3日ぶりの更新です。夏バテしていました(;^ω^) 更新は無理をせず、休む時は休むがモットーですので。
とはいえ、家でダウンしていた訳ではなく、この一週間飛び回っていたので、記事をまとめてアップしておきます。
◆茨城県北相馬郡利根町
千葉県と茨城県の県境に位置する人口1万6千人ほどの小さな町、利根町。ここは、民俗学者の柳田国男が少年時代に住んでいた町なのです。
少年期に柳田国男が過ごしていた旧小川家母屋を復元した「柳田国男記念公苑」や、その柳田が影響を受けた徳満寺などが有名です。
柳田国男記念公苑。3回訪れていつもチェーンがかかっていて休館日・・・orz
と思いきや、家で画像を整理していたら、こんな写真が。
◆徳満寺の「間引き絵馬」
間引き・・・家計の負担を軽くするために、子どもを奉公に出したり、養子にやったりして、養うべき家族の人数を減らすことですが、江戸時代の日本では、江戸の四大飢饉など、飢饉の影響で赤子を間引くことが流行りました。
徳満寺に奉納されている「間引き絵馬」は、出産を終えたばかりの母親が、水のしたたる生まれたばかりの嬰児を抑えつけ、そのまま殺そうとする凄惨なものになっています。
障子にこの母親の影が映っていますが、頭からツノが生え鬼のようです。
柳田国男の自伝「故郷七十年」の中では、この間引き絵馬について次のように書いています。
「約2年間を過ごした利根川べりの生活を想起する時、私の印象に強く残っているのは、あの河畔に地蔵堂があり、誰が奉納したものか堂の正面右手に一枚の彩色された絵馬が掛けてあったことである。
その傍らに地蔵様が立って泣いているという意味を、私は子ども心に理解し、寒いような心になったことを今も憶えている・・・」
柳田國男が13歳の時にこの絵馬に出会い、強く衝撃を受け、貧困の克服から農政学の道を歩むことになり、更に民俗学の道に駆り立てられるきっかけになったと言われています。
「間引き絵馬」があるお堂は普段は鍵がかけられています。お寺の方に声をかければ拝観することができるそうですが、今はお盆前で忙しいと分かっていましたので、声をかけずに境内だけ撮影しました。
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時代とはいえ・・・この間引き絵馬にある世相はとても切ないやるせないですね・・・
赤いお地蔵さまもきっと何かしらの意味があるのでしょうね。
でもボクは知って良かったと思います。
勉強になりました^^
by ちょいのり (2016-08-14 02:48)
現代に於いて科学技術の進歩故に間引きは、出生前遺伝子
診断や人工妊娠中に排卵誘発剤で沢山の胎児を妊娠した場合
合法的に行なわれています。
決して間引きは昔の事ではないのです。
by bpd1teikichi_satoh (2016-08-14 13:21)
★ちょいのりさま
こんにちは〜。間引き絵馬の時代背景は貧困もあるので、とても切ないですね。石碑やお地蔵さま一つ一つに歴史が刻まれているので、こういう探訪は大好きなのです^^
★bpd1teikichi_satohさま
そうですね。今は貧困というよりも、経済的な理由やエゴが理由のような気がします。
by ワンモア (2016-08-14 14:52)