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仙台・牛タン物語

牛タン05.jpg
 

 いやあ、美味しかった・・・・・。
1袋で4切れ×3=12切れはあっという間に管理人と子どもたちの胃袋の中へ 。

 コリコリ感がたまりません。 この頂いた牛タンは仕込みをしてあるので、そのまま食べてOKです。味付けは必要ありません。肉にもすでに切り込みが入れてあるので、焼いてそのまま食べれます。子どもたちにはさらにカットして一口サイズにすれば更に食べやすいです。
付け合せの「味噌南蛮」の辛いこと、美味いこと。

 完食したところで、この牛タンの歴史を調べてみることにしました。仙台がなぜ牛タンの発祥の地なのか、気になります。
 先に調べれば旨さもまた格別なのでしょうが(笑)。食欲が先になってしまいました!

 仙台牛タンの生みの親はわかっているそうで、それは「太助」の初代店主 佐野啓四郎氏という方です(故人)。

 牛タンは進駐軍の残り物?

 第二次世界大戦が終わって、仙台にもGHQが進駐してきた時代、大量に牛肉を消費する進駐軍がタンとテールを残しましたが、それを有効に活用するために「太助」の店主、佐野氏が1948年に牛タン焼き専門店を始めたのが「仙台牛タン」の始まりという説があります。

 佐野氏はタンシチューから着想して、タンを薄い切り身にして塩焼きするという調理法を考案したそうで、米軍の残り物説について仙台牛たん振興会は全面否定していますが、佐野氏はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じているそうです。どちらが本当なのでしょう?

 仙台牛たん振興会のサイトによると、調査の結果、米軍の進駐軍は、本土から牛肉を解体したものを輸入していたため、牛タン自体はほとんど輸入されていなかったそうです。なんか納得です。わざわざ一頭まるまる輸入して解体するのはかえって不自然ですよね。
 国内の牛も貴重で、宮城県内では裕福な農家しか牛を飼うことが出来ませんでした。宮城県内の畜場や山形のと畜場では一週間にと畜する頭数は平均2、3頭ぐらい。と畜予定の牛タン予約をして、確保でき次第それを集めてきて使っていました。アメリカ産の余りものを使ったわけではないそうです。
 仙台牛タンの名前が有名になるにつれて、いつからかこのような米軍残り物説が生まれたようで。

 「仙台牛タン焼き誕生の背景には戦後の復興を支えた歴史的なドラマがある。仙台で牛タン焼きを食べる時には、そんな歴史も頭に思い浮かべながら食べてみると味もまた格別かもしれない。」と紹介がしてありました。
 そんなことを言われたらもう一度、食べてみたくなりますね。

 来年こそ、仙台に行って直接お店で注文して食べてみたいと思います。知人にも会いたいし。

 牛タンのウンチク記事はこちらをどうぞ。

→仙台牛タンの歴史今回頂いたのは「利休」の牛タンでした。ごちそうさまでした!!!!


 
閑話休題でブログの趣旨に戻さなきゃ・・・・。
 
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コメント 3

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

フライパンの牛タンの湯気が、
画面から出てきそうです。。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2013-12-23 08:57) 

johncomeback

ご訪問&nice ありがとうございます。
是非仙台にいらして牛タン召し上がって下さい。
仙台の牛タン定食は、麦飯&テールスープがお約束です。
by johncomeback (2013-12-23 16:15) 

onemore

★なんだかなぁ〜!! 横 濱男さま
こんばんは〜
ホントは炭火が良いらしいのですが・・・。
次回はチャレンジしたいです。

★johncomebackさま
こんばんは〜。仙台は牛タン以外にも
美味しそうな料理が沢山ありますね。
いつも通りすぎるだけなので、
是非立ち寄りたいです!!
by onemore (2013-12-23 17:53) 

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