ようやく出張が終わり、福島県から帰ってきました。
ちょうど、金曜ロードショーで「風立ちぬ」が終わったところ。茶の間で流れたことで、初めて映画を観た人も多かったと思います。
皆様はいかがでしたか?関東大震災の描写がリアルとか、飛行機の映画と聞いていたのに、飛行機の空戦シーンがないからつまらないとか、「永遠のゼロ」と対比される割には零戦が最後にしか出てこないとか、タバコのシーンが多すぎるとか、恋愛ドラマにしては堀越二郎が薄情すぎるとか、ネットでは色々な感想が出ています。
私は飛行機好きなので面白かったのですが、賛否が分かれるところではないかというのが正直な感想です(笑)。
ちなみに子どもたちは、微妙・・・・ということでした。
堀越二郎と堀辰雄
この映画、実在した堀越二郎を主人公にして 実際のエピソードを下敷きにはしていますが、実際は宮崎駿氏の様々な妄想が入った内容になっています。
「風立ちぬ」の題名は堀辰雄の小説からきています。そして堀辰雄の実際の恋愛体験の話を、二郎と菜穂子に重ねることでこの映画は出来上がっています。
「堀越二郎と堀辰雄に敬意を表して」と記されているのは、堀越二郎の飛行機設計技師のエピソードと、堀辰雄の恋愛ストーリーを融合させて作られているからなのですね。
そうして出来上がった宮崎アニメの堀越二郎は、飛行機が好き、美しいものが好き、そしてやや薄情(笑)という人間にされています^^;
妹が訪ねてきた時も、約束を忘れて何時間も待たせていたことを「ごめん、忘れてしまっていたよ」の一言で片付けていますし、菜穂子に対しても薄情であることを責められています。
声役の庵野秀明の棒読みが、かえって感情の抑揚のない淡白な人物像にマッチングしているかのように思えてきます(笑)。
二郎は美しいものが好きなのですが(鯖の骨の流線の美しさからサバの味噌煮定食ばかり食べるとか)、その感覚で菜穂子が好きになったのが丸見えというような表現が描かれています。菜穂子に対して「きれいだよ」と言うばかりでしたし。メンクイか。
菜穂子もそれに気づいたのか、命がけで山の結核療養所から下りてきて結婚式をあげるのも、二郎に今が一番うつくしい自分を二郎に見てもらいたいからでしたし、二郎の元を去るのもこれ以上、二郎に美しい自分を見せられないと悟ったかったからでした。
「女性は好きな男性の前では常に美しくありたいもの」ということなのでしょうか。これは男性側からみた理想の女性像のような気がしますが。
宮崎駿の女性観
宮崎駿氏の言葉ではないのですが、こういうエピソードを聞いたことがあります。
男性には2つのタイプがある。あまりに綺麗な満天の星空を男女で寝そべって眺めている時、この「星空の美しさ」を肴にして女性を口説くことに利用する男性と、あまりの「星空の美しさ」に見とれてしまい、女性が隣にいるのを忘れてしまうという男性がいるという話なのです。
宮崎駿の夢の世界?
「夢でもし会えたら」という素敵な世界ですが、これは、二郎やカプローニ伯爵の夢というより、宮崎駿の夢の世界を二人に託して語っているように思いました。
宮崎少年が子供の頃に好きだった零戦、そして個性豊かなイタリアの航空機たち。自分でも飛行機のデザインを考えるのが好きだった宮崎駿が、堀越二郎やカプローニ伯爵に設計者たちの世界にオマージュしているのがよくわかると思います。
「反戦なのに兵器好き」の矛盾に対する答えがこの映画?
また、宮崎駿氏は反戦世代で憲法改革反対論者です。ですので、同じ零戦が出てくる「永遠のゼロ」を酷評しています。零戦に嘘を並べた戦争賛美映画だと。
→宮崎駿、『風立ちぬ』と同じ百田尚樹の零戦映画を酷評「噓八百」「神話捏造」
この発言には同じ零戦好きな者としては、非常に違和感を感じました。
そういえば、『風立ちぬ』で出てくる零戦は塗装が剥げたリアルなものではなく、鳥のように美しく描かれています。あくまでも「美しい」飛行機なのです。
しかし、実際の零戦は、リアルな戦争の中を最初から最後まで戦い尽くしました。その点では、『永遠の0』の方が客観的に零戦の姿を描いていると思えるのです。
また、この映画も戦争賛美ではなく、軍部や特攻の愚かさ、平和の大切さを訴えた映画だと思います。両方のアプローチは違えども言いたいことは同じではないかと。
この批判をみると、ちょっと感情的で、要はこのおっさんは「俺の大好きな美しい零戦に戦争のリアルを持ち込むな」と言いたいのかとしか思えませんでした。
宮崎駿氏は大の軍オタ「兵器好き」で有名です。自分で考えた兵器の数々のスケッチを「雑想ノート」などの書籍にして出版しているくらいです。もちろん、兵器好きが戦争好きとは結びつきませんが、戦争肯定論者とも捉えかねません。
しかし、宮崎駿氏自身は憲法改革反対、戦争反対論者です。それは、映画の中でも、軍に対する批判、飛行機が戦争の道具として使われていることへの批判などからもわかります。
しかし、兵器は大好き。それも映画の中で、様々な兵器としての航空機がマニアックなほどに描きこまれています。しかも、美しくかっこ良く。まるで兵器賛美のようです。
この兵器好きと戦争嫌い。監督自身の矛盾をどう解決するのか。これに対するひとつの答えを出したのがこの映画ではなかったのではないかと思えるのです。
そのキーワードは「美しい夢の追求」かなと。兵器であれ、人であれ、生き方であれ、美しいものを純粋に追い求めて一生懸命に生きる姿を描くことで、それが戦争賛美ではないことを表現したかったのかもしれません。
そして、それは時として悲劇にもなるし、残酷な毒をはらんでいることもちゃんと表現していると思えるのです。
そういえば、そして、戦前の日本の美しい風景もこれでもかという位に描きこまれていますが、関東大震災や戦争への準備などの描写もどこか、メルヘンチックで美しいですよね。郷愁が漂う、旅路(夢中飛行)などのBGMがまるで童話の世界のようでした。戦争の悲惨さをここまで毒気を抜いた描写に昇華させてしまう描写もすごいと感じました。燃えている空も美しいし、夢の中で出てくる飛行機の残骸たちも儚くも美しいのです。
不治の病におかされつつ「美しいまま」主人公の元を去る菜穂子と、戦争へと突入する今までの「美しい日本」を重ねあわせている描写は考えさせるものがありました。
映画のサブタイトルでもある「生きねば」というのは、そのような世界の中で生きる人々への宮崎駿氏なりの答えではなかったのかと思うのです。
要は映画『風立ちぬ』は宮崎駿氏個人の理想と妄想の世界、現時点での考えている世界を正直にあますことなく描いた映画ではなかったのではないかと思えるのです。
そういう意味では、この映画は、引退映画に相応しいものであったと思います。
まあ、また言いたいことが出てきたら次回作もちゃっかり作るかもしれませんが(笑)。
飛行機好きな人間には、共感できる映画でした。『永遠の0』も好きなんですけどね。
さて、この主人公、堀越二郎氏が実際に手がけた飛行機に関係した記事を過去書いていますので、よろしければご覧ください。
◎堀越二郎の挑戦(全6回)
→零戦の後継機になれなかった飛行機、雷電。堀越二郎の挑戦その5
→今日はゼロ戦の設計者、堀越二郎の命日です。
→今日はYS-11完成記念日。堀越二郎氏の最後の航空機。
堀越二郎の友人、本庄季郎の手がけた飛行機です。
→「風立ちぬ」堀越二郎の友人、本庄季郎と一式陸攻。
カプローニ伯爵が手がけた飛行機の記事はこちら
→「風立ちぬ」堀越二郎とカプローニ伯爵の飛行機
堀越と本庄が訪れたドイツのユンカースの記事はこちら
→「風立ちぬ」堀越二郎とユンカース
→『風立ちぬ』で出てきたユンカース社の航空機について〜G.38など
以下、模型情報など
→九試単戦から九六式艦戦へ。宮崎駿「風立ちぬ」の世界
→「風立ちぬ」 九試単座戦闘機が発売されました。
→「風立ちぬ」 九試単座戦闘機のプラモデルがいよいよ発売予約開始です。
→九六式艦戦から九試単戦を製作する本が発売されます。
→九六式艦戦と九試単戦の模型を調べてみた。
→【映画感想】宮崎駿の映画「風立ちぬ」を観て来た!グッズの写真も公開
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「風立ちぬ」録画しました。
時間がある時に一人で観ようと思っています。
by johncomeback (2015-02-21 20:05)
この映画艦これをやっている提督の間で話題になってました^o^
by アニ (2015-02-22 01:50)
テレビも録画機も無いので見れませんでしたが一度見てみたいと思っております^^
大人だからこそ楽しめる映画なんでしょうか。
子供達には難しかったのかなあ。
いつか大人になったときに見返して、作品のなんたるか。作品の伝えたかったこと。作品の向こう側を知ってくれたら宮崎先生も本望でしょうね^^
でもできれば最後はラピュタみたいなハラハラドキドキの冒険活劇を作ってほしかったなあ~
by ちょいのり (2015-02-22 03:25)
奥が深いですね。
by 楽しく生きよう (2015-02-22 07:51)
★johncomeback さま
観た感想を是非。飛行機のことなら解説させていただきます^^
★アニさま
「生きねば」のセリフが学校で流行ったそうです^^
★ちょいのりさま
最後はアレ?という感じでした。未来少年コナンは面白いですよね。
★ 楽しく生きよう さま
奥深いので、文学的視点からみた「風立ちぬ」の記事もアップさせていただきました(笑)
by ワンモア (2015-02-22 18:36)