V2調べのついでに、V1も忘備録として記することにしました。Vの頭文字はV2と同じく報復(Vergeltungswaffe )という意味になりますが、正式名称はフィーゼラー Fi 103ですね。V-2が世界初の軍事用液体燃料ロケット(弾道ミサイル)に対し、このV1はパルスジェットエンジンを搭載した世界初の巡航ミサイルとなっております。ドイツは航空機分野での世界初が多いですね。
基礎的な企画は1933年にはフィーゼラー社が出しておりましたが、空軍がその企画に感心を示し、本格的に開発を支持したのが1942年になります。理由ですが、空軍の爆撃による英本土の攻撃が効果が期待できないという事実と、陸軍が開発しているV2(その時はA4という開発名)への対抗意識もあったと言われております。
V1もV2も共に「無人で発射され、目的地で爆発する」という点では同じですが、 V1は空軍開発で分類上、無人有翼機として考え、V2は陸軍開発で、長距離砲弾として捉えていたということですね。
開発も同時期に進められて長距離攻撃という同じ目的で競合したのですが、結局のところFi103もA4も両方とも採用・生産ということになりました。
Fi103はV1という名で、A4はV2という名を与えられます。実戦配備はV1が1944年6月、V2が3ヶ月後の1944年9月です。
V1は最終的に21,770発も発射されましたが、ロンドンへの到達率は25%程度で、その多くが誘導性の低さから途中で落ちたり、撃墜されたりしています。しかし、結果的にV2より多くの被害と、戦力を撃墜に割くことに成功し、V2に比べ戦略的には効果があったと言われています。
V1は飛行機の形態で時速600km/hで飛来してくるので迎撃しやすかったため、出撃する手間がかかったのですが、V2は超音速で来るので迎撃不可能という点が違っていました。
左の画像は、V1の翼をちょんと叩いて機動を修正させてしまい落としてしまう手です。銃弾を使わずに簡単に落とすことができました。
さて、このV1の派生型ですが、基礎設計が航空機のそれなので、有人飛行機としても開発されています。 Fi-103R ライヒェンベルクといい、He111などの発射母機より空中発進し、人間が誘導し、着弾寸前に脱出することになっていました。
しかし、操縦席後方にパルス・ジェット・エンジンがあることや、狭いコクピット等を考慮すると実際には脱出は極めて困難であったと考えられています。そりゃそうですよね。しかも、最高速度にして脱出するのですから極めて困難だと思います。ですので、建前上は生還も考慮した設計をするのですが、実際は特攻同然ですから、第200爆撃航空団で運用される予定でしたが、司令官のサポタージュによって実戦では使用されませんでした。育成に時間がかかるパイロットとその効果を考えてドイツ人は冷静に判断したものと思います。
【桜花という名の人間爆弾】
さて、そんなドイツとは違い、日本では生還を考えない特攻兵器として数多くの兵器を作り出してしまいました。有名なのは「桜花」です。こちらは終戦までに755機生産され、実際に55名もの方が特攻されました。
V1の誘導装置をきっかけに考案されたとのことですが、無人の誘導装置では目標物に到達するにはどうしても技術的に困難なため、有人で特攻することを企画し、その企画した本人自体が乗り込むことで説得させて開発を進めたと言います。
全備重量が2.3トンにも達した桜花ですが自力では離陸できないため、一式陸攻に搭載してもらうことになるのですが、この一式陸攻も搭載量ギリギリで、そのほとんどが撃墜されてしまいます。一式陸攻も帰ってこれなかったのです。
確実に戦果を挙げる為の体当たり攻撃とはいえ、十分な護衛機無しで投下地点となる目標の近距離まで到達する為に、多数の高性能迎撃戦闘機を鈍重な爆撃機で突破しなければならない桜花を使用した所で攻撃が成功する確率は万に一つもありませんでした。
桜花を防御弾幕の手薄な比較的遠距離で切り離し、敵機動部隊外縁のピケット艦等の軽艦艇に攻撃をかけるのが精一杯だったことが実際の戦果でも証明されています。
この桜花を操縦するパイロットも練度の高いパイロットで編成され(予備役でも飛行時間300時間)、 貴重な人材を効果なく失うことになります。上層部はこの桜花を更に改良させ、陸上のカタパルトから発進させる計画機まで作らせていました。航空機の最後の姿のような気がします。
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【模型情報】
悲しい運命を背負った航空機であることから、その負の歴史を留めておこうとするでしょうか、Fi103も桜花も人気があります。
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