私は関東在住なのですが、埼玉、栃木、福島、宮城、岩手とは縁があるのです。そこでは、私用でも公用でも、やたらと史跡などでお会いするお馴染みの方、それが松尾芭蕉。
明日の11月28日はちょうど命日。松尾芭蕉といえば、『おくのほそ道』が有名ですよね。元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文「奥の細道」。
この出発の日にちなんで5月16日は、「旅の日」にもなっています。今回はこの松尾芭蕉について、ちょっと調べてみました。^^
この「おくのほそ道」の旅程ですが、旅の総日程が約150日となってるにもかかわらず、総移動距離は約なんと2,400Kmにも及びます。
えーと、計算すると2,400km ÷ 150日 =で一日 平均15Kmですが、この日程にはまったく移動をしなかった日も含まれますし、一日で50Km以上も移動している日があるのだそうで・・・・。
江戸時代の標準的な1日の行程はおよそ八里から十里強(約32~40km)らしいので(朝出発して夕方には宿につくように)、当時では壮年に差し掛かる年齢の45歳で出発した松尾芭蕉にはハードなスケジュールですよね。
3月27日に江戸深川を出発したにもかかわらず、わずか3日後の4月1日には日光東照宮を参拝しているのですからどれだけ健脚なんだと驚きです。
◆松尾芭蕉は忍者?
そんな一般人離れした体力などから、結構噂されている話として、「松尾芭蕉は忍者だったのではないか」という説があります。
根拠その1〜出生が忍者の里、伊賀国の下級武士の出である。
これは確かなようで、芭蕉の出身の下級武士は元々の伊賀者であったことから来ています。伊賀といえば忍者の里。芭蕉は幕府の隠密ではないかという説もあるのですが、最近の学説ではこれは否定されているようです。むしろ同行した弟子の河合曾良(かわい そら)こそが幕府隠密だったのではないかという説があります。
何故かと言うと、これは、河合曽良の「曽良旅日記」(奥の細道随行日記)と、 芭蕉自身の「奥の細道」との間に、八十個所以上にのぼる食い違いがあるのですが、ここに何か隠されたものがあるではないかという見方が。そうですよね。一緒に同行しているにに食い違いが多いのは、河合曾良が単独行動をしていると疑います。
これを裏付ける話として、河合曽良は後年、幕府から諸国巡見使の随員に抜擢されているのです。ムム、ますます怪しい。
二人共伊達領に入った途端に足早に移動する一方、伊達家の軍事要塞だった瑞巌寺、伊達領最大の商業港の石巻はじっくり観察したりしているなど、不審な動きをしているのも確かなようで、もしかすると芭蕉も一緒に使命を帯びていたかもしれません。
根拠その2〜旅の資金は?
旅は今も昔もお金がかかります。この二人の費用は何処から捻出したのでしょう?一応、芭蕉が自分の家(深川の芭蕉庵)を売却したり、門弟や友人・知人からの餞別、旅先での俳諧指導のお礼なども受け取ってはいますが、実は、幕府からも「河合曾良を同行させるなら費用を出す」という条件が出ていたのです。
これは、水戸光圀が「大日本史」編纂事業で調査員を全国に派遣していたことから、地理に詳しい門弟・河合曽良に調査の一部を依頼、出張費の名目で旅費を援助したのではないかという説ですね。
ココらへんからスパイ、隠密説も出てきたのでしょうか。
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ボクんちの草加市も結構芭蕉さん押しで町おこししてたりします^^
尋常じゃない健脚っぷりですよね!
頭の回転も足も速かったということですか^^
by ちょいのり (2015-11-28 01:33)
おはようございます。
コメントありがとうございます・・・気分で毎日違う時計付けてます。
by YUTAじい (2015-11-28 06:34)
芭蕉=隠密説は良く言われますね。
隠密としては曽良が上司だったとか?
by johncomeback (2015-11-28 17:08)
★ちょいのりさま
こんばんは〜。草加市も凄い盛り上げていますよね。
栃木ではやたらと出会います^^;
★YUTAじいさま
こんばんは〜陸海空で良いですよね^^
★johncomebackさま
河合曾良って長崎で亡くなっているので、本当に全国を回った人なんですね。昔の人の足は凄い!
by ワンモア (2015-11-28 19:10)