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本日はウイリー・メッサーシュミットの命日です。

220px-Bundesarchiv_Bild_146-1969-169-19,_Willy_Messerschmitt.jpg  9月15日はウィリー・メッサーシュミット(Wilhelm Emil Messerschmitt)博士の命日でした。1978年9月15日病没、享年80歳でした。
 昔、訃報とともに特集記事が新聞で出ていて、子供の頃に読んだ記憶がなんとなくあります。

 このメッサーシュミット博士はドイツの航空機設計者、航空機会社経営者で、メッサーシュミットといえば、日本の零戦、イギリスのスピットファイア、アメリカのムスタングに並ぶ、第二次大戦のドイツ空軍の代名詞のようなもので、などを数多くの航空機を生み出しました。
 零戦よりも早くに開発されながらも第二次大戦の全期間を戦い抜いてしまったBf109シリーズなどは、戦闘機の生産機数3万を超える記録を保持しています。また、世界初の実用ロケット機Me163や実用ジェット戦闘機Me262なども有名ですね。

メッサーシュミット.jpg しかし、全部が全部、素晴らしい航空機であったかというとそうでもなく、Me209の失敗やテストパイロット殺しとも言われた危険な航空機、駄作機も多くつくり、「もっと基本設計段階でなんとかならなかったのか」というようなものを結構製作しています。
 特に機体設計に根本的なミスがあるにも関わらず生産が強行されたMe210などは、前線部隊でトラブルが続出、生産総数約350機で生産中止となり、 事の重大さからメッサーシュミット博士は軍事裁判にかけられる始末です。
 それでも、ナチス党員でもあり、それまでの功績とナチス上層部の取り計らいにより、有罪にはならなかったといいますから政治的な力を持っている方でした。

 自分自身がパイロットで操縦もでき、空を飛びたくて物理学、殊流体力学を勉強して設計者にまでなったクルト・タンク博士のFw190などと較べると、どうもパイロット軽視の設計が至る所に見られます。
 戦闘機最多の生産機数を誇るBf109でも、座席の狭さは小柄な日本人でも窮屈さを感じるほどで、主脚の間隔の狭さから着陸事故が多く、初心者には扱いにくい戦闘機でもありましたし、Me262の操縦席の位置の視界の悪さもよく取り上げられています。
 ドイツでは、航空機設計者としてはもっと天才的で優れた人もいたとは思います。
 しかし、メッサーシュミットの航空機が多く採用され、生産されたのは、性能に加えて、政治的な駆け引きで優位に立てた所もあるのではないでしょうか。
 ちなみにメッサーシュミットのBf109、Bf110の「Bf」はBFW社時代に手がけたものなのでBfになっています。
 1938年以降はメッサーシュミット社として独立しましたので、「Me」になります。

 さて、初期のBf108、Bf109、Bf110などの代表的な航空機の設計は主任設計者ロベルト・ルッサー技師が中心でしたが、この時にメッサーシュミット博士と意見が対立するようになり、戦争前に古巣のハインケルに戻ってしまいました。
 このルッサー技師の抜けた後のメッサーシュミットはMe209、Me210などの基本設計の失敗を繰り返すことになります。
 ルッサー技師はメッサーシュミット博士の名を一躍有名にした高速スポーツ機Bf108タイフーンの設計主任でもあり、ハインケルに戻ってからも、実機が完成した最初のジェット戦闘機He280や、先進的な夜間戦闘機であるHe219ウーフーなども手がけました。
 またハインケル社からフィーゼラー社に移籍し、V1飛行爆弾になるFi103の設計に携わっています。
 また、Bf109が改良に次ぐ改良ができ、大戦を戦い抜けたのも、ルッサー技師の好みである余裕のある強度設計であったからだと言われています。
 エンジン周りの基本設計は強度的に余裕があり、エンジンを高出力に上げていっても大丈夫な構造でした。
 ちなみに良く折れる降着装置はメッサーシュミット博士の設計・・・。どうも、メッサーシュミット博士の設計は極限を求めすぎるように思います。
 それは技術者、設計者であれば、やってみたい憧れでもありますが、酷使する戦場での軍用機としてはどうだったのでしょうか。
 Bf109は、歴戦のパイロットたちはその極端に先鋭化した性能に惚れ込み、新米パイロットには癖があって恐れられたていたと言いますから、このBf109は、ドイツ空軍の象徴でもあり、メッサーシュミット博士の設計の象徴でもあったのではないかと思います。

 管理人的には、Bf109は人間で例えると、一つの能力に特化してきた専門職的な感じがするので、好きなのですが万人向けではない感じではありますよね。エレガントな紳士的な雰囲気のスピットファイアや、総合職のようなP-51マスタングなどと比べると一途、無骨、頑固なイメージがあります。

800px-Bf109_G10_1.jpg
Bf109G-10

 

612px-Bell-X5-Multiple.jpg

Me p.1101_01.jpg

 

戦後のベルX-5の原型となったMe p.1101

 戦後のメッサーシュミット博士ですが、米ソの技術者引き抜き合戦には参加せず、プレハブ住宅や小型自動車やミシンを製造する一方、スペインのイスパノ航空のジェット練習機、HA 200を設計したりしています。3輪自動車のメッサーシュミットKR200など有名ですね。後年、メッサーシュミット博士は、「R4M装備のMe262があと200機もあれば戦局を覆せたのではないか」との述懐をしていましたが、技術者の見る夢のような気がします。新しい兵器一つ二つでは、どうにもならなかったのではないでしょうか。

200px-1955_Messerschmitt_KR200.jpg ←三輪車が珍しいメッサーシュミットKR200

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コメント 2

楽しく生きよう

明記をたくさん生んだ方ですね。
ものを作り出すとこが出来る才能うらやましいです。
by 楽しく生きよう (2013-09-16 09:03) 

onemore

楽しく生きよう さま
こんにちは、賛否両論ありますが、とにかく特徴のあるデザインの機体をつくる人でしたね。
by onemore (2013-09-18 14:02) 

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