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幻の零戦 ”42型”について。欠番の真相は?

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 SWEETの1/144スケールの零戦を2箱ほど購入して、色々組み合わせて甲乙丙型を製作し始めているところなのですが、資料を調べていく中で、零戦42型の記事が載っている雑誌を見つけました。

Scale Aviation (スケールアヴィエーション) 2001年11月号

Scale Aviation (スケールアヴィエーション) 2001年11月号

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  • 発売日: 2001
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スケールアヴィエーション 2001年11月号特集「零戦と隼」の「陸海軍拾遺集」の第21回「零式艦上戦闘機42型の検証」という記事です。今から13年ほど前の記事ですが、それから新説は出ているのでしょうか。

◆零戦42型(A6M4)は実在したのか?

 零戦は11型、21型、32型、22型、52型・・・とありますが、32/22型(A6M3)と52型(A6M5)の間に埋もれたA6M4、いわば零戦42型は実在するのか?ということがしばらく議論が続いていました。
 欠番とされてきた理由は4という数字が「死(し)」を連想させるので縁起が悪いから欠番にしたという説と、32型に排気タービンを装備する計画案が破棄されて欠番になったという説、そして武装の違いから41型の流れができたという説がありました。

Cap 416.jpg ちなみに日本海軍機の形式の決め方ですが、右の図のようになります。機体の開発順(形状変更点)は、二桁目(十番台)台の数字で示され、

1●系は初期型(11型など)
2●系は翼端が折りたたみ(21型/22型など)
3●系は翼端をカット(32型)
5●系は翼端を丸く整形(52型以降)
6●系は爆弾投下装置を新設(62型など)

エンジンの形式順は 一桁目(一番台)の数字で示され
●1系が栄12型 ●2系が栄21型 ●3系が栄31型 ●4系が金星62型となっています。
これらの組み合わせで以下のような形式が開発されました。

11型〜64機製造。中国大陸で敵機全機撃墜という強烈なデビューを飾りました。
21型〜艦載用。翼端折りたたみ&着艦フック装備。大戦前半の主力機。
32型〜エンジンを栄12型から栄21型へパワーアップ!高速化のために翼端をカットしたかたちに。
22型〜栄21型になって減った航続距離を増やしたもの。翼も元に戻す。
52型〜翼の改設計をして単排気管にしてスピードアップしたもの、機銃の搭載方法で甲、乙、丙がある。
53型〜エンジンを栄31型に換装。開発途中で終戦
62型/63型〜胴体下に250kg爆弾の懸吊架を設けた戦闘爆撃機型。零戦の最終量産型。
54型/64型〜念願の金星62型装備。開発途中で終戦。

 最近では22型を陸上用に改修した12型の存在も明らかになっているようです。

  さて、これらの開発の中で、存在が議論されている41/42型ですが、ヤフー知恵袋などには「42型は縁起が悪いので欠番とした説はろくに調べもしない連中が振りまいた都市伝説」とまで決めつけている意見もあるようで、うーん、どうなのでしょうか?そんなものの言い方もどうかと思います。
 更には「彗星」という艦上爆撃機には43型が存在しているから42型ゲン担ぎは俗説であるとする意見もあります。「4は「死」を連想させるからゲン担ぎで外されたという説は現実に43型が存在しているから俗説だ」という意見ですね。

 ということで色々論議され、42型は欠番が常識でしたが、この雑誌の特集により42型は実際に試作されたことが判明したそうです。
 もう、10数年前の記事なのですが、戦後50年以上経ってから新しい資料が出てくるというのも驚きですね。零戦に関してはプロ・アマ問わず熱心に研究をされている方々がいらっしゃいます。その熱意には頭が下がります。

 今回はこの特集記事を紹介しながら42型の模型製作のポイントを紹介していきます。

実在した42型改修機

 記事によりますと、昭和18年4月13日、航空技術廠で1機の零戦が審査を受けています。試験報告書によると製造番号は三菱3525号機となっており、これは同年2月に完成したばかりの零戦22型ということになります。しかし、この3525号機は改修工事を受けており、3月下旬に再度納品されていて、海軍航空本部資料には「42型」と記載されていたのです。
 これが事実なら正式に42型は存在していたということになります。

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 作業は製造メーカーの三菱で、その内容は、主翼を450mm短縮するものでした。単に短縮するなら32型と同じになりますが、主翼は円弧状に整形され、それに合わせて補助翼も整形を受けているとのことですので、おそらく52型の試作機だったのではないかと考えられています。

 しかし、今までの通説では、52型の試作機は三菱第3904号機とされていたので、この3525号機は、この機体の製造よりも4ヶ月も早く、52型の量産開始から半年も早く先行試作機ができていたということになります。

 この点に関して、この記事では「従来の説である、52型の試作が3904号機で、量産が3905号機以降では、約2ヶ月間のタイムラグがあることの説明が現実的でない」と出ています。
 確かにそうですね。試作から量産までの2ヶ月間、量産の連番がストップしているということになります。

 また重要な点として、この三菱3525号機は、昭和18年6月以降の記載で、「42型」ではなく「52型」と改称されているとのこと。

 つまり、52型は元々は、22/32(A6M3)からの連番である「42型(A6M4)」であったのだが、何らかの事情が働いて、途中から52型に改称されたということなのです。
 ということで、機体番号が同じなのに、名称が42→52に記載変更になっていることから、
 この特集では、欠番の真相はゲンが悪い「42型」を航空本部の意向が働き、縁起を担いで「52型」としたのではないかということを結論としています。

 こうしてみると、それなりに調べているのですね。

 この特集記事の結論としては、18年2月製造の22型の製造ラインから第3525号機を抽出、42型として改修、3月下旬に完成し、空技廠に納入、4月以降審査を終えて6月に52型として型式認可。8月には第3904号機から生産開始というのが辻褄の合う考え方としています。
 
 確かにこう考えると、3525号機で零戦52型を試作して、審査している間にも22型の生産が続けられて、3904号機から52型として製造に入ったと考える方が自然です。

 この特集記事は製造番号から各型の試作時期などを検証していて大変興味深い内容となっていました。

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◆異論と反論

 ただ、この3525号機1機のみを取り上げて42型と呼ぶのはあまり適当ではないという意見もあります。それは、学研の「零戦2」という書籍に出ているのですが、41型という存在が明らかになっており、それによると41型とは、21型の20mm機銃をベルト給弾式に換装し携行弾数を増やしたもので中島への発注が予定されていたそうです(おそらく20mm1号4型) 。時期は18年の4月で、これを零戦41型と仮称することを決定したという説です。

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 これは結局、改設計とも言える52型が出来たことで、採用にならなかったといいますから、これに合わせて41/42型は採用ならず、次の52型に移ったという可能性があります。

 42型はゲンが悪いので改称されたのではなく、41型の存在が絡むと、なぜ廃止になったのかが推定できるということです。
  
  しかし、それにしても21型の搭載機銃を変更するなら武装の変更だけなので、22型甲と同じように、21型甲とかにしても良さそうですし、また、栄エンジン搭載変更なら33型となるのが道理だと思うのですが、4●版の形式をとるには改修は微々たるものの気がします。その当時は微々たる改修でも形式変更をしたのでしょうか。

 個人的には、この特集記事のように、52型の前身となる大改修をした形式を従来通り素直に42型にし、その後、何らかの理由により52型に改称されたという説が一番しっくりきます。

「忌み数」について

 いえ、もっと突っ込んでいえば、「42」という数字そのものが正に忌み数そのものであるから、「ゲンが悪いから、外せるものなら外してしまえ」という上層部の思惑があったのではないかと感じるのです。

 それを裏付ける証拠としては、3525号機が理由も記載されぬまま「42型」から「52型」に改称された事実こそが、「忌み数」の扱い方そのものであることを指摘したいと思います。
 
 今でこそ「4」や「9」などの忌み数などは迷信として一笑に付していますが、当時の時代はもっと真面目にとらえていたはずです。それは今でも、病院の病室番号やマンション、ホテルなどで「4」や「9」を外す風習があることからも伺いしれます。

 そして現代も、車のナンバープレートの下2桁の「42」("死に"を連想)、「49」("轢く"を連想)は、希望者が申し出ない限り最初から外しているとのこと(兵庫県陸運局など)。
 これは万が一の事故が起きた時に「縁起でもない数字がついているからだ」と理不尽なクレームを付けられるのを避けるためもあるということは容易に想像がつきます。
 →忌み数(Wikipedia)

半分冗談かもしれませんが・・・。
→【ヤフー知恵袋】購入した車のナンバー「42-○○」が縁起悪くて気分悪い!厄除けには何をすればいい?

 自分では信じていなくても「縁起でもないことを言うな」とか言ったり、言われたりするのは、どこかで「発した言葉が実現化する」力を信じているからなのでしょう。これを「言魂信仰」というのですが、日本人には根強い考え方であると思います。日本人が万が一の不幸を前提とした契約が苦手な理由もココらへんにありそうです。
 「4(し)」や「9(く)」の言葉を発することで、自分も周囲も「死」や「苦」を連想してしまい、心に想起することがその忌を実際に引き寄せてしまうので忌み嫌うという考え方は実際に昔からあると思うのです。


42」という数字

 ましてや「42(死に)」は、「49(四苦・死苦)」と並ぶ「忌み数」と言われています。4だけですと「死」ですが、42となると「死に」というように死に向かって進む意味になるので、組み合わせ的にもよろしくありません。

 更には男性にとって42歳は大厄年です。ですので「42」という数字は日本人にとって縁起が悪い、良くないことの象徴であったことは想像に固くありません。

  これを「迷信」だとか「俗説」だとか笑うことは勝手ですが、誰か一人が「縁起が悪い」と言い始めるとなんとなく収まりつかないのが日本人。
 忌み数を避ける のは、昔からの日本の風習であることも事実ですので現代の価値観で判断したらいけないと思うのです。ましてや戦艦大和の中にも神社をつくって参拝をし、拝む大日本帝国海軍ですから。

 ということで零戦42型の「42」は、彗星43型とはちょっと訳が違うと思うのです。また陸軍の「四式戦の疾風(4式=死)」はどうなんだというツッコミがあろうかと思いますが、「出来ることなら外してしまいたい」というのがミソであって、表立って「縁起が悪いから欠番とする」とは公式見解としては言える訳ありません。言葉や公にすること自体を嫌うのが「忌み数」ですから。
 ですので、証拠やソースは出てこないはずです。つまり、できることなら最初から存在しなかったことにしたいのです。

 3525号機の「42」を「52」と改称したのは正にその理由からではないかと思うのです。正式な「52生産型」とは違う「42型」をそのまま残しておいてもいいはずなのですから。
 
  日本の歴史の文献の中には、このように明記することができない、またはわざわざ書く必要がなかったことも数多くあったのではと思うのです。文献に書いてないから「なかったのだ」というのは、歴史の一面だけを見ているのではないかと思えます。今で言う俗説、迷信の類が歴史上重要な局面を左右したことは十分にあり得ます。

 ですので、一式戦、二式戦と続いてきた飛行機の名称そのものである四式戦などは流石に外せないですし、陸軍機のように通しナンバーが機械的に割り振られるキ42、キ49とかですと仕方ない面がありますが、それより小さな形式である型番などの数字に関しては制式採用する前に、もっともらしい理由をつけて出来るなら外してしまいたいというのが真相のように思うのです。いかがでしょう か。

 これが単なる推測で取るに足らない俗説の類であったとしても、もし42型が制式採用され、主力機になっていたらやはり気にする将兵たちは多くいたのではないかと思います。
 しかも52型はやがて特攻機にもなる運命でしたから「42」でなくてよかったのは結果論でしょうか。
 常に死と隣り合わせで戦っている彼らにとっては「死に行く機」なんて読める機体なんて、縁起でもないと反発されるのは必須でしょう。車のナンバープレートにクレームをつけるのと同じく、「こんな縁起の悪い型式をつけたのは誰だ!」とあらぬところから糾弾されかねません。
 ですので、上層部たちは、ちゃんと「42」は忌み数として認識していたんじゃないかなと思うのです。そしてもっともらしい理由をつけて42型を消したかったのでは?と思うのです。

 いずれにせよ、まだ、研究の余地が残っているようです。これから新事実が出てくるのでしょうか?楽しみでもあります。

 

◆42型の改修箇所

 さて、かなり脱線してしまいましたが、記事による改修箇所をご紹介していきます。実際には零戦42型とはどのような機体だったのでしょうか。

 まず20mm機銃は銃身が表に出ていない1号銃(もしくは無搭載)であるという点以外はほぼ52型と同様の改修を受けていたとのこと。
 22型の量産中での改修ですので胴体のパネルラインは22型のまま。翼端を切り詰めた加工ですので、主翼のフラップは22型と同様の幅だそうです。52型の主翼ではフラップの長さが違いますのでそのままでは使用できないですね(下図の黄色い丸で囲ったところ)。

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  この記事では、他に推測される点として、52型の特徴である単排気管耐熱板は、
完成直後は耐熱板は未装備だった可能性があるとされています。排気熱対策は当初は無かった可能性が高いとのこと。また最下部の単排気管は初期の延長状態のままと思われます。

耐熱版.jpg
後で追加された単排気管にしたことによる耐熱板の追加(オレンジの部分)


 また、短縮アンテナは第3854号機からですので、42型のアンテナは長い旧タイプであるとしています。写真の無い試作機としては珍しく、尾翼番号が「コ-175」と判明しているそうで、外観は昭和17年の新造機に準じるので、全面灰鼠色の全面塗装で日の丸は白フチなしとしています。

雑誌に掲載された42型の模型はこちらのサイトでみることができます。

→三菱零式艦上戦闘機42型ハセガワ1/48改造


SWEETの零戦で改造は可能?

 製作記事ではハセガワ1/48スケールの零戦を使用していましたが、1/144スケールでの改造ポイントを調べてみました。

 胴体のパネルラインは22/32型、エンジンは52型(単排気管型)、翼は52型(甲ではない)でフラップや補助翼のラインを22型と同じに彫り直すという修正ぐらいでなんとかいけそうです。
 そうすると結局は部品の組み合わせは必要なさそうでアンテナ支柱を旧タイプに付け替えるだけですかね。うーん思ったり代わり映えがしないかも・・・。

 ただ、一番の目の引くところは、全面グレー系の明灰白色の52型であるというところでしょうか。これだけでも製作する価値はありそうですね。

 記事が長くなりましたが、お付き合いくださりありがとうございました。

 42型が廃止になった理由は意外とこういうところにあるかもしれません。
→今日は何の日?ブログ【5月18日】言葉の日と言魂信仰

製作始めました。→幻の零戦”42型”を作る。

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コメント 6

Falcon

とても分かりやすい解説ですね。
結構、改良がなされているんですね。
by Falcon (2014-02-13 08:05) 

johncomeback

勉強になりました(^▽^)/
by johncomeback (2014-02-13 20:01) 

駅員3

なんと、そういう理由・・・大変参考になりました。
by 駅員3 (2014-02-14 07:49) 

onemore

★Falcon さま
こんにちは、ご訪問ありがとうございます。全種製作が夢なのですが・・・。

★johncomebackさま
こんにちは、あくまでも推論なのですが。

★駅員3さま
こんにちは、もし特集記事が事実であるならばの推測なのですが・・・。
by onemore (2014-02-14 13:09) 

hideta-o

 忌番で思い出したのですが、たしかアメリカ空軍はXF-12の次はF-14で「F-13」は飛ばしてましたね。同じような例としてニューヨーク市営地下鉄は、車両その他の形式番号がR1から順につけられているのですが、やはりR12の次はR14で「R13」を飛ばしています。
 どちらも公の機関でありながら「13」を堂々と飛ばしているのがアメリカらしいですね。
by hideta-o (2014-04-07 12:47) 

onemore

hideta-o さま
こんばんは〜。
欧米は「13」という数字そのものを嫌う節がありますよね。
発音から連想される悪い内容を連想させる数字を忌み嫌い、
なかったことにしたい日本とは大分事情が異なるようです。
by onemore (2014-04-07 20:33) 

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