SSブログ

松尾芭蕉は忍者だった?奥の細道の謎


 413px-Basho_by_Hokusai-small.jpg
松尾芭蕉像(葛飾北斎画)

 
 私は関東在住なのですが、埼玉、栃木、福島、宮城、岩手とは縁があるのです。そこでは、私用でも公用でも、やたらと史跡などでお会いするお馴染みの方、それが松尾芭蕉。

 明日の11月28日はちょうど命日。
松尾芭蕉といえば、『おくのほそ道』が有名ですよね。元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文「奥の細道」。
 この出発の日にちなんで5月16日は、「旅の日」にもなっています。
今回はこの松尾芭蕉について、ちょっと調べてみました。^^

PICT1066 (1) copy.jpg
芭蕉が俳句を詠んだ、日光「裏見の滝」
栃木では至るところに芭蕉の足跡があります。


 この「おくのほそ道」の旅程ですが、旅の総日程が約150日となってるにもかかわらず、総移動距離は約なんと2,400Kmにも及びます。
 えーと、計算すると2,400km ÷ 150日 =で一日 平均15Kmですが、この日程にはまったく移動をしなかった日も含まれますし、一日で50Km以上も移動している日があるのだそうで・・・・。
 江戸時代の標準的な1日の行程はおよそ八里から十里強(約32~40km)らしいので(朝出発して夕方には宿につくように)、当時では壮年に差し掛かる年齢の45歳で出発した松尾芭蕉にはハードなスケジュールですよね。
 3月27日に江戸深川を出発したにもかかわらず、わずか3日後の4月1日には日光東照宮を参拝しているのですからどれだけ健脚なんだと驚きです。

201311281226096cf.jpg
現代でも平泉まででもこんな感じの移動距離です
(クリックで拡大)→Google Maps


◆松尾芭蕉は忍者?

 そんな一般人離れした体力などから、結構噂されている話として、「松尾芭蕉は忍者だったのではないか」という説があります。

松尾芭蕉.jpg


根拠その1〜出生が忍者の里、伊賀国の下級武士の出である。

 これは確かなようで、芭蕉の出身の下級武士は元々の伊賀者であったことから来ています。伊賀といえば忍者の里。芭蕉は幕府の隠密ではないかという説もあるのですが、最近の学説ではこれは否定されているようです。むしろ同行した弟子の
河合曾良(かわい そら)こそが幕府隠密だったのではないかという説があります。
 何故かと言うと、これは、河合曽良の「曽良旅日記」(奥の細道随行日記)と、 芭蕉自身の「奥の細道」との間に、八十個所以上にのぼる食い違いがあるのですが、ここに何か隠されたものがあるではないかという見方が。そうですよね。一緒に同行しているにに食い違いが多いのは、河合曾良が単独行動をしていると疑います。
 これを裏付ける話として、河合曽良は後年、幕府から諸国巡見使の随員に抜擢されているのです。ムム、ますます怪しい。
 二人共伊達領に入った途端に足早に移動する一方、伊達家の軍事要塞だった瑞巌寺、伊達領最大の商業港の石巻はじっくり観察したりしているなど、不審な動きをしているのも確かなようで、もしかすると芭蕉も一緒に使命を帯びていたかもしれません。

根拠その2〜旅の資金は?

 
 旅は今も昔もお金がかかります。この二人の費用は何処から捻出したのでしょう?一応、芭蕉が自分の家(深川の芭蕉庵)を
売却したり、門弟や友人・知人からの餞別、旅先での俳諧指導のお礼なども受け取ってはいますが、実は、幕府からも「河合曾良を同行させるなら費用を出す」という条件が出ていたのです。
 これは、
水戸光圀が「大日本史」編纂事業で調査員を全国に派遣していたことから、地理に詳しい門弟・河合曽良に調査の一部を依頼、出張費の名目で旅費を援助したのではないかという説ですね。
 ココらへんからスパイ、隠密説も出てきたのでしょうか。

715px-Tokugawa_Mitsukuni.jpg
水戸光圀〜日本を漫遊した水戸黄門の別称ですが、
本人は一度も漫遊したということはありませんでした。


根拠その3〜移動速度が早過ぎる

 芭蕉の移動速度が、尋常じゃないほど早とことから忍者説が出ていますが、これは、伊賀の出であることから、歩き方を習っていたのではないかという説もあります。また荷物を運ぶ行商や飛脚は「ナンバ走り」という特殊な走行法をマスターしており、これによって長距離移動が可能だったとのこと。
 ナンバ走りとは右手と右足、左手と左足を同時に出す走り方ですが、身体をひねることがないので常の走法と比較して効率の良い楽な走り方とされているそうで。
 昔はよく見られた歩き方だったそうで、竹馬での歩行はナンバそのものであり、天秤の担ぎ方、相撲の鉄砲、段梯子の登り方、阿波踊りなどもナンバだそうで。たしかに竹馬はナンバの方がバランスが良いですね。
 そのナンバ走りの真偽はともかく、当時の飛脚は、100kmを1日で走ることができたと言いますから凄いですよね。
o0300024610461622745.jpg
以前の佐川急便のマークの飛脚も確かになんば走り!

 芭蕉も伊賀忍者たちのいる故郷の出であること、通常の成人より優れた体力を持っていたことから、早い移動も可能だったのではないでしょうか。

 個人的には、忍者や幕府の隠密であろうとなかろうと、松尾芭蕉が稀代の俳人であったことは間違いないですし、どちらでも構わないという感じです^^
 松尾芭蕉の生み出した俳句の価値を下げるものでもないし、歌人西行への憧れは嘘偽りのないものであったと思います。

 芭蕉は旅先の難波の旅舎にて51歳の生涯を閉じました。その遺骸は遺言通り、大津の「義仲寺」に葬るため、門人たちの手により、 木曽義仲の墓の隣りに埋葬されました。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 芭蕉の最後の句です最後は今までの旅路を思い出していたのでしょうか。
これからも、色々な場所で芭蕉の足跡と出会うことになるでしょう。それがまた、楽しみでもあります。

20PHAK07.JPG

→芭蕉庵ドットコム

おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

中古価格
¥89から
(2015/11/27 22:05時点)


入門 松尾芭蕉 (別冊宝島 2375)

中古価格
¥1,468から
(2015/11/27 22:06時点)


松尾芭蕉は忍者か

中古価格
¥863から
(2015/11/27 22:06時点)


こんな記事もどうぞ

来たよ(42)  コメント(4)  トラックバック(0)  [編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 42

コメント 4

ちょいのり

ボクんちの草加市も結構芭蕉さん押しで町おこししてたりします^^
尋常じゃない健脚っぷりですよね!
頭の回転も足も速かったということですか^^

by ちょいのり (2015-11-28 01:33) 

YUTAじい

おはようございます。
コメントありがとうございます・・・気分で毎日違う時計付けてます。

by YUTAじい (2015-11-28 06:34) 

johncomeback

芭蕉=隠密説は良く言われますね。
隠密としては曽良が上司だったとか?
by johncomeback (2015-11-28 17:08) 

ワンモア

★ちょいのりさま
 こんばんは〜。草加市も凄い盛り上げていますよね。
 栃木ではやたらと出会います^^;

★YUTAじいさま
 こんばんは〜陸海空で良いですよね^^

★johncomebackさま
 河合曾良って長崎で亡くなっているので、本当に全国を回った人なんですね。昔の人の足は凄い!
by ワンモア (2015-11-28 19:10) 

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
Copyright © 1/144ヒコーキ工房 All Rights Reserved.

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。