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「星の王子さま」とP-38(F-5E)

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 サン=テグジュペリの最後の乗機となったロッキード F-5B(P-38の偵察型)塗装、マーキングは諸説あり

今日の6月29日ですが、星の王子さまの日になっています。

 これは、星の王子さま」の作家で有名なフランスの作家・飛行士のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900年6月29日生 - 1944年7月31日没)の誕生日を記念しています。
 

 児童文学ながらも「大人の童話」としても楽しまれている書籍で日本でも600万部のロングベストセラーとなっています。
Cap.jpg アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリですが、フランスのリヨン生まれで26歳に作家デビューします。彼自身がパイロットだったこともあり、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表し世界的に有名になっていきます。

  戦争が始まると彼は前線へ希望をしますが、戦闘隊や爆撃隊には志願せず、偵察隊に配属します。フランスはドイツに一旦敗れましたので、彼はアメリカへ亡命し、自ら志願して北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に原隊である II/33 部隊(偵察飛行隊)に着任します。部隊は後にコルシカ島に進出していきます。「祖国が踏みにじられるのを黙って見ていられないが、人殺しはしたくない」というのが偵察員を選んだ理由だそうです。

 1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル、シャンベリー、アヌシーを写真偵察のため、ロッキード F-5B(P-38 ライトニング双発戦闘機の偵察型)を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となりました。


 “サン=テグジュペリ未帰還・行方不明”の報は無線を傍受していた敵側のドイツ側も知っていたそうで、当時、既に国境・民族を越えて愛されていた彼の安否を心配したドイツ空軍も独自に捜索を行っていたとのことです。

 時は流れて1998年9月7日、地中海のマルセイユ沖にあるリュウ島近くの海域で、サン=テグジュペリの名ものと思われるブレスレットが、地元のトロール船によって発見されました。
 広範囲な探索が行われた結果、2000年5月24日にサン=テグジュペリの搭乗機であることを確認。このことが2000年5月26日にマスメディアで報じられ、世界中に知られるところとなったのです。
サン=テグジュペリが行方不明になって56年後のことでした。
 撃墜したと思われるパイロットは、当時Bf109のパイロットだったホルスト・リッパート曹長だそうで、彼自身もサン=テグジュペリ作品の愛読者だと言い「長い間、あの操縦士が彼では無いことを願い続けた。彼だと知っていたら撃たなかった」と話していたそうです。
サン=テグジュペリは敵味方に関係なく多くの人々に愛された作家だったのですね。

日本では星の王子さまミュージアムもあります。神奈川県足柄下郡箱根町仙石原909


大きな地図で見る

 

F5-E.jpg さて、このサン=テグジュペリの最後の乗機であるF-5Bですが、ウイングキットコレクションLのP-38Lでも機番のデカールがついて、できるようなのですが、これはF-5Eの機首ですね。F-5Eはバルジのない窓枠のタイプですので全然違います。

詳細に調べた方のサイトがありましたのでご紹介します。

→偵察機 F-5B の撮影装置

機首の付け替えとデカールでP-38LとF-5Eが選択できるようになっています。 

有名な人の最後の乗機のわりには正確なマーキングやプラモデルも少ないようです。

エフトイズの「双発機コレクション」でも1/144スケールでP-38は出ていますがこちらはJ型でした。 ヤフオクでちらほら出品されているようです。

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→サン・テグジュペリと星の王子さま

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