてます(;^ω^)

陸上自衛隊では「LR-1」として運用

LR-1陸自.jpg
L〜連絡機 R〜偵察機を表しています。

 さて、話をMU-2に戻します。陸上自衛隊では、このMU-2を1969年から1984年まで合計20機を導入、連絡偵察機として運用していました。後継をLR-2(ビーチクラフト キングエア)に譲り、2016年に退役しております。

航空自衛隊では救難捜索機として

MU-2空自.jpg

 航空自衛隊はレーダーや救命具投下用のドアを追加し、ヘリとペアを組む救難捜索機として1967年から29機を調達しています。こちらも、
2008年、後継のU-125Aに譲り全機が退役しました。

未だ飛び続ける名機

 このようにMU-2は50年近くもの間、アメリカ、日本を中心に運用され続けましたが、日本においてMU-2を見る機会はほとんど無くなってしまいました。三菱のかつての隠れた名機は、アメリカではまだまだ愛用され、愛好家の人たちもいるほどです。
 かつての栄光が再び三菱に戻ってくるといいですね。
MU-2.jpg
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タグ:LR-1 MU-2 MU-300
来たよ(29)  コメント(7)  [編集]
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コメント 7

middrinn

全く知らない話だったので、じっくり読み耽ってしまいました( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2018-10-08 06:46) 

ロートレー

三菱MU-2という大成功のベストセラーのビジネス機がありながら、後継機の三菱MU-300がヒットしなかったのは不思議ですね。
セスナサイテーションそっくりの時流のフォルムで大成功してもおかしくないのにね^^

by ロートレー (2018-10-08 16:52) 

johncomeback

MRJ は心配ですね、失敗すると経営が揺らぐのでは?
三菱MU-2は全く存じませんでした( ̄。 ̄)ホーーォ。
by johncomeback (2018-10-09 09:30) 

Hide

ホーカー400が欲しくなりました!お値段は?
by Hide (2018-10-09 10:32) 

caveruna

昨日は、自衛隊の観閲式の予行で、
朝霞の空が騒がしかったです♪
by caveruna (2018-10-09 18:23) 

ワンモア

☆middrinnさま
 読んでいただいてありがとうございます(*^^*)ヒコーキに興味をもってくださるとうれしいなぁ。
☆ロートレーさま
 MU-300はタイミングも悪かったですね。今のMRJとかぶってしまいます。
 どんなに性能が良くても売り方が悪いとヒットしませんです。
☆johncomebackさま
 MU-2。名の知れぬ名機ですので是非、博物館などで見かけたら愛でてあげてください^^
☆Hideさま
 高いですよ〜(笑)。維持費が何百万円です^^
☆caverunaさま
 いいなぁ観に行きたかったです。成田の空はそんな感じでいつも騒がしいです^^
by ワンモア (2018-10-10 23:51) 

hideta-o

MU-2好きでした。今見てもかっこいいですね~
by hideta-o (2018-10-13 15:36) 

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