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ベトナム人のNさんへの思い出

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ホーチミン市

Nさんの思い出
 我が社にはNさん(Lさんとも)と言うベトナム人の女性がいます。実はもうひとりHさんというベトナム人の子がいたのですが、突然辞めてしまいました。
(*´Д`)(´Д`)エー
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 Nさんは、ホーチミン大学(日本で言うところの東大)を卒業した、とても優秀な女の子。交換留学生で日本の京都にも来ていたこともあるそうです。
 そんなNさんが我が社に入社するということで
「すごい子が入ってきてくれたんですよ〜」と社長は嬉しそうに話をしていたことを今でもよく覚えています。
 ベトナムとの取引が中心の我が社にとって、日本語も英語もできる彼女の存在は、非常に大きく、その功績は計り知れないものがあると思います。私個人としても、長年に渡り友人の会社を支えてくれた彼女にはありがたいなーと感謝しておりました。

 3人兄弟のお姉さんであるNさんは、日本で妹さんと二人で暮らしており、朝は妹さんのためにもお弁当をつくったりと、とてもしっかりした家族思いのお姉さんでもあります。
 彼女は東京本社勤務なんですが、私はその頃から、仕事のヘルプで度々会う機会がありました。最初の印象は、すごい人見知りのする子で、まず笑わない、人の目を見ないということで、「あれ?もしかして自分って嫌われている?」と思うほどでした。でも、そんな彼女も、会話を重ねていくうちに少しずつ打ち解けて笑ってくれるようになり、決して万人受けする美人さんというわけではないのですが、愛嬌のある笑顔が素敵で、意外とおしゃべり好きな、日本人の女性とそんな変わらない普通の女の子だなぁと思いました。
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 Nさんのお父さんがご病気で倒れたというのを聞いた時はそんな折でした。突然の知らせで急遽ベトナムへ帰ることになったNさん。私はその代役ということで宇都宮からヘルプで通ったこともありました。当時の家族思いのNさんの心境を考えると、自分と境遇がかぶるせいもあって今でも胸が痛みます。
 お父さんの代わりに一家の家計も支えることになったNさん。お母さんも看病疲れで倒れそうにになった時は、悩んだ末に会社を3ヶ月間休職してベトナムへ駆けつけたこともありました。
 お父さんが倒れてから、長女であるNさんは一家の大黒柱として頑張ることになります。
 今の彼女の年齢は、日本では適齢期なんですが、ベトナムではもう行き遅れの年。「
結婚はしなくてもいいかなー。でも子供を欲しがっている両親のことを考えると・・・」なんてことを言っていたのはちょうど一年前の頃。本当に健気ですよね(´;ω;`)ブワッ。
 彼女にも色んな悩みがあったと思います。言語の壁もあって、理解されず、人知れず泣いていた夜もあったと思います。
 そんな頑張り屋さんのNさんのために、自分が何かできることはないかなーと考えるようになったものその頃からでしょう。
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おにぎり作りに挑戦中

◆成田営業所での思い出
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今年の11月で2周年

 成田営業所を開設することになった時、社長に呼ばれ「東京から成田へNさんたちが通うので助けてくれないか」と頼まれた時は、チャンス到来と願ったりで、喜んで引き受けました。
 そうして、自分が宇都宮から単身で成田の事務所に住み込み、本社からNさんと、T君が車で成田まで通うようになります。
 朝から二人が来るまでの時間、そして二人が夕方に戻り、その後の残業時間まで、ずっと一人で仕事をしていたのはとても寂しいことでしたが、それもお手伝いができる喜びの方が勝っていたと思います。今ではそれも良い思い出になりました。
 成田の営業所は、T君とNさんの3人で立ち上げたようなものです。20歳近い年の差なので、自分にとっては娘、息子のような感じを持ちつつも、Nさんに対しては娘のようでありながら心の中ではその真面目さ、努力家な部分に尊敬もしていました。
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3人でそろえたキーホルダー 

 彼女にはこの会社の業務のすべてを教わりました。なので、ぐっと年下なんですが頭が上がらないところがあります。彼女もそれを知ってなのか、よくマウントしてきます^^
 頑張り屋さんのNさんは、責任感も強く、忙しい時は、食事休憩もわずかにしか取らないこともあり、東京へ戻る時間がまだ残っているうちは、翌日の出荷作業を一人で黙々とするような子でした。
 責任感が強いので度々ミスをする私を叱ったりしてくることもしばしば。理不尽な怒りをぶつけられた時も。そういう時は自分も感謝の思いはどこへやらで、大喧嘩をすることも・・・。
 「日本人は本音を言わない!」と言っていたので、彼女にはいつも本音でぶつかりました。結果的にはそれが良かったように思います。「雨降って地固まる」ですね。

 半年後に東京勤務に異動といきなり言われた時、「成田営業所は自分が育てた子供のようなもの。それをいきなり、東京に戻れと言われると、子供を取り上げられたような感じです!」と本社の意向に不満を私に言ってきました。それは、自分とまったく同じ気持ちで、それを聞かされた時は、半年間一緒にやってきて心からよかったなぁと思える瞬間でした。
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 そんなNさんも、東京では新しい仕事にとりかかることになり、成田の業務は東京からサポートを受けるかたちで進むようになります。T君やNさんがいなくなった成田も新しいメンバーが徐々に増え、当初のイメージとだいぶ変わってきております。
 東京で新たな仕事に取り掛かったNさんですが、彼女の営業を少しでも助けて成功体験を積ませてあげたいなと、自分の人脈をフル動員してサポートしたこともありました。こうして、あっという間にNさんとは一年半が経ちました。
 

 さて、そんなNさんも、いよいよ結婚となりました。相手は年上の日本人の
商社マンとのこと。彼女は結婚しても会社を辞めないで仕事を続けてくれるそうです。

 日本人男性と一緒なら、これからは経済的にも楽になるでしょう。毎日のようにお父さんに電話や仕送りも欠かさずしていたNさん。これからは経済的や精神的な負担も減るといいなぁと思います。今まで一生懸命頑張ってきた分、どうか神様からも十分な幸せを受けられますように。
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 国際結婚はお互いの文化の違いに戸惑ったり、苦労をすることと思います。でも、努力家のNさんなら、そういう困難も乗り越えて進んで行くことでしょう。
 そしてやがては新しい生命を授かり、新しい家庭を育んでいって欲しいと思います。
 私も彼女に育てられた人間の一人。彼女への恩返しということで、
今後も陰ながらも助けていってあげたいなぁと思います。 

 この一年間、お父さんの健康のために日光の神社に通い、祈り、折った千羽鶴もだいぶたまりましたが、これからはその仕事もご主人にも託すことにしましょう。
 Nさん、ご結婚、本当におめでとうございます。お幸せにね。
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 と、( ;∀;) イイハナシダナー風に書きましたが、Nさんはベトナム人の女性にありがちな、怒ると非常に恐い存在と化すので、ご主人がこんなことにならないように祈ります(爆)
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魔貫光殺砲!!(笑)

<Nさんのエピソード>
Nさんを見送った話(オチ付)
祝?単身赴任生活一周年&復職祝い
北海道直送の料理が名物”らく苑”で忘年会
表のお仕事をご紹介
妹さんをお見送りした話
お父さんの守りの話

【最近の成田】


 またまたご無沙汰です。最近はこんな感じです。

6月1週目 福山県浪江町出張 往復での走行距離約660km 運転時間11時間
6月2週目 大阪、奈良出張 往復での走行距離約1,200km 運転時間17時間
6月3週目 千葉県館山市出張⇨宇都宮へ 走行距離 400km運転時間9時間
     翌日日光へ出張⇨成田へ 走行距離
400km 運転時間9時間

  会社の軽自動車ですからね。死にましたわー( ˘•ω•˘ )
ブログの更新ができません><
 おいおいレポート上げておきます。


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