デアゴスティーニの第85号の紹介でも。4月30日に発売されていた中島四式戦闘機「疾風」です。塗装違いバージョン。
この塗装は、帝都防空で有名な飛行第47戦隊ですね。第1中隊が「旭」隊、第2中隊が「富士」隊、第3中隊が「桜」隊と呼ばれていました。この尾翼マーキングは桜隊ですね。
この部隊があったのは、東京都の練馬区の成増光が丘あたりですね。
◆疾風とコードネーム"フランク(Frank)"の名称
中島四式戦闘機「疾風」はアメリカ軍からはフランク(Frank)と呼ばれていました。コードネームなんですが、アメリカ人にとっては日本の名称などややこしくて分かろうはずもなく、適用な呼び名を付けていたんですが、それでも一応簡単なルールを設けていて、戦闘機はアメ男性名、爆撃機は女性名をつけていました。
たとえば、隼はオスカー、紫電改はジョージなど。爆撃機の一式陸攻はベティとかですね。銀河などは最初は戦闘機だと勘違いしてFrancisという男性名を付けたのですが、後で爆撃機と分かって女性名であるFrancesに変更したというエピソードもあります^^
爆撃機とは思えないキレイなフォルムの「銀河」
ちなみにのこのフランクですが、コードネームを付与する部門の責任者であったフランク・マッコイ大佐の名前でもあるそうで。この大佐、自分の名前を敵の有力な戦闘機に付けたかったそうで、フィリピンで鹵獲したこの疾風をテストした際に、その性能に惚れ込んで付けたそうです。
弱い戦闘機に自分の名前を付けてしまったら「今日もフランクを撃ち落としたぜ」と言われるのが面白くなかったのかも。「フランクは強敵だ、手強いヤツだ」と言われたかったのかもしれませんね。
◆疾風の派生系
このように優秀な性能を敵にも認められていた「疾風」ですが、日本自らもこの機体を「大東亜決戦号」として大戦後期の主力戦闘機として多数製造を行います。その生産機数は約3,500機。
しかし、アルミ合金などの兵器資材が不足してきた日本では、この疾風の木製化を考えます。
・機体の大半を木製化→キ106 17%も重量が増加。10機だけが完成。
・機体の大半を鋼製化→キ113 重量増加と生産性が悪いため、失敗。
・エンジンを信頼できるものに換装化→キ116 当時稼働率が低かった疾風のエンジンを信頼性の高いハ112-Ⅱ(1500馬力)に換装。
重量が500kgほど減少化したため、エンジン出力が低下したものの軽快な運動性が得られた。満州での開発だったので終戦間際に機体・図面が処分された。
これ以外にも2,400馬力にまで向上させたキ84-N(キ117)など、多数の派生型が開発されています。
◆今日の成田
成田の単身赴任生活が続いております。最近は空港周辺を探索し、撮影スポットを探してもいます。
A滑走路に着陸する飛行機を真下から^^
一緒に働いている元上司が一ヶ月間の免停になりました。自分がトラックを動かさないといけなくなるところへ、社長の知り合いがちょうど自己都合退職に。
4トンも運転したことがあるというので大変助かりました。が、元上司とその人が寮に泊まることに。こうして毎晩、宴会です。
手のこんだ料理は私、つまみは二人が。一週間生活して分かったことは、料理担当の自分の食費が跳ね上がりました>< 色々と折半しなければならないことが多いですな。
あと、プライベートな時間がなくなってきました。ブログの更新する時間が〜
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